交通事故で一命をとりとめても…… 自動車保険の「払い渋り」には要注意

交通事故で重傷を負った人の中には一方的な事故処理で苦しむ人も少なくありません(写真:アフロ)

「交通事故で重度障害を負っても、自動車保険が十分に支払われないことがあるんですね」

「警察の捜査がずさんなせいで、被害者側に過失を押し付けられる……、私もまさに同じように苦しんでいます」

 7月11日放送の『奇跡体験! アンビリバボー』(フジテレビ)。番組の終了後、こうしたメールが相次いで寄せられています。

現在の後藤雅博さんと筆者。事故から26年経った今も後藤さんは後遺障害に苦しみながら交通事故被害者の厳しい現状を訴え続けています(撮影/笠井千晶さん)
現在の後藤雅博さんと筆者。事故から26年経った今も後藤さんは後遺障害に苦しみながら交通事故被害者の厳しい現状を訴え続けています(撮影/笠井千晶さん)

■テレビでも報道された理不尽な事故

 番組で取り上げられたのは、私が過去に取材した交通事故でした。 

 1993年、バイクで通勤途中にトラックと衝突した後藤雅博さん(当時36)は、脳挫傷などの重傷を負い、1カ月後、奇跡的に意識を回復します。

 ところが、目が覚めたとき、家族から聞かされたのは、思わぬ事実でした。

 相手の運転手の説明によると、後藤さんが細い路地から一時停止を無視して猛スピードでトラックに突っ込んだ、つまりバイク側に全面的な過失のある事故だというのです。

 事故から半年後、ようやく一時退院が許された後藤さんは、初めて事故現場に出向き、トラック運転手の嘘を確信します。そして、警察に捜査の要請を行いました。この時点ではまだ、後藤さん立ち会いの実況見分が行われていなかったからです。

 ところが、運転手が加入していた自賠責保険の保険会社は、運転手の供述をもとに早々と「重過失減額」と判断します。つまり、バイクの側に9割の過失があると一方的に査定し、後藤さんへの保険金を大幅にカットしてきたのです。

事故に遭う前の後藤さん。ツーリングが趣味で、仲間と全国を旅していました(後藤さん提供)
事故に遭う前の後藤さん。ツーリングが趣味で、仲間と全国を旅していました(後藤さん提供)

 右半身まひという後遺障害が残っていた後藤さんは仕事への復帰ができず、困窮していました。自賠責保険はこうした被害者の救済を目的に作られたはずですが、本人の「猛スピードで突っ込んではいない」という訴えは、全く聞き入れられなかったのです。

 さらに追い打ちをかけたのは、民事裁判の結果でした。自賠責への異議申し立ても却下された後藤さんは、訴訟を起こすしかありませんでしたが、一審の裁判官は後藤さんの訴えを棄却しただけでなく、トラックの修理代まで支払うよう命じたのです。

■流れが急展開し、トラック側に過失が

 ところがその後、流れが一変します。交通事故鑑定人の検証や警視庁の捜査によって、バイクは大通りを普通に直進していたことが明らかになったため、トラック運転手は業務上過失傷害(当時)の罪で起訴。

 さらに、運転手自身が法廷で、大通りを走行中に急な右折をして対向のバイクをはねたことを認めて謝罪したのです。その結果、刑事裁判・民事裁判ともにトラック運転手の過失が認定され、自賠責も全額が支払われました。

 過失割合が逆転するケースは極めて稀で、大半の事故は加害者の供述が独り歩きします。損保会社はその情報を利用して保険金を払い渋るケースが少なくないのです。

■賠償金支払いを抑えようとした保険会社

 被害者を苦しめているのは一方的な「過失割合」の査定だけではありません。たとえ100%の被害者であっても、損保会社が示談を推し進めてくるとき、提示された内容をしっかり確認して対応しなければ、理不尽な条件を押し付けられてしまうことがあります。

 現在、アメリカのニューメキシコ州に住む松尾幸郎さん(83)は、今もあのときの苦しみが脳裏から離れないと言います。

「私も事故後の裁判は本当にこたえました。加害者の100%過失で、妻を死ぬよりも辛い状況にさせておきながら、損保会社は、全て否定、否定なのですから……」

巻子さんが事故に遭ったのは、初孫誕生の直後でした。この1枚が、孫を抱く、最初で最後の写真となりました(松尾さん提供)
巻子さんが事故に遭ったのは、初孫誕生の直後でした。この1枚が、孫を抱く、最初で最後の写真となりました(松尾さん提供)

 事故が起こったのは、2006年7月のことでした。乗用車を運転し、富山市内の自宅へ戻る途中だった松尾さんの妻・巻子さん(当時62)は、居眠りでセンターラインをオーバーしてきた対向車に正面衝突され、頚髄損傷、脳挫傷などの重傷を負ったのです。

 意識不明のまま集中治療室に運ばれた巻子さんは、かろうじて命はとりとめたものの、首から下の全身が麻痺するという重い後遺障害が残りました。寝たきりのまま、人工呼吸器が取り付けられたため、言葉を発することもできません。

 また、巻子さんには、横隔膜ペースメーカーという医療保険適用外の特殊な器具が使われていました。そのため、毎月の医療費は高額なものとなっていましたが、加害者は対人無制限の任意保険に加入していたため、松尾さんは医療や介護にかかる費用の心配だけはないものと安心していました。

実況見分調書に貼付されていた巻子さんの車。センターラインオーバーの対向車に衝突され大破していました(松尾さん提供)
実況見分調書に貼付されていた巻子さんの車。センターラインオーバーの対向車に衝突され大破していました(松尾さん提供)

■「寝たきり者は長く生きられない」という損保

 ところが、加害者側の損保会社から届いた書面に、松尾さんは大きなショックを受けたといいます。

「なんと、個室の入院代や人工呼吸器にかかる費用を『過剰』という言葉で切り捨てようとしてきたのです。さらに驚いたのは、脳外科医が書いたという論文をもとに、『寝たきり者は長く生きられないから余命は4.4年である』という主張を展開してきたことです。4.4年については、その意味も、根拠も、まったく解りませんでした」

会話補助機「レッツ・チャット」で、事故から約3年経ってからようやく会話を取り戻した松尾さん夫妻。全身まひのため自分でスイッチが押せない巻子さんのまぶたの動きを合図に、夫の幸郎さんがスイッチを押して言葉を綴っていく(撮影/横浜大輔)
会話補助機「レッツ・チャット」で、事故から約3年経ってからようやく会話を取り戻した松尾さん夫妻。全身まひのため自分でスイッチが押せない巻子さんのまぶたの動きを合図に、夫の幸郎さんがスイッチを押して言葉を綴っていく(撮影/横浜大輔)

 巻子さんは事故当時62歳でした。女性の平均寿命は86歳なので、本来、余命は24年として損害額が算出されるはずです。

 ところが、松尾さんによると、損保会社は何の落ち度もなく重い障害を負った巻子さんに対して、将来の介護や医療にかかる費用、巻子さんが元気で働ければ得られたであろう収入(逸失利益)を大幅減額したうえで示談提示をしてきたというのです。

「加害者もいざという時のために対人無制限の保険をかけているはずです。それなのに、なぜこんなことがまかり通るのか? 対人無制限とは何のためにあるのか……。結局、私は妻の介護をしながら、保険会社を相手に民事裁判を起こすしかなかったのです」(松尾さん)

 事故から3年4カ月後、富山地方裁判所は、損保会社側の主張を却下し、平均寿命までの24年分の損害をすべて認め、約(2億5000万円の支払いを認める判決を下しました。もし、松尾さんが訴訟をせずに示談に応じていたら、億単位の減額に甘んじる結果になっていたのです。

 ちなみに、事故で寝たきりになった被害者については、他にも平均寿命までの介護費用等を認める判例が多数あります。万一、同じような状況になった場合、裁判を起こして、しかるべき立証を行えば勝訴できるはずです。

事故以来、毎日記録し続けた「入院日記」を手にする現在の松尾幸郎さん。25冊にのぼるこのノートは、夫妻の闘いの記録です(アメリカ・アルバカーキーの自宅にて筆者撮影)
事故以来、毎日記録し続けた「入院日記」を手にする現在の松尾幸郎さん。25冊にのぼるこのノートは、夫妻の闘いの記録です(アメリカ・アルバカーキーの自宅にて筆者撮影)

■損害が大きいほど、損保は支払いを抑えるのか?

 松尾さんは、巻子さんを5年前に亡くした後、長女の住むアメリカに終の棲家を求めて移住しました。あの事故さえなければ、夫妻の故郷である富山で、穏やかな老後を過ごされていたことでしょう。

「妻の巻子は、損保会社が主張した『4.4年しか生きられない』という年限を超えて、事故後8年間、頑張って生きてくれました。もしあのとき、損保の理不尽な主張を受け入れていたら……、そう思うと恐ろしくなります。私は被害者の立場になってみて、初めて日本にはびこる不公平な仕組みに気がつきました。おそらく、私と同じことを訴えたいと思っている声なき声が、何万、何十万とあることでしょう。とにかく、万一事故に遭われたら、損保の一方的な示談提示には安易に応じないよう気をつけてください」

 交通事故はその大半が『示談』で解決されています。しかし、後藤さんや松尾さんのケースからもわかるように、損害が大きくなればなるほど、損保の査定額と裁判所の認定額の間に大きな格差が生じるケースが少なくないことを知っておくべきでしょう。

「何のための対人無制限なのか……」一瞬の事故で全身まひとなった妻を介護しながら、損保の理不尽を訴え続けた松尾幸郎さん(撮影/横浜大輔)
「何のための対人無制限なのか……」一瞬の事故で全身まひとなった妻を介護しながら、損保の理不尽を訴え続けた松尾幸郎さん(撮影/横浜大輔)