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デボラ・ボーナム&ピーター・ブリック/歌い上げる“永遠の詩”【後編】

山崎智之音楽ライター
Deborah & Peter / photo David Cunningham

アルバム『Bonham-Bullick』を発表したボーナム=ブリックのデボラ・ボーナム(ヴォーカル)とピーター・ブリック(ギター)へのインタビュー、全2回の後編。

前編記事ではアルバムについて、そしてデボラの兄であるレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムの思い出を語ってもらったが、今回はピーターにも注目。ポール・ロジャースがフリーの名曲を再現するライヴで“ポール・コゾフ役”に抜擢されたというギターの名手が自らのキャリアを語る。また、デボラに今後のレッド・ツェッペリン再結成の可能性も訊いてみた。

Bonham-Bullick『Bonham-Bullick』ジャケット(Quarto Valley Records/現在発売中)
Bonham-Bullick『Bonham-Bullick』ジャケット(Quarto Valley Records/現在発売中)

<ベルファストの人々は鬱屈した怒りを音楽に込める>

●ピーターはいつ、どこで生まれたのですか?

ピーター:1964年、ベルファストで生まれたんだ。1969年に北アイルランドの紛争が大規模になって、火炎瓶がいつ飛んでくるか判らない外で遊ぶよりも、家にいることが多かった。それで3歳年上の叔父にギターを教わったんだ。フリーのポール・コゾフ、ミック・ロンソン、ピーター・グリーンなどに憧れて、いつかギブソン・レスポールを手に入れることを夢見ていた。ロリー・ギャラガー、ジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレンからも影響を受けたけどね。

●ベルファストといえば数多くのロック・ギタリストを輩出していますね。

ピーター:うん、ゲイリー・ムーアやシン・リジィの初代ギタリストのエリック・ベルはベルファスト出身だし、ロリー・ギャラガー率いるテイストも初期はベルファストを活動拠点としていた。政情不安のせいもあって、1960年代から1970年代のベルファストの人々には鬱屈した怒りがあったんだ。それが音楽に込められていたんじゃないかな。ベルファスト出身ではないけど、ホースリップスのジョニー・フィーンはケルティック・ロックを代表するギタリストで、影響を受けたよ。長髪でレスポールを持って、フォーク・ミュージックのブルース・ギターを載せたようなギターを弾いていた。

●同じく北アイルランド出身のパット・マクマナスも、ホースリップスから多大な影響を受けたと話していました。

ピーター:パットも素晴らしいギタリストだし、最高のトーンをしていたね。彼は俺より2歳ぐらい年上で、似たようなアーティストを聴いて育った世代だと思う。パットが14歳ぐらいのとき、ママズ・ボーイズのライヴを見たことがあるよ。UFOのオープニング・アクトだったんだ。ドラマーは彼の弟のトミーで、当時11歳ぐらいだった。

●1970年代後半から1980年代初めのイギリスのヘヴィ・メタル・ブーム(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル=N.W.O.B.H.M.)は通過しましたか?

ピーター:N.W.O.B.H.M.時代のバンドでプレイしてはいなかったけど、いろんなバンドを好きだったよ。UFOやマイケル・シェンカー・グループのファンだったし、ランディ・ローズに憧れていた。...俺はベルファストからロンドンに来て、パディ・ゴーズ・トゥ・ホリーヘッドというバンドでやってきたけど、プレイング・マンティスのティノ&クリスのトロイ兄弟もメンバーだったんだ。彼らとは長い友人だし、プレイング・マンティスの『ア・クライ・フォー・ザ・ニュー・ワールド』(1993)でバック・ヴォーカルをやっているよ。彼らの音楽には厚みのあるヴォーカル・ハーモニーが必要だから、頼まれたんだ。

●同郷のゲイリー・ムーアと交流はありましたか?

ピーター:ゲイリーのライヴは何回か見に行ったけど、最も思い出に残っているのは1990年代前半、ロンドンの小さなジャズ・クラブでのスペシャル・ショーだった。B.B.キングがゲスト参加して、撮影されていたのを覚えている(1992年11月、ロンドンの“タウン&カントリー・クラブ”)。その頃、俺はモ・フォスターと作業していて、彼が招待されていたけど、彼の奥さんが行けなくなったんで、代わりに俺が付いていくことになったんだ。ショーの後、お客さんを出した後のステージで、ゲイリーの“ピーター・グリーン・レスポール”を弾かせてもらったよ。もちろんゲイリーの許可をもらってね!「ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド」のイントロを弾いて、もう天国にいる気分だった。それからB.B.のギター“ルシール”がまだステージ上に置いてあるのに気づいて、ゲイリーの方をチラッと見たら「いいんじゃない?」と言うんで、少しだけ弾かせてもらった。恐れ多くて、すぐ元に戻したけどね!それから何度かゲイリーとは楽屋で話したりした。たまたま同じラジオ番組に出演した後、ビールを飲み交わしたこともあるよ。デボラや俺に対してはいつもフレンドリーだったし、彼が亡くなってしまって残念だよ。

●他に交流のあったミュージシャンは?

ピーター:ロンドンの“サン・モリッツ”クラブでリッチー・ブラックモアと会ったことがあるんだ。1992年ぐらいだったと思う。その日は挨拶して、翌日デボラと行ったらまたいたから、彼女を紹介した。「君のお兄さんとは何度も会ったよ」とリッチーが言って、デボラが彼が誰か気付かずに「あら、あなたも音楽をやっていらっしゃるの?」と訊き返したのはビックリしたよ。だって天下のリッチー・ブラックモアだぜ(笑)!

デボラ:気が付かなかったのよ。誰か別のリッチーさんだと思った(笑)。『For You And The Moon』のレコーディングはフランクフルトの“ホットライン・スタジオ”でやって、共同オーナーが元レインボーのトニー・ケアリーだった。トニーはアルバムでベースも弾いていて、スタジオの壁にレインボーの写真も貼ってあったけど、その写真とはリッチーの外見が変わっていたのよ。

●ピーターはレッド・ツェッペリンのライヴを見たことはありますか?

ピーター:俺がレッド・ツェッペリンを見ることが出来たのはロンドン“O2アリーナ”での再結成ライヴだけだった(2007年12月10日)。伝説に相応しい凄いパフォーマンスだったし、ジェイソンのドラムスも最高だった。ちょうどデボラのアルバム『Duchess』(2008)を作っているときだったんだ。彼らと同じ“アトランティック・レコーズ”から発売されたんだよ。アルバムでジェイソンにドラムスを叩いてもらっているから、彼らのリハーサル・スタジオまで彼を迎えに行って、見学させてもらったりした。

Bonham-Bullick Band / photo by David Cunningham
Bonham-Bullick Band / photo by David Cunningham

<レッド・ツェッペリン再結成が実現するならば...>

●ボーナム=ブリック・バンドとして、最近ライヴはやっていますか?

デボラ:新型コロナウィルスのせいで2年近くステージに上がることが出来なかったけど、今年(2022年)1月と3月にロンドンでライヴをやったわ。ずっと溜め込んできたエネルギーを放出して、感無量だった。4月下旬からイギリスとヨーロッパをツアーするし、ぜひ日本でもライヴをやりたいわね。...実は子供の頃、一晩だけ日本を訪れたことがあるのよ。1969年か1970年、7歳か8歳の頃に、家族とニュージーランドの伯母に会いに行くのに、経由地の東京で一泊した。誰もが親切で、素晴らしい経験だったわ。...レッド・ツェッペリンが初めて日本でツアーをやったのはいつ?

●1971年9月です。

デボラ:じゃあジョンよりも先に私が日本を訪れたことになるわね(笑)。兄は日本でカメラを買って、たくさん写真を撮っていたわ。

●世界中のファンはもう一度レッド・ツェッペリンが再結成ライヴを行うことを祈っていますが、あなた達はどう考えていますか?

ピーター:そりゃもちろん、俺だって彼らのライヴを見たいよ。彼らが望むならば、実現させて欲しいね。

デボラ:ロバート、ジミー、ジョンがハートの奥底から求めるものであれば、私もそれを願っているわ。そして、もし実現するならば、ドラマーはジェイソンであるべきだと思う。ジョン・ボーナムのドラミングを最も正しい形で受け継いでいるのは彼だし、最高のロック・ドラマーだからね。レッド・ツェッペリンの音楽は“永遠の詩”、The song remains the sameなのよ。

【デボラ・ボーナム公式サイト】

https://www.deborahbonham.com/

【最新アルバム】

Bonham-Bullick『Bonham-Bullick』

Quarto Valley Records

https://blues.quartovalleyrecords.com/deborah-bonham/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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