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トマホークが8年ぶりの新作『トニック・イモビリティ』を発表。デュエイン・デニソンが語る

山崎智之音楽ライター
Tomahawk / photo by Eric Livingston

オルタナティヴ・ロックのスーパーグループ、トマホークが2021年、8年ぶりとなる新作アルバム『トニック・イモビリティ』を発表した。

マイク・パットン(ヴォーカル/フェイス・ノー・モア、ミスター・バングル他)、デュエイン・デニソン(ギター/ザ・ジーザス・リザード)、トレヴァー・ダン(ベース/ミスター・バングル、ファントマス)、ジョン・ステニアー(ドラムス/ヘルメット、バトルズ)という布陣で1999年に始動、これが通算5作目のアルバムとなる。メンバーそれぞれが別バンドでも活動、別の地域に住んでいるが、デュエインは「それが長くバンドを続ける秘訣だよ」と笑う。

「俺はナッシュヴィル、マイクはサンフランシスコ、トレヴァーとジョンはブルックリンに住んでいる。集まってジャムをするのは難しいけど、少し距離があった方がお互いの存在の有り難さが判るんだ。みんな妥協のないミュージシャンだし、近所に住んでいたらすぐ解散していたかもね」

「アルバムごとに音楽性は変わるけど、“音=トーン”は不動だ」という『トニック・イモビリティ』について、デュエインに訊いてみよう。

Tomahawk『Tonic Immobility』(ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ 現在発売中)
Tomahawk『Tonic Immobility』(ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ 現在発売中)

<変わってしまった世界には、変わってしまった音楽が必要>

●『トニック・イモビリティ』はストレートなロック・アルバムを装いながら、聴くほどに新しい発見のあるディテールにこだわった作品です。前作『オッドフェロウズ』(2013)から8年ぶりの新作ですが、あなたの心理状態はどのように異なるでしょうか?

心理状態はかなり異なるね。というのも、自分を取り巻く環境が一変したからなんだ。『オッドフェロウズ』は2013年の初めにリリースして、それからツアーして...それが日常だった。今ではその日常が手の届かないものになってしまったんだ。音楽の聴き方はストリーミングが主流だし、新型コロナウィルスのせいで外に出ることも出来ない。ドナルド・トランプが大統領だった4年間は世界に不必要な波紋を巻き起こした。それから大統領選があって、国会議事堂が暴徒に占拠されて...変わってしまった世界では、変わってしまった音楽が必要なんだ。

●4年前にアルバム用の曲を書き上げて、マイク・パットンのスケジュールが空かなくて完成が遅れてしまったそうですが、実際の作業はどのようなものでしたか?

実際には俺が曲のアイディアを書き始めたのが4年ぐらい前だった。それを全員に聴かせて、話し合って、アルバムの全体像のヴィジョンを固めたんだ。マイクだけでなく全員が忙しかったけど、ヴィジョンを共有していたし、俺とトレヴァー、ジョンの3人でベーシック・トラックのレコーディングに入ることが出来た。ナッシュヴィルでレコーディングして、オーヴァーダブをやって、ラフ・ミックスまで仕上げてから、マイクに送ったんだ。それに彼がヴォーカルを乗せて、それに対して俺たちが「ここはこうしてみたら良いんじゃない?」とコメントしたり、意見をキャッチボールしながら仕上げていったんだよ。だから完成された状態の音源をずっとリリースしなかったとか、そういうわけではない。このアルバムの出来には、とてもハッピーだ。ミュージシャンというものは作品に100%満足することはあり得ない。必ずああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔するものなんだ。でも『トニック・イモビリティ』はそれが少ないし、バンド4人全員がとても気に入っているよ。

●「ドゥームズデイ・ファティーグ」の歌詞には“COVIDスマイル”という描写もありますが、現代の世相はアルバムにどのような影響を与えましたか?

俺たちが作っていたのはおおよそストレートなロック・アルバムだったけど、世界のエクストリームな状況がサウンドに反映されていると思う。それは社会的な面もそうだし、新型コロナウィルス、地球温暖化...どこにも逃げ場がない閉塞感があるんだ。それが確実にアルバムに反映されているね。

●トマホークはそもそも寡作で、ここ20年間で5枚しかアルバムを出していませんが、どんなタイミングで「さあ、アルバムを作ろう!」となるのですか?

トマホークのアルバムは、出来るときに出来るんだよ。そうとしか答えようがないな。2013年にトマホークとしてのツアーを終えて、その後ザ・ジーザス・リザードもライヴ活動を始めた。他のみんなもそれぞれの活動をしていたんだ。その間にも俺は少しずつ曲のアイディアを書き溜めていた。それで他のメンバー達に「最近のスケジュールはどう?新しいアルバムを作ろうよ」って持ちかけたんだ。鉄は熱いうちに打とうってね。マイクも「最高だ!やろうぜ」と言ってくれた。ただ彼のスケジュール調整が難しく、後から合流することになったんだ。かなりの時間がかかったけど、このアルバムが良いものになると確信していた。アルバムを発売するタイミングも、ジャストだったと思う。誰もがそろそろ自宅待機に飽きた時期だし、新しい音楽をみんなに聴かせて、少しでも楽しんでもらいたいんだ。

●『トニック・イモビリティ』の音楽性を、新作を待ちわびていたファンにどのように説明しますか?

トマホークの原点に立ち返ったアルバムだよ。最初の2作『トマホーク』(2001)と『ミット・ガス』(2003)は、比較的間を置かずに発表した作品で、バンドのアイデンティティを確立した。『アノニマス』(2007)はちょっと迂回して、異なったことをしてみたアルバムだった。『オッドフェロウズ』(2013)で徐々に原点へと戻り始めて、『トニック・イモビリティ』で着地した感じかな。ただ、昔やったことの焼き直しではない。王道トマホーク・サウンドをアップデートした音楽性だ。音の隙間が効果的に使われていて、プロダクションも異なっている。それでいてシネマチックなロックという点では共通しているんだ。

●あなたはトマホークに加えてザ・ジーザス・リザード、ザ・レジェンダリー・シャック・シェイカーズ、ハンク・ウィリアムスIII世などと活動してきましたが、曲を書くときはどのバンド向けかイメージしていますか?

曲を書くとき、誰かが歌っているのを想像するんだ。リフやコード進行が複雑で、ひとクセある曲だと、マイクをイメージすることが多い気がする(笑)。とは言ってもザ・ジーザス・リザードでは長いあいだ新曲を書いていないし、シャック・シェイカーズやハンクIIIではもう活動していないんだ。だから最近書いた曲の多くはトマホーク向けだよ。

●曲を他のメンバーに初めて聴かせるとき、どの程度完成に近づいていますか?

かなり完成に近い段階まで書いている。トマホークでは基本的に俺が曲を書いて、マイクが歌詞とヴォーカル・メロディを書くんだ。だから第1ステップとなるのは俺のデモなんだ。それで全員で集まって、何度も繰り返し手直ししていく。2週間ぐらいかけて幾つものヴァージョンを作って、最終的な完成形まで持っていくこともあるよ。ただ「タトゥー・ゼロ」の中間部のインストゥルメンタル・パートはリズム・セクションと一緒に発展させていったし、「SHHH!」ではマイクがアトモスフェリックなヴォーカルを入れて、デモとは異なった効果を出していた。良いアイディアに対しては常にオープンだよ。

●「サイドワインダー」はアトモスフェリックに始まって、ヘヴィになって、ロマンチックなラウンジ/クルーナーっぽいスタイルに変化していきますが、そんな目まぐるしい展開は曲作りのどの段階で成り立つのですか?

トマホークは基本的にロック・バンドだけど、常にそれ以外の要素も持ち備えてきたんだ。ボサノヴァやラウンジ、ラテン...マイクの歌声はR&B的だから、その要素も加わることがある。そんな“何でもあり”の姿勢が、トマホークというバンドの全作品を貫く一貫性なんだ。それにヴォーカル・ハーモニーやメロディ、コード進行、そして音の選び方にもトマホークならではの個性があるよ。「ドッグ・イート・ドッグ」も“何でもあり”の産物だよ。ハードなロックだけどユーモアがあって、現代の競争社会も描いている。一筋縄では行かないんだ。

●「ヴァレンタイン・シャイン」などで、あなたのトレードマークのひとつである鋭く突き刺さるギターがフィーチュアされていますが、ギター・プレイにはどのようにアプローチしましたか?

過去作と較べて、それほど大きく異なることはやっていないんだ。ただ、サウンド面ではより多彩なことをやっているかもね。今回はナッシュヴィルでレコーディングしたから、自宅にある機材をすべて使うことが出来た。プロデューサーのポール・アレンもナッシュヴィル在住で、ギタリストでもあるから、ありとあらゆる機材を使わせてくれたよ。ただ、あまりギター・サウンドを雑多にしたくなかったんだ。いろんなバンドが参加しているコンピレーション・アルバムみたいにしたくなかった。だから使う機材を絞ったんだ。

Duane Denison / photo by Elizabeth Gregory
Duane Denison / photo by Elizabeth Gregory

<次のザ・ジーザス・リザードの日本公演ではオール新曲のライヴをやってもいい>

●『トニック・イモビリティ』ではどんなギターを弾きましたか?

エレクトリカル・ギター・カンパニー(EGC)のアルミ製ギター“デュエイン・デニソン・チェシー”シグネチャー・モデルを主に弾いた。それからトマホークの最初の2枚で弾いたギブソンES-135セミホロー・ボディ、そしてシェクターのソロ-IIを弾いた。P-90ピックアップを付けていて、韓国製だと思う。3本それぞれ異なったサウンドのギターだよ。

●EGCはあなたやバズ・オズボーン(メルヴィンズ)、アーロン・ターナー(アイシス、スーマック)など、個性の強いギタリストがエンドースしていますね。

そうだな(笑)。みんな“普通でないもの”を求めるタイプだよ。アルミ製のギターは決してメインストリームではないけど、昔から存在してきたんだ。1970年代終わりから1980年代初めには初期のクレイマーがアルミ製のネックを作っていたし、1990年代にはトラヴィス・ビーンがやはりアルミ製ネックのギターを作ってきた。そして現代のEGCと、世代を経るごとに洗練されてきたんだ。最近のものは軽くなってきたし、腰にも優しいよ。アルミ製ボディとハムバッカーやP-90のピックアップは相性が良くて、独特のクリアーなサウンドを得ることが出来るんだ。アルミに慣れてしまうと、木製ボディとハムバッカーの組み合わせは濁ってノイジーなサウンドに感じることがある。とはいっても、トラディショナルな木製ギターにはアルミ製には得られない温かみもあって、やはり気に入っている。だからアルバムでは両方を併用しているんだ。

●アルバムのどのあたりでEGCのサウンドを判りやすく聴けるでしょうか?

「ヴァレンタイン・シャイン」のギター・ソロはEGCだよ。それから「ドッグ・イート・ドッグ」、「ドゥームズデイ・ファティーグ」のリヴァーブがかかったトワンギーなパートでも弾いている。

●ザ・ジーザス・リザードを再結成してライヴを行っていましたが、ニュー・アルバムの可能性はありますか?

決して不可能ではない。具体的な予定はないけど、将来的に作る可能性は十分にあるよ。もし君がザ・ジーザス・リザードのジャパン・ツアーをブッキングしてくれたら、必ず新曲をプレイするよ!各都市で2回公演をやって、1回は昔からのクラシック・ジーザス・リザード、もう1回はオール新曲のショーをやりたいね。日本には1994年にフェスティバル(“イグアナラマ”10月)、1996年に単独ツアーで行ったんだ。前回日本に行ったとき、プロモーターの女性スタッフに食事に連れていってもらったのを覚えている。「どんな所に行きたい?」と言うから、「ドイツのインダストリアル・ミュージックだけをかけるバーに行きたい」とリクエストしたら、見つからないと言われて、代わりにボサノヴァ・バーに連れていってもらった。壁がヒョウ柄だったりして、すごくクレイジーだったよ。 彼女は「インダストリアル・バーが見つからなくてごめんなさい」と謝っていたけど、とんでもない!最高だった。あのバーが今でもあるなら、また行きたいね。もう25年前で、名前も覚えていないけど... バンドを再結成させてから、まだ日本に行っていないし、ぜひ行きたいね。

●アメリカでのライヴでは新曲をプレイしたりしているのですか?

いや、まだ人前でプレイ出来るような新曲を完成させていないんだ。でもアルバムを作ることになれば、幾つもあるアイディアを曲にしていくよ。比較的最近のライヴでは『ショット』(1996)や『ブルー』(1998)など、メジャーの“キャピトル・レコーズ”から出したアルバムの曲をプレイすることがある。コアでないファンは「新曲?」と思ったりしているようだ。

●ところで元ミニストリーのポール・バーカーとのバンドU.S.S.A.としてアルバム『The Spoils』(2007)を発表しましたが、あのプロジェクトはもう終わりですか?

うーん、あのアルバムには良い曲が入っていたし、気に入っているけど、あの時期はとにかくアンラッキーだった。アルバムは売れなかったし、ツアーもまともにプロモーションされなかった。それに加えて、俺がスピーカー・キャビネットを持ち上げようとして、ヘルニアをやってしまったんだ。手術をする必要があったんだ。ポールは才能あるミュージシャンだし友人だけど、今すぐU.S.S.A.をやろうという気分ではないな。

●あなたは“ミニストリー・ファミリー”の一員でもあり、リヴォルティング・コックスやピッグフェイスでもプレイしましたが、最近でも彼らとの交流はありますか?

最近はご無沙汰しているね。15年ぐらい前にミニストリーがテネシーでライヴをやったときに見に行って、バックステージで「やあ!」って挨拶したけど、アル・ジュールゲンセンともそれ以来話していないよ。彼も俺も別のことをやっていて忙しいし、たまたま人生の道が交差しなかったんだ。

●あなたがピッグフェイスで同僚だったビル・リーフリンはミニストリー〜R.E.M.〜キング・クリムゾンなどでの活動で知られていますが、2020年3月24日に亡くなってしまいました。彼とはどんな思い出がありますか?

ビルは友人だったし、素晴らしい人間だった。彼がいなくなって寂しいよ。彼は常に新しいことに挑戦していた。音楽だけではなく、人生のさまざまなことについてチャレンジ精神を持っていたんだ。俺の周りで最初に太極拳を始めたのがビルだった。それに俺の知っている人で初めてフォーを食べたのがビルだったんだ。1990年代の初めで、俺は正直、名前すら知らなかった。でも「フォーは美味しいしヘルシーだよ」と言って勧めてくれたんだ。今では俺もフォーは好物だよ。ビルは俺より背が低かったけど、俺とほぼ同時に白髪が生え始めたんだ。それでたまに「君たち、兄弟?」とか訊かれたよ。ビルはイケメンだから、似ているなんて言われて嬉しかったな(笑)。

●ビルはあらゆるスタイルのバンドで活動してきましたが、彼のベスト・プレイを挙げるとしたら?

ミニストリーの『ザ・ランド・オブ・レイプ・アンド・ハニー』(1988)だな。「スティグマータ」「ザ・ミッシング」などは音楽として革命的だったし、ビルのドラミングがさらに素晴らしいものにしていた。

●2014年にやったアレクサンダー・ハッケ(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、ブライアン・コッツァー(シルヴァー・ジューズ、カントリー・ウェスタンズなど)とのバンド、ジ・アンサンブル(The Unsemble)はどのようにして始まったのですか?

1990年代、ザ・ジーザス・リザードがベルリンでショーをやると、ノイバウテンのアレクサンダーが必ず見に来ていたんだ。彼はデヴィッド・ヤウとデヴィッド・シムズがスクラッチ・アシッドでやっていた頃から友達で、連絡を取り合っていた。その後、アレクサンダーはよくアメリカを訪れるようになった。ニューヨーク、シカゴ、それからカリフォルニアとかね。俺が住んでいるナッシュヴィルにも来たよ。彼はあらゆる音楽に対してオープンで、カントリー・ミュージックも好きだからね。彼がオフのときに、一緒に何かやってみようという話になって、共通の友人でナッシュヴィルに住んでいるドラマーのブライアンにも声をかけた。アルバム『The Unsemble』の半分ぐらいは俺がラフなアイディアを提供したんだ。そして残り半分は3人でインプロヴィゼーションで作っていった。アルバムはとても気に入っている。でもインタビューなどで訊かれることが滅多にないし、もっと日本の音楽ファンに知ってもらいたいんだよ!ブライアンと俺はナッシュヴィルに住んでいるし、アレクサンダーとはいつもSNSで連絡を取り合っている。ブライアンはハーモニー・コリンの映画で音楽をやったり、俳優としても出演したことがあるんだ(『Trash Humpers』/2009)。ハーモニーもナッシュヴィル在住で、よく地元の喫茶店で見かけて、友達になったよ。彼はメタル・ファンでもあるんだ。ずいぶん前だけど、「良いバンドがいる」ってハイ・オン・ファイアーを教えてくれたよ。彼はザ・ブラック・キーズのビデオを監督したり(「ゴールド・イン・ザ・シーリング」)、いろんな音楽に詳しいんだ。

●しかし豪華な顔ぶれですね。

うん、ナッシュヴィルはまさに“音楽の都”なんだ。ジャック・ホワイト、ザ・ブラック・キーズ、キングズ・オブ・レオン、そして俺もいる(笑)。元々はカントリー・ミュージックが主流だったけど、今ではあらゆる音楽が盛んだ。他の都市から異なったジャンルのミュージシャン達が引っ越してきて、アンダーグラウンドなロックやジャズ、レゲエ...何だってあるよ。

●今後の予定を教えて下さい。

新型コロナウィルスのせいで長期のツアーはまだ難しそうだし、新しい曲を書こうと考えている。特定のバンドやプロジェクト向けではなく、幾つもアイディアを書き溜めて、いろんなバンド用に発展させられたら良いね。世界が平常に戻ったらすぐにでもツアーに出られるように、腕が鈍らないようにしているよ。

なお、トマホークと同じ“イピキャック・レコーズ”から新作『ワーキング・ウィズ・ゴッド』を発表したメルヴィンズへのインタビュー記事も同時公開しているので、そちらもチェックいただきたい。

Tomahawk / courtesy Big Nothing Co. Ltd
Tomahawk / courtesy Big Nothing Co. Ltd

【最新アルバム】

トマホーク

『トニック・イモビリティ』

BIG NOTHING IPC235CDJ[CD/国内流通仕様]

【日本レーベル公式サイト】

http://bignothing.blog88.fc2.com/blog-entry-11309.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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