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マーティン・バー、ジェスロ・タルのデビュー50周年を祝うライヴ作を発表【前編】

山崎智之音楽ライター
Martin Barre / courtesy of Martin Barre

マーティン・バーがニュー・アルバム『50 Years Of Jethro Tull』を海外で発表した。

ブリティッシュ・ロックの伝説的バンド、ジェスロ・タルのギタリストとして1969年から2011年の活動停止まで活躍、数々の名盤でプレイしてきたマーティンだが、この新作では「ロコモーティヴ・ブレス」や「日曜日の印象 My Sunday Feeling」など初期の有名曲からアルバム未収録曲までをリメイク。オリジナルの魅力を生かしながら、21世紀のヴァージョンにアップデートしている。

全2回でお届けするインタビュー記事、まず前編は『50 Years Of Jethro Tull』とマーティンの“現在”について訊いた。

『50 Years Of Jethro Tull』ジャケット(The Store For Music / 現在発売中)
『50 Years Of Jethro Tull』ジャケット(The Store For Music / 現在発売中)

<ジェスロ・タルは名曲が多すぎて、CD2枚組になってしまった>

●あなたの名前の正確な発音を教えて下さい。日本で表記されてきたマーティン・バレですか?それともバー?

マーティン・バーが正しい発音だよ。元々はフランスの家系だから、昔はバレと発音したかも知れないけど、今ではイギリス暮らしだし、バーというのが正解だ。

●フランス系なのにミドル・ネームが円卓の騎士の1人であるランスロットという、いかにもイギリス的なものだというのが面白いですね。

そうだね(笑)。私の先祖はルイとか、フランスっぽい名前だったけど...ランスロットは父親の名前で、私の息子のミドル・ネーム、そして私の孫のミドル・ネームでもあるんだ。バー一族にこの名前を残そうとしているんだよ。Lancelot ランスローというのは中世からフランスにある名前でもある。イギリスとフランスには歴史的に長い交流があるから、共通する名前も多いんだ。

●『50 Years Of Jethro Tull』を制作することにした経緯を教えて下さい。

2018年はジェスロ・タルのファースト・アルバム『日曜日の印象 This Was』(1968)の発表から50周年という大きな節目だった。レコード会社が何かやってくれるかと思ったけど、特に何も起こらなかったんだ。新しいボックス・セットも出なかったし、イアン・アンダーソンとの再結成ツアーのオファーもなかった。まるでジェスロ・タルが過去の遺物になってしまったようで正直、悲しかったね。私がバンドに加入したのが1969年だったから、2019年にはスペシャルなことをやろうと考えたんだ。ファンと一緒にアニヴァーサリーを祝いたかった。それでジェスロ・タルが50年のあいだに発表してきた曲を、新しいヴァージョンで再録音することにしたんだよ。マーティン・バー・バンドの北米ツアー中、日程が空いているオフ日が2日あったんで、コネチカット州ノーウォークの“ファクトリー・アンダーグラウンド”でスタジオ・ライヴ形式でレコーディングした。それからイギリスに戻ってきてから、アコースティックのパートを録ったんだ。

●ジェスロ・タルの膨大なバック・カタログから、どのように選曲したのですか?

すごく悩んだよ。ファンの数だけ異なった曲のリクエストがあるから、どの曲をレコーディングするか、候補のリストを作った。最終的に、新旧のバランスを取りながら、自分がやりたい曲を選んだよ。ジェスロ・タルは名曲が多すぎて、2枚組CDになってしまったけどね。今回、代表曲のひとつ「アクアラング」は収録しなかったんだ。既にいろんなヴァージョンが世に出てきたし、他の曲を入れようと考えた。「ロコモーティヴ・ブレス」もお馴染みの曲だけど、いつもとは異なったアレンジにして、サプライズにしたかったんだ。「オリジナルと同じように演奏しろ」という批判もあるけど、自分自身に刺激を与えたかった。

●CD-2の曲でアレックス・ハートとベッカ・ラングフォードの女声ヴォーカルがジェスロ・タルの曲に見事にフィットしているのに驚かされます。

オリジナルは一本足で立ってフルートを吹く、ヒゲを生やした男が歌ったものなのにね(笑)。本当に美しいサウンドだから、イアンもきっと喜んでくれると思うよ。彼女たちはライヴでバック・ヴォーカルを担当している。住んでいるのはイングランドの南西部で、私の近所でもあるんだ。まだあまり有名ではないけど、素晴らしい声をしているし、とてもハード・ワーキングだから、きっと成功すると信じている。私のバンドでやっていくには条件があるんだ。音楽の能力があることと、友達として付き合っていけることだよ。ファミリーとして世界を一緒に回るんだし、仲良くなければやっていられない。それは私が半世紀のキャリアで学んだことだ。

●男声ヴォーカルのダン・クリスプは?

ダンとはもう10年以上前からやっているけど、独自のスタイルを持った素晴らしいシンガーだし、ジェスロ・タルの曲も歌うことが出来る。それに彼は信頼出来る友人だよ。『50 Years Of Jethro Tull』ではもう1人、60年来の友人で、最初のバンドで一緒だったジョン・カーターが「ウェイキング・エッジ」で歌っている。実は他にも何人かゲストに歌ってもらうつもりだったけど、ギャラが高かったり、スケジュールが合わなかったりで、もう有名人は要らないから身内で固めることにしたんだ。唯一の“ゲスト”であるジョンにしても古い友達だし、ファミリー・アルバムなんだよ。

●あなたがジェスロ・タルに加入する前のファースト・アルバム『日曜日の印象This Was』(1968)からの曲もプレイしていますが、それは何故でしょうか?

「日曜日の印象 My Sunday Feeling」や「ジェフリーへ捧げし歌 A Song For Jeffrey」、「ラヴ・ストーリー」などはいずれも私が加入してからもライヴでプレイしてきたし、バンドのひとつの時代を代表する曲だ。「ジェフリー〜」は1990年代にチャリティ・アルバムでやった新しいアレンジでプレイしているんだ。私なりのアレンジを加えたし、良い出来になっているよ。

●「ホーム」「アンダー・ラップス」で聴くことの出来るフルートはあなたが吹いているのですか?

うん、私だよ。学生時代、イアンと出会う前からフルートを吹いていたんだ。最近でもフルートは吹いているし、日本のアルタス(Altus)のハンドメイド・フルートを買ったばかりだ。日本製のフルートは世界で最高だよ。ただ新型コロナウィルスのせいで工房が閉鎖になって、今買おうとしたら2年ぐらい待たねばならないらしい。これから自宅でもっと練習して、検定を受けたりするつもりなんだ。ボケ防止のためにもね(笑)。

●ジェスロ・タルでもフルートを吹いたことはありますか?

うん、少し吹いたことがある。加入した直後、1969年にはライヴでフルート・バトルもしていたんだ。当時の雑誌のレビュー記事で、私の方が勝っていたと書かれたよ(笑)。まあ、2人とも褒められたものじゃなくて、単に私の方が講師からレッスンを受けていて、きれいな音を出していたというだけだったけどね。ただ、マネージャーはイアンをもっとロック・フルート奏者として売り出したかったんで、私を呼び出して「これからはギターに専念して欲しい」と言ってきた。それからもたまに吹いていたけど、あまり目立たないようにしていたよ。

●片脚立ちでフルートを吹いたことはない?

意識してそうしたことはないよ。ライヴ中に靴に小石が入ったときは片脚立ちになったかも知れないけどね(笑)。

Martin Barre / courtesy of Martin Barre
Martin Barre / courtesy of Martin Barre

<私たちがいなくなった後も、ジェスロ・タルの音楽は聴き継がれる>

●アルバムに前後して発表されるライヴ映像作品『Live At The Wildey』について教えて下さい。

『Live At The Wildey』は『50 Years Of Jethro Tull』と同じくジェスロ・タルの50周年アニヴァーサリー作品で、歴代の代表曲を演奏しているけど、イリノイ州エドワーズヴィルの“ワイルディ”という会場でのライヴを収録したものなんだ(2018年11月3日)。このライヴでは「アクアラング」「クロス・アイド・メアリー」などもプレイしていて、見ることが出来るよ。このタイミングで撮影しておいて、本当に良かったと思う。今ではツアーをやることも出来ないし、ステージの熱気を再体験出来るのはDVDだけだからね。演奏の内容はもちろん、会場のサウンドもとても良いんだ。その前のツアーでも同じ会場でプレイして、ぜひここでライヴ・アルバムかDVDを作ろうと考えた。ジェスロ・タルのメンバーだったディー・パーマーとクライヴ・バンカーも参加しているし、バンドの歴史のひとつのモニュメントだよ。今回出る『50 Years Of Jethro Tull』拡大ヴァージョンに収録されているボーナス4曲はDVDと同じソースの音源なんだ。

●現時点で予定されているツアーは?

2021年3月から『アクアラング』の50周年ツアーを開始するんだ。北米、イギリス、ヨーロッパでの日程が決まっている。なんとか実現出来るといいね。日本に行けるとしたら2022年の早めかな? 新型コロナウィルスのせいで今年(2020年)11月の大洋州ツアーが延期になって、スケジュールを再調整しているところなんだ。その前後に日本公演を入れたいと考えている。もちろん日本のプロモーターがオファーしてくれたら...という条件が付くけどね。

●あなたの新作ソロ・アルバムも期待出来るでしょうか?

うん、曲を書き溜めているところだよ。私に出来ることは音楽だけだからね。ツアーが出来なければ、曲を書いて、レコーディングするしかないんだ。ただ、『50 Years Of Jethro Tull』は出たばかりだし、次の作品まで少し時間を置きたいから、リリースは早くとも2021年の後半だろうね。それに前作『Roads Less Travelled』(2018)もまだ棚にしまうには早いと思う。とても良いアルバムだと思うし、もっとライヴで演奏したいんだ。

●一方、あなたがイアン・アンダーソンと再合体する日を楽しみにしているファンが世界中にいますが、その可能性は低いでしょうか?

私は一度も“ノー”と言ったことはないよ。イアンが10年ぐらい前(2012年)にジェスロ・タルを封印して、それ以来、彼のバンドと私のバンドがそれぞれ別個に活動してきたんだ。最近になってイアンは私抜きでジェスロ・タルを復活させることにした。だから私は一度もジェスロ・タルを脱退していないんだよ。やっている音楽も変わっていないし、人間としても同じマーティン・バーのままだ。もしイアンがジェスロ・タルでもう一度私とやりたいと言ってきたら、話し合う用意はあるよ。ただ、他のメンバーは、今の私のバンドでなければならない。彼らは10年間、私と行動を共にしてきたし、「古いバンドを復活させるよ。グッドバイ」なんて見捨てることは出来ないだろ?彼らは素晴らしいミュージシャン達で、イアンと私、そして彼らでジェスロ・タルを名乗ることに問題はないと思う。ただ、最近のイアンは声帯に問題を抱えているというし、今後どうするつもりか判らない。もう10年間、話していないからね。彼は幾つかビジネス面の間違いをしたと思うけど、人間として彼を嫌いになったことはないし、ミュージシャンとしても敬意を持っているよ。

●1980年代の時点でジェスロ・タルは既に“オールドスクール”呼ばわりされていましたが、それから40年が経つ現在でも、その音楽は世界中で聴かれ、新しいファンを獲得しています。それは何故でしょうか?

ジェスロ・タルの音楽は元々、時代やファッションと無関係だったんだ。1968年にデビューしたときから、ニュースクールでもオールドスクールでもなかった。だから2020年においても古臭くならないんだ。ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドのような音楽は決して忘れられることがないだろう。ブラームス、チャイコフスキー、ストラヴィンスキーが忘れ去られないように、私たちがいなくなった後も、ジェスロ・タルの音楽は聴き継がれると信じているよ。

後編記事ではマーティンのジェスロ・タル時代の逸話とプログレッシヴ・ロック、ヘヴィ・メタル、ブルースなどとの関わりについて語ってもらおう。

【最新アルバム】

『50 Years Of Jethro Tull』

The Store For Music SFMCD549

現在発売中

https://www.thestoreformusic.com/

【アーティスト公式サイト】

https://martinbarre.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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