【インタビュー後編】ソニック・ブーム、伝説のバンド:スペースメン3を語る

Sonic Boom / photo by Ian Witchell

2020年6月、ニュー・アルバム『オール・シングス・ビーイング・イコール』を発表したソニック・ブームへのインタビュー全2回の後編。

前編記事では、その近況とアルバムについて語ってくれたソニック・ブーム(本名ピーター・ペンバー)だが、後編では彼の受けてきた影響の数々、伝説のバンド、スペースメン3にまつわる秘話、そして再結成の可能性などについて訊いてみた。

<メイヨ・トンプソンは未来か別世界からやって来た人間だ。ジェームズ・ジョイスの域に達している>

●スペクトラムとして2008年4月にはソロ・ステージ、2009年10月にはバンド編成で来日公演を行いましたが、スペースメン3時代の「コール・ザ・ドクター」「レット・ミー・ダウン・デッドリー」「ビッグ・シティ(エヴリボディ・アイ・ノウ・キャン・ビー・ファウンド・ヒア)」などに加えてスーサイドの「チェ」やザ・レッド・クレイオラの「トランスパレント・レディエイション」といったカヴァー曲も披露していましたね。他アーティストのカヴァーにはどんなこだわりがありますか?

特にこだわりはないけど、他のアーティストの曲をカヴァーするのが好きなんだ。どうやって自分なりの解釈を加えるか、とかね。「トランスパレント・レディエイション」はほぼ毎回、ライヴでプレイしているよ。もし自分があの曲と歌詞を書いていたら...と悔しいぐらいだ(笑)。あの曲はスペースメン3の『ザ・パーフェクト・プレスクリプション』(1987)のちょっと前にシングルとして発表したんだ。一聴するとシンプルなのに深みがあって、歌詞も一歩先のレベルに行っている。メイヨ・トンプソンは未来か別世界からやって来た人間だ。ジェームズ・ジョイスの域に達していると思うよ。彼は我々の知るインディペンデント・ミュージックの成長に多大な貢献をしてきた。初期“ラフ・トレード”の多くのアーティストをプロデュースしてきたし、スティッフ・リトル・フィンガーズまでプロデュースしていたからね。彼は音楽史上、重要な位置を占めるアーティストの一人だよ。

●2009年のスペクトラムとしての来日公演ではマッドハニーの「ホェン・トゥモロー・ヒッツ」を演奏しましたが、この曲のどんなところが魅力なのでしょうか?

『All Things Being Equal』ジャケット(ビッグ・ナッシング/現在発売中)
『All Things Being Equal』ジャケット(ビッグ・ナッシング/現在発売中)

「ホェン・トゥモロー・ヒッツ」はマッドハニーの最高傑作だよ。元々、“サブポップ”レーベルがスペースメン3とマッドハニーのスプリット・シングルを出したいって言ってきたんだ。お互いの曲をカヴァーするという企画だった。マッドハニーは「レヴォリューション」をやることになった。で、マッドハニーのアルバムを送ってもらって、「ホェン・トゥモロー・ヒッツ」をカヴァーすることにしたんだ。俺たちのヴァージョンには、オリジナル以上に緊張感が漲っていると思うね。気に入っているよ。結局スプリット・シングルは出なかったんだ。マッドハニー側が俺たちの歌詞を変えすぎたのが原因だったと記憶している。カヴァー曲というのは、難しいものだよ。オリジナルのイメージが固定していて、何をしてもファンに受け入れてもらえないからね。ただ例外としてボブ・ディランの曲は、他のアーティストのヴァージョンの方が好きなものが少なくない。これを言うとファンは怒るかも知れないけどね。ブライアン・オーガーの「ディス・ホィールズ・オン・ファイア」、マンフレッド・マンの「マイティ・クイン」、それからニコの「アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン」...ディランのヴァージョンも良いけど、ニコのヴァージョンは輝いているよ。

●あなたが影響を受けた楽曲を集めたコンピレーション『Spacelines: Sonic Sounds For Subterraneans』(2004)にはボ・ディドリー、ライトニン・ホプキンスからホワイト・ノイズ、ダニエル・ジョンストン、MC5まで多彩なアーティストがピックアップされていますが、ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズの「アイム・ユア・ウィッチドクター」が選ばれていたのが興味深かったです。ジョン・メイオールはどのようにあなたに影響を与えましたか?

ジョン・メイオールから影響を受けたというより、「アイム・ユア・ウィッチドクター」という曲からインスピレーションを得たんだ。1960年代中盤、イギリスの音楽シーンは刺激的で、優れたグループが幾つも出てきた。ヤードバーズの『ハヴィング・ア・レイヴ・アップ』(1965)なんて最高だよね。新作の「アイ・キャン・シー・ライト・ベンド」はヤードバーズとクイーンの中間地点をイメージしたんだ。ヴォーカルは「ユーアー・ア・ベター・マン・ザン・アイ」「幻の十年」の世界観にチャネリングしようとした。それがうまく行ったかは判らないけどね(苦笑)。「アイム・ユア・ウィッチドクター」にも、1960年代という時代にしかない精神があるよ。

●あなたがプロデュースしたMGMTの『コングラチュレーションズ』(2010)には「ブライアン・イーノ」という曲が収録されています。イギリスのエレクトロニック・アーティストでブライアン・イーノからの影響を逃れることは難しいと思いますが、あなたはイーノからどのような形で影響を受けたでしょうか?

うん、現代のエレクトロニック・ミュージックをやっている人間だったら誰だってイーノから直接的・間接的な影響を受けてきたし、俺もその一人だよ。初期のロキシー・ミュージックのVCS3アナログ・シンセは、当時のポップ・ミュージックにおいて斬新だったし、ソロになってからの作品も革命的だった。ただサウンド面よりも、イーノの自由な精神から影響を受けたと思う。音楽に正しい・間違いはない。自分自身を信じることを彼から教わったよ。残念ながら直接会ったことはないんだ。太陽系の軌道上、ちょうど反対側にいるんだよ。

●あなたのもうひとつのプロジェクト、エクスペリメンタル・オーディオ・リサーチは、グラフィック・アーティストのフランク・コジックが設立した“マンズ・ルイン”レーベルの第1弾リリースとして『Delta 6』(1995)を発表しましたが、彼とはどのようにして出会ったのですか?

コジックと知り合う前、“シンパシー・フォー・ザ・レコード・インダストリー”レーベルからシングルを数枚出したことで、アメリカのアンダーグラウンド・シーンと接点が出来たんだ。コジックとは1990年代の初めに出会った。コジックと一緒にチャールズ・マンソンの「メカニカル・マン」をレコーディングしたよ(注:シングルの題名は『Loser』/1994年)。その後、彼が自分のレーベルを設立するにあたって、声をかけてきたんだ。コジックはアメリカのポスター・アートに革命をもたらした。彼の蛍光色を使ったポスターはポップ・アートを新たな次元に持って行ったんだ。いつも扱いやすい人物とは限らないけど、面白い人だし、強烈なキャラクターだ。何というか...興味深い友人だよ。少なくとも俺に対しては常に寛大でいてくれた。“マンズ・ルイン”レーベルで、彼のアートワークでレコードを出すことが出来たのは誇りにしているよ。「Delta 6」は音の洪水のようで気に入っている。B面の「Space Themes Part 1 & 2」は俺なりにジョン・ケイジを解釈した曲だった(注:どちらの曲もアルバム『フェノミナ256』(1996)で聴くことが出来る)。自分の作品は音楽はもちろんだけど、アートワークも面白いものにしたいんだ。『オール・シングス・ビーイング・イコール』でもその精神は生きているよ。

●コジックがポスターを手がけたり、“マンズ・ルイン”から作品を発表したアーティストで、気に入っているものはありますか?

実際のところ、あまり知らないんだ。でも彼がポスターを手がけたバットホール・サーファーズは、音楽の生態系において興味深いポジションを占めているグループだと思う。バンド名を含めてね(笑)。

Sonic Boom / photo by Ian Witchell
Sonic Boom / photo by Ian Witchell

<スペースメン3の再結成は...?>

●スペースメン3の『ザ・パーフェクト・プレスクリプション』(1987)の別ヴァージョンが解散後、『フォージド・プレスクリプションズ 』(2003)としてリリースされましたが、あなたは関与していますか?『フォージド~』の方が優れたヴァージョンの曲がかなりあると思います。

『フォージド~』は俺がミックスしたし、オフィシャル・アルバムだよ。『ザ・パーフェクト~』レコーディング・セッションの音源とデモ、アウトテイクを使って、当初の構想だったギターのテクスチャーを再現しているんだ。当初のアレンジでは、ライヴで再現することが不可能だった。それでギター・トラックをシンプルにまとめて、『ザ・パーフェクト~』として発表したんだ。でもジェイソン・ピアースが素晴らしいギターを弾いていたことを俺は知っているし、あのアルバムを本来あるべき姿に戻したかった。もうスペースメン3は解散したし、ライヴのことは考えなくてもいいだろ?オリジナルのセッションの構成はメモに書き留めてあったから、当時と同じスタジオで、まったく同じ機材を使って再現したんだ。

●『ザ・パーフェクト・プレスクリプション』はスペースメン3にとって、どんな位置を占めるアルバムですか?

『ザ・パーフェクト~』はジェイソンと俺がプロデュースした初めてのアルバムだった。その前のファースト・アルバム『サウンド・オブ・コンフュージョン』(1986)は“プロデュース”なんてされていなかったからね(笑)。『ザ・パーフェクト~』から30年以上経って、ミュージシャンとして成長出来たし、より良いミックスも出来るようになった。当時は本当に何も判っちゃいなかったし、ナイーヴだったと思う。それに音源はレコーディングした後、しばらく“寝かせた”方が良いんだ。曲や演奏を第三者の視点から聴くことが出来るからね。

●スペースメン3のライヴ・アルバム『ドリームウェポン』(1990)は、バンドの最高傑作と呼ぶ人もいます。同アルバムは“1988年、ロンドン・ブレントフォードのウォーターマンズ・アート・センターでのコンテンポラリー・シタール・ミュージックの夜”とクレジットされていますが、このライヴのことを教えて下さい。

SPACEMEN 3『Dreamweapon』ジャケット(英Fierce Recordings)
SPACEMEN 3『Dreamweapon』ジャケット(英Fierce Recordings)

『ドリームウェポン』は『プレイング・ウィズ・ファイア』(1989)からのモチーフやアイディアを使いながらインプロヴィゼーションでプレイしたライヴ・パフォーマンスだった。このライヴ・パフォーマンスは映画館で列を作っている人たちの前で行ったものなんだ。何の映画だったかは覚えていないけど、たぶんアート系の作品だったと思う(注:エリック・モーズによる伝記本『Spacemen 3 and The Birth Of Spiritualized』によるとヴィム・ヴェンダース監督作品『ベルリン:天使の詩』だったらしい)。アルバムの最初で、案内の放送が流れているのが聞こえるよ。演奏がうるさくて、並んでいる人から苦情が出たらしい。2回ショーをやることになっていたけど、1回目が終わった後、主催者に「お疲れさま。ギャラは出すから、2回目はやらなくていい」と言われた(笑)。それほど大勢の人が並んでいたわけではなかったし、演奏している俺たちも居たたまれなかったんだけどね。俺たちの短いキャリアにおいて、決してファンファーレを伴うライヴではなかったんだ。ずっと後になって、“伝説”扱いされるようになったんだよ。まあ実際、クールで興味深いショーだったと思う。こういう形式でやったのは一度だけだった。2回目のショーにはザ・ジャズ・ブッチャーのパット・フィッシュも参加する筈だったんだ。それで彼は1回目のときバーで飲んでいたけど、その場にいた客が友達に「エルヴィスはこんな代物のために死んだのか?」と苦々しく言っていたそうだよ。その話を聞いたとき、エルヴィスと何の関係があるんだよ、と思ったけどね(笑)。

●『テイキング・ドラッグス・トゥ・メイク・ミュージック・トゥ・テイク・ドラッグス・トゥ』という1986年のデモを収めたアルバムが出ていますが、これはブートレグでしょうか?スペースメン3にとってドラッグはどの程度、創造性に役立ちましたか?

『テイキング・ドラッグス・トゥ~』はファースト・アルバムを作る前のデモ音源だった。

もちろんアルバム・ヴァージョンは気に入っているけど、デモにも強い思い入れがあるし、オフィシャル・ブートレグみたいな形で出すことにしたんだ。テープを提供したのは俺だし、誰も告訴するつもりはないよ。正直、バンドの創造性にとってドラッグはさほど重要ではなかったと思う。ジェイソンも俺も、スペースメン3の他のメンバーも、最初からクリエイティヴな人間だった。ドラッグをやる前からね。ただドラッグは、精神に一種の裂け目を作るんだ。その隙間から湧き出るものを音楽に取り入れる、ということは可能だよ。ドラッグをキメれば素晴らしい音楽が生まれるなんて言うつもりはない。物事はそれほど単純じゃないよ。音楽とドラッグは、複雑な関係にあるんだ。ドラッグなんてやらずに済めば、それが一番良いよ。あとは何をやろうと個人の事情だし、俺が口を出すことではない。

●スペースメン3は今や神格化されていて、1991年に解散したにも拘わらず再結成が熱望されていますが、その可能性はありますか?

まあ、再結成はないだろうね。ジェイソン・ピアースと俺のキャリアはそれぞれが順調だし、幸運なことに金のために再結成する必要はない。スペースメン3は本来、有名なバンドになる筈ではなかったんだ。“神格化”なんてされるようなバンドではないよ。とはいっても、俺自身は絶対にやらないわけではない、とも思っている。でもジェイソンはやりたくないと言っているし、彼の気持ちを尊重するよ。

●ジェイソン・ピアースとは今でも話すことがありますか?

うん、過去の印税とか、ビジネス面のことが多いけどね。住んでいる場所が離れているから、気軽に会う機会がないんだ。スペースメン3が解散した後、何年も話さなかった。ロック・バンドの運営の仕方なんて誰も教えてくれなかったし、当時は感情的になる部分もあったんだ。バラバラな個性を持った人間が、バラバラなゆえの衝動を妥協することなく具現化したのがスペースメン3だった。ミュージシャン志望の若者にアドバイスをするとしたら、決して妥協をしてはならない、ということだ。作品はいつになっても残るものだから、自分の信じる音楽を刻み込まねばならない。売れスジでないとか、セールス的な自殺行為だとか、そんなのは関係ないんだ。魂から訴えかければ、世界のどこかの魂が、いつか共鳴してくれる。『ドリームウェポン』が2020年、日本にいる君に共鳴するようにね!

●新型コロナウィルスが一段落して、普通の日常が戻ってきたら、ぜひ日本のステージで『オール・シングス・ビーイング・イコール』の曲をプレイして下さい。

...“普通の日常”?新型コロナウィルスが流行る前から、世界はクレイジーだった。もしあれが“普通”だったとしたら、それよりマシな世界になって欲しいね。人間が皆ひとつの“種”であることを再確認して、お互いに手を差し伸べるようにする。それが俺にとっての“普通”だよ。それはともかく、もちろん日本でライヴをやるつもりだ。それまで健康に気を付けて、『オール・シングス・ビーイング・イコール』にじっくり耳を傾けて欲しいね。

■アーティスト:SONIC BOOM(ソニック・ブーム)

■タイトル:ALL THINGS BEING EQUAL(オール・シングス・ビーイング・イコール)

■品番:OTCD-6804

■その他:世界同時発売、日本盤ボーナス・トラック収録、解説付

■発売元:ビッグ・ナッシング / ウルトラ・ヴァイヴ

【日本レコード会社公式サイト】

http://bignothing.net/sonicboom.html