【インタビュー中編】キング・クリムゾン/ジャッコ・ジャクジク~THEN“過去”

King Crimson / photo by Claudia Hahn

キング・クリムゾンのヴォーカリスト&ギタリスト、ジャッコ・ジャクジクへのインタビュー第2回(中編)。

前編記事では現在のキング・クリムゾンへの関わり方を語ってくれたジャッコだが、今回は彼とロバート・フリップとの出会い、そしてバンドに加入するまでの道のりについて話してもらおう。

<ロバート・フリップからの挑戦状>

●あなたがキング・クリムゾンに加入することになったいきさつを教えて下さい。ロバート・フリップとはどのように知り合ったのですか?

21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドで私がやっていたことで、ロバート(フリップ)が私の存在を知ったらしい。私は少年時代からキング・クリムゾンのファンだったし、ロバートはヒーローだった。彼に憧れてミュージシャンになったんだ。でも当時、直接の面識はなかった。2002年だったと思うけど、スキッツォイド・バンドのリハーサルを終えて帰宅して、生後2ヶ月の息子と自宅にいたんだ。すると知らない番号から携帯に着信があった。「ロバート・フリップです」と言われて、自分の耳を疑ったよ。イタズラ電話じゃないかと思ったんだ。「スキッツォイド・バンドのリハーサルはどう?」と訊かれて、それから少し話をした。それで連絡を取るようになって、私のソロ・アルバム『ロマンティック・グリー・クラブ』(2006)にゲスト参加してもらったんだ。

●それからもロバートとの交流は続いたのですか?

その通りだ。その後、スキッツォイド・バンドからマイケル・ジャイルズが脱退して、イアン・ウォレスが加入したんだ。イアンは素晴らしい人物だったよ。彼が2007年に亡くなったとき、ロンドンで葬儀を行うことになった。ロバートが弔辞を読んで、私は「アイランズ」を歌ったんだ。それからロバートの自宅に招かれて、好きな音楽や共通の友人であるギャヴィン・ハリソンの話をした。帰り道、ギャヴィンに興奮して電話したのを覚えているよ。その時点で、いずれキング・クリムゾンに誘われるんじゃないかって予感はあった。でもそのときは、そういう話にはならなかったんだ。後でそのことについてロバートと話したら、私に声をかけることをあの頃から考えていたそうだ。

●ジャクジク/フリップ/コリンズの『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』(2011)を作ったのは、どんな流れだったのですか?

『A Scarcity Of Miracles / A King Crimson ProjeKct』ジャケット(WOWOWエンタテインメント)
『A Scarcity Of Miracles / A King Crimson ProjeKct』ジャケット(WOWOWエンタテインメント)

ある日突然、ロバートから電話があったんだ。彼の運営する“ディシプリン・グローバル・モバイル(DGM)”のスタジオで一緒にインプロヴィゼーションをやって録音しないかと誘われた。もちろん!...と、いそいそと出かけたよ。どんなセッションになるか、想像もつかなかった。行ってみたら、彼の機材がセットアップされていた。ロバートと私、そしてプロデューサーのデイヴィッド・シングルトンの3人しかいなくて、2人で1日中インプロヴィゼーションのジャムをやったんだ。ロバートのループから生まれたパートもあったし、私が「こういうのはどう?」と弾いてみたパターンもあった。昼休みを挟んで、まる1日セッションをやった。日が暮れて帰ることにしたとき、ロバートにハードドライブを手渡されたんだ。「これをどうすれば良いですか?」と訊いたら、「君ならきっと何か考えつくだろう」と言われた。これはロバートから私に対する挑戦状だ!と思ったね。

●...かなりの難問ですね。

その音源を切り貼りして、アルバムの形にすることは簡単なことだ。でも、それではありふれ過ぎていると考えたんだ。それで2日かけて音源を聴き返して、いろんなパートを重ねたり編集して、まったく新しい作品を創り上げた。最初に作ったトラックをロバートに聴かせたら、すごく気に入ってくれた。そしてメル・コリンズも呼んできたらどうかと言ってきたんだ。彼はスタジオに来て、ロバートと私が録ったトラックに乗せてインプロヴィゼーションでプレイした。その音源を私がさらに聴き返して、トラックを選んでいったんだ。メルのラインは即興なのに、強力なものだった。とてもオーガニックな作品になった。そうしたらロバートが今度はトニー・レヴィンを呼ぶことを提案してきたんだ。

●だんだんキング・クリムゾンのラインアップに近づいてきましたね。

ラフ・トラックでは私がベースを弾いていたけど、トニーが入ってきたことで、すべての風景が一変したんだ。私には想像すら出来なかったプレイだった。その時点でドラムスはすべてプログラミングしたものだったから、私がギャヴィン・ハリソンを連れてくることを提案したんだ。彼はキング・クリムゾンの一員だったし、私の親友だからね。セッション全体はロバートが音楽性を牽引していたけど、あまりヘヴィにせず、アンビエント的なアプローチを取っていた。

●当時あなたはまだキング・クリムゾンのメンバーではなかったわけですよね。

うん、その時点でキング・クリムゾンは存在しなかったんだ。ロバートは音楽業界から引退していたし、自分以外は全員“元キング・クリムゾン”だったけど、再結成するとは誰も考えていなかった。まったく別のプロジェクトだったんだよ。

●キング・クリムゾン再結成は、どのようにして実現したのですか?

デイヴィッド・シングルトンがビジネスで日本を訪れたとき、ちょうどスティーヴ・ハケットがジェネシスの楽曲をプレイする来日公演を行っていたんだ(2013年)。その少し前、スティーヴは『ジェネシス・リヴィジテッドII』(2012)というアルバムを出していて、私は「エンタングルド」で歌っていた。デイヴィッドは帰国後、ロバートにそのライヴの話をしたんだ。するとロバートは「そういうバンドのキング・クリムゾン版をやったら良いんじゃないか」と提案した。自分がプレイするのではなく、あくまでブレインとして参加するバンドをね。それで、彼がそのバンドに参加するべきだと思ったミュージシャン達をDGMのオフィスに召集して、ミーティングを行った。その場に集まったのはギャヴィン・ハリソン、メル・コリンズ、私、そしてジョン・ウェットンだった。そのバンドは“クリムゾンDNA”と名付けられたんだ。

●“幻”となったクリムゾンDNAですね。

それから数回のリハーサルと断片的なレコーディングをした。ロバートはギターを弾かず、あくまで“監修者”だった。でもある日、セッションが終わった後、デイヴィッドにこう言ったそうだ。「こんなバンドだったら、私も加入したいね」そして次のミーティングで、キング・クリムゾン再結成を宣言したんだ。残念ながらジョン・ウェットンはスケジュールが合わず不参加になってしまった。でもそうして、キング・クリムゾンが復活することになったんだ。

King Crimson / photo courtesy of WOWOW Entertainment
King Crimson / photo courtesy of WOWOW Entertainment

<リマスターには正解も間違いもない>

●あなたはプログレッシヴ・ロックの名盤のリミックス/リマスターでも活躍していますが、どんないきさつがあったのですか?

リミックス・エンジニアとしてのキャリアは、ほとんどアクシデントで始まったんだ。 過去に企業向けのBGMをサラウンドで作ったりして、自宅に5.1chのシステムがあった。それでアナセマのアルバムをリミックスしたりしていたけど、スティーヴン・ウィルソン経由で仕事の幅が拡がったんだよ。スティーヴンは私の家から5分ぐらいのところに住んでいるんだ。イアン・アンダーソンが『ホモ・エラティカス』(2014)というソロ・アルバムを作っていて、5.1chリミックスを頼まれたけど、どうしても時間の余裕がなくて出来ないと言われた。イアンも少年時代からのヒーローだし、私がやりたいと志願したよ。スティーヴンはエマーソン・レイク&パーマーのリミックスを2枚ほどやったけど、その後は私に任せる形になった。それで『トリロジー』(1972)と『恐怖の頭脳改革』(1973)をリミックスしたんだ。さらにキング・クリムゾンの『スラック』(1995)もリミックスしたし、いろんな人からリミックスを頼まれるようになって、ビル・ブルーフォードのボックス・セットやクリス・スクワイア、ムーディ・ブルースなどの作品を手がけた。専門的にエンジニアとしての技術を習得したわけではないんだ。

●リミックスやリマスターを行うにあたって、ポリシーはありますか?

うーん、臨機応変にやっているよ。私が手がけたリミックスは、ボックス・セットの一部として収録されることが多い。オリジナル・ミックスは既にボックスに収録されているから、異なったミックスにしないと意味がないんだ。ただ、名盤アルバムをあまりに大胆に変えてしまっても、ファンから大ブーイングが飛ぶだろう。勝ち目がないんだよ(苦笑)。『トリロジー』だったと思うけど、ベースの反復フレーズで。チューニングが狂っているように聞こえる部分がある。それを直したりした。あと「フロム・ザ・ビギニング」でモーグ・ソロの別テイクを発見した。そのテイクには幾つかミスがあったんだ。おそらく、だからボツになったんだろうね。その部分を直して使ったよ。サラウンドの世界では、まだルールは確立されていないし、正解も間違いもないんだ。

●あなたとスティーヴン・ウィルソンとでは、アプローチはどんな点で共通していて、どんな点で異なっていますか?

どうだろうね?共通しているのは、2人ともアルバムが作られた当時に存在しなかった処理は行わないということかな。デジタル・プラグインなどのテクノロジーは使っても、“リヴァーブをかける”という作業自体は、昔からあったものだ。あと2人の違いを挙げると、スティーヴンは常に2チャンネルからサラウンド・ミックスを作っている。私の場合、そうとは限らない。『スラック』のときはまず5.1chミックスを作ってから、それを2chの下敷きにしたんだ。まあ実際のところ、お互いのリミックスを細かく分析したりしないし、“共通点”や“相違点”はよく判らないよ。ただ、彼のことはミュージシャンとしても人間としてもリスペクトしているけどね。

次回“後編”はジャッコが “あの”ミュージシャンとの共演話を含め、自らの知られざるエピソードを語り尽くす。

『Live In Newcastle December 8, 1972』ジャケット(WOWOWエンタテインメント)
『Live In Newcastle December 8, 1972』ジャケット(WOWOWエンタテインメント)

ライヴ・イン・ニューカッスル・1972年12月8日

キング・クリムゾン

WOWOWエンタテインメント IECP-10366

2019年6月5日発売

日本レーベル公式サイト http://wowowent.jp/artists/detail/41

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