「わかってくれない」から「片づかない」!? 妻と夫の断捨離バトル

(写真:shutterstock)

 さてさて、相も変わらず私の元に持ち込まれる、住空間を舞台にした妻と夫の悩ましきせめぎ合い、片づけバトルについて考えてみようと思う。

 モノを溜め込む夫に妻がうんざりしている。

 モノを始末しない夫に妻が怒りを覚えている。

 片づけられない妻に夫が呆れている。

 片づけ下手の妻を夫は諦めている。

 

 けれど、もちろん私は、妻側、夫側、どちらが非難されるべきということは問題にはしない。なぜなら、それを判定したとしても問題が解決するとも思えず、かえって禍根が残るだけだから。感情的に癒えない限りいつまでも問題にしがみ続けるのが、私たちの常だから。

 ところで、なぜ妻と夫に、片づけ問題のすれ違いや食い違いが起こるのか。同じ住空間に過ごしながら、その空間で同じ時間を過ごしながら、なぜ妻と夫の間にこのような齟齬が起こるのか。これはまさに、接触の密度が高ければ親密さが増すわけでもないということの証明のようなもの。それどころか、密度が高いぶん摩擦が増すという実態さえある。

 つまり、住空間を占拠する相手のモノの量が夫婦関係に摩擦を増す火種であり、親密な関係だからといって相手のモノの存在を許せるかと言えば、どうやら決してそんなことはなく、親密な関係は相手の余計なモノたち(正確に言えば、自分に余計と思えるモノたち)の存在によって、だんだんと、徐々に、その関係を蝕み、損なっていくのです。

 この、いわばシンプルともいうべき事実を前にして、どうやって夫婦の関係をケアしていくのか、その視点がない限り「捨てる!VS 捨てない!」バトル、「片づけろ!VS 片づけられない!」バトルの消耗戦がいつまでも繰り返されることになる。

 そう、私の元には「自分のモノの溜め込みで妻がどんなに傷ついているか全くと言っていいほど気づいていない夫」に絶望している妻と、「自分の片づけ下手に呆れている夫の深い嫌悪感」に不感な妻と、この二つタイプの妻がやってくるのです。

 溜め込む夫に問題があるのではなく、自分の妻がそれで苦しんでいることに目を向けないことの方が問題。そして、たいていは、妻の「捨てて!」という懇願に取り合わないか、怒るかの反応となる夫。

 片づけ下手の妻に問題があるのでなく、自分の片づけ下手で夫が苦しんでいることから目をそらしていることの方が問題。そして、たいていは、夫の「片づけろ!」という指示に、いじけるか、食ってかかるかの反応となる妻。

 要するに、相手の苦しさを感じようとはせず、「自分はそんなにも悪くないはず…」という弁護に逃げ込むのですね。

 目を向けない

 目をそらす

 それが、妻と夫の乖離。

 もしも、夫が自分の妻の抱えている苦しさに目を向けたならば、溜め込み癖のある夫とも妻はやっていける。もしも、妻が自分の夫が抱えている痛みから目をそらさなかったならば、片づけ下手の妻とも夫はやっていける。

 夫の「悪いな~、こんなにモノを集めて…」という言葉。

 妻の「ごめんなさい、ちっとも片づけが上手でなくて…」という言葉。

 そうですね、そんな言葉を交わすことさえできれば、妻と夫の関係は、決して絶望的なそれには至らないことは確かですね。

 そして、妻も夫も、自分の気持ちがわかってもらえているという実感さえあれば、たいていのことは、愚痴をこぼしながらもなんとかなる。夫婦とは、そういうもののようです。

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*「断捨離(R)」は、やましたひでこ個人の登録商標です。