絶対見られたくない

決して見せられない

漸く見せられる

あるクライアントさんに招かれ、ご自宅に伺った。このお宅の主婦、どうしても私に自宅の断捨離コーチを依頼したかったのだろう。

案の定、家の中はモノの海。玄関を入る前から想像はついていたものの、壁に積み上げられているモノたち、床を埋め尽くすモノたち、階段を塞ぐモノたちは、それらは半端な量ではない。

ただし、いわゆるゴミ屋敷とは違う。そこに堆積しているモノたち、ひとつひとつは、どれも新品か新品同様。使われることなく、ただただ積み上げられている。

整理整頓・片づけといった行為はまったく機能しない、凄まじいモノ溢れの現状。閉塞した空間・窒息した空間に呼吸を取り戻すためには、とにかくモノを捨てるしかない。モノに「要・不要」を問いかけているどころではなく、住空間そのものが瀕死・危機的であるのだから、一刻も早く、ここに大量断捨離という外科的手術を施すしかないのです。

実は、こんな家、こんな人たちが増えている。それは、私の仕事柄、こういった場面に遭遇する機会が多いからこその実感かもしれない。けれど、大方が、程度の差こそあれ、空間を損なうほどの量のモノを抱え込んで難儀していることは確か。なぜなら、私たちはモノしか眼中になく、住空間全体を見渡して、居心地の良さ・快適さを、自分自身に提供することはとても苦手だから。

さて、冒頭の主婦さん。以前は、もっとモノを溜め込み抱え込んでいたのだ。

彼女の言葉を借りれば、モノによる空間の「定員オーバー」は、かつて800%、これでも、600%にまで減らしたのだとか。

乗車率800%の満員電車とはいったいどんな状況だったのだろう。思うだけでも空恐ろしい。実際、目の前の600%乗車率の満員電車状態の家の中でも、とても人が住める状態ではないと診断してしかるべきだろう。

それでも、この主婦にはこんな希望があった。一人娘の二人の子供たち、孫が遊びに来られる家にしたという願い。けれど、とてもではないが叶わぬ夢。孫が遊びに来るどころか、一人娘さえ寄りつかない、いえ、寄りつけない家の有様なのだから。

ところが今回、彼女は私を自宅に呼んだ。これは、大きな改善の一歩だと言える。彼女は半年間、私の元で断捨離を学んだ受講生であり、当初、まったく顔を上げることなく俯いたままの受講態度。他の受講仲間に気おくれし、混沌混乱部屋の住人である自分を否定し続けていたのです。けれど、半年間で顔は上を向き、時折の笑顔と涙で自分を開示できるように。

800%が600%に、つまり、過剰200%を減らし捨てられたのは、そんな変化の中でのこと。7年前、孤独感の中、買い物依存症となり、通販にはまり買い物をし続けた彼女。送られてくるモノの山とその梱包材のダンボールの山に怯える日々を過ごしていた。ようやく、放置してあったサイズの合わない大量の洋服の山を処分することでできた「隙間」に私を呼ぶことになったのです。

決して見られてはならない住空間と自分の内側。隠し通さなくてはならなかった、見せられない住空間と自分の内側。そこに小さな風穴が開いた時、治癒へと向かうプロセスに入ることができる。

もちろん、まだまだ部外者に見せられる状態ではないけれど、夫婦二人で息を潜めて暮らしていた状態から抜け出す一歩となったことは間違いない。

それは、まるでレスキュー隊が到着したようなものか。本格的な断捨離=救助活動はこれから始まり、しかも長く大変な時間がかかるはず。でも、他者の救助援助が自分には必要だったことが理解できたのは幸いなこと。

そう、問題なのは、「助けて!」と声を上げることさえできずに、モノの海で溺れかけている深刻な状況がそこかしこに起きているという現代の闇。実際、あなたの家の隣でも、没交渉の近所宅でも起きていると思っていいでしょう。

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*「断捨離(R)」は、やましたひでこ個人の登録商標です。