「何者」かになりたがる女たち ~続・続「イタい女」考

彼女たちは、更なる資格の獲得を目指す。次の「表紙」を求めて頑張って勉強を始める。

私の元に寄せられてくるブログ読者申請やfacebook友だち申請、その人たちのプロフィールには様々な職業名が記されている。そうですね、まず、名前、そして職業を名乗ることが、自己紹介の鉄則だと誰もが思っているのだろうし、私たちはその人の職業を知って、なんとなくその人が分かったような気になるものだから。

「あの人、何者?」と感じた素朴な疑問は、職業や地位を知ることによって、「ああ、そうかやっぱりね」と妙に納得するもの。別に、その人のキャラクターやパーソナリティーが分かったわけでもないのにかかわらず。

私たちは、最初は職業や地位でその人を認知する。そうだ、その職業名はとっても重要。だから、自分を「主婦です」とアピールして自己紹介する女性は少ないだろう。それどころか、主婦であることを、「主婦でしかない」と思い込んでいる女性は今もって多いのかもしれない。しかも、「専業主婦」という言葉はあるけれど、その言葉で自分が認知されることは稀で、その場合は、「誰それの奥さん」「誰々ちゃんのお母さん」という装飾的な形容がついて、初めて自分が認知されるのですね。

だからなのか、女性は「何者」かになりたがる。そして、その「何者」は、突出した個性ゆえの何者かではなく、それなりの職業名が冠としてつかなくてはならない。なので、「何者かになりたい女性」たちは勉強を始める。それは何かしらの資格が取れるという講座であったり、通信教育であったりと、様々。

アドバイザー

プランナー 

カウンセラー

セラピスト

コンサルタント

コーチ 

資格の獲得を目指す、何者かになりたい女たち。

けれど、ここで大きな勘違いを起こす。資格さえとれば、その資格さえ持っていれば、一個の独立した職業人として自分が成立するというイタい勘違い。ひとつの職業で、食べていくこと、それで稼いでいくことが、どんなにエネルギーを必要とするかをわかってはいない。

そう、残念ながら、資格だけでは、「何者」かの「表紙」が一応できた程度で、中身はまだ白紙の状態の本と同じ

けれど、何者かになりたい女性たちは、資格にしがみつく。資格をとるために費やした、時間も労力もお金も無駄にしたとは思いたくはない。そう思った時点で「何者」ではないという思いに再びかられてしまうから。もっと惨めな気持ちになってしまうから。

かくして、彼女たちは、更なる資格の獲得を目指す。次の「表紙」を求めて頑張って勉強を始める。それが、中身に繋がるのだと信じこんだまま。

さあ、冒頭の読者申請、友人申請の話に戻ろうか。そこに記されたプロフィールの「資格の羅列」に、私はびっくりさせられることが度々あるから。

私は思うのです。沢山の仕事にかかわっていて様々な役職名を記しているならともかく、この「沢山の資格たち」の羅列にいったい何の意味があるのかと。そう、資格の中身に疑問が湧いてくるのではなく、羅列することの意味に、どうにも違和感を覚えてしまう。そこには、たぶんに、資格が職業であり、即ち、それが「何者かの自分」であると思い込み、資格はどこまでも手段であることに気がついていない思考があるのですね。

一つの本には、一つの表紙。

そうですよね、中身にどんな多様性が盛り込まれていたとしても、訴えたいこと、伝えたいこと、分かってほしいこと、つまり、最重要の課題としている訴求があるはず。だとしたら、自分にいっぱいの「表紙」を張り付け羅列をしている当の本人が、自分の重要性を一番理解していないことになる

これでは、目指す「何者」かとは程遠くなるばかり。

ところが、それとは逆に、たったひとつの職業名を冠としているプロフィールにも酷く訝ったことがある。

最近の例ではこれ。「大悟した愛と癒しのスピリチュアル・カウンセラー」

いったい、この人何者?かしらと、たしかに興味が湧かなくもない。けれど、これはびっくり仰天でしかなかった。自分で自分を大悟と称すること、そうだ、大悟とは大いなる悟り、迷いをすべて捨て去り真理を悟っているということ。私など畏れ多くて、このような方が私のブログ読者に、facebook友だちに、なっていただくことはこちらからご辞退申しあげなくてはならない。

おそらく、ここまで過激?な職業名にはいたらなくても、多かれ少なかれ、カウンセラーやセラピストを名乗る人たちは、何かしらの形容詞をつけている。そうですね、私の勝手な推測ではあるけれど、カウンセラーもセラピストも巷に大勢いるのだから、どこか他者との区別をはかろうとするのも頷ける。しかも、その為のセミナー、「あなたの強み発見!」などという差別化を図る講座もいくらでも用意されているし、そこに通う受講生もいっぱいいるのだから。

かくいう私も、「クラター・コンサルタント」などと、訳のわからない職業名を名乗っている。これは、私が自分で考えた末の名前。クラターとは英語でclutterガラクタ。このガラクタとは、部屋の中のガラクタであり、頭の中や心の中のガラクタでもある。そうですね、だから私やましたひでこの仕事は、断捨離というコンセプトで、部屋と心理的な混沌混乱を相似現象と捉えて同時進行で解決していくこと、そのための職業名がクラター・コンサルタントであるのです。

そうか、この仕事を始める時、いっそ、「主婦やましたひでこ」と名乗ろうかとも考えた。でも、それでは、返ってクライアントさんが戸惑うかしらと思い直した経緯があった。

さてさて、もしも、私が「何者」かの定義をするとしたら、それは、「あり方」であり「生き方」の結果とするだろう。

それは、資格でもなく、職業でもなく、他者との差別化でもなく。

そして、私は、「仕事」が即ち、「あり方」であり「生き方」だと思っている。だから、主婦であっても誇れる仕事をしている、立派な何者かであるのです。

それにね、もっと言えば、実のところ、自分が「何者」かであるかどうかは、生涯を終えるその時まで誰もわからないものなのでしょうね、きっと。

どうでしょう。