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「不適切な子育て」だから、乳幼児の事故死は起こるのか?

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
NHK大阪「かんさい熱視線」(見逃し配信画面)より。筆者撮影。

 2021年5月14日、NHK大阪の「かんさい熱視線」という番組で、チャイルド・デス・レビュー(CDR:Child Death Review:予防のための子どもの死亡検証制度)が取り上げられた。私は、「事故による傷害(injury)」についてコメントする立場で出演した。

 番組の趣旨は、2020年度に始まった国のCDR体制整備モデル事業の紹介であった。この中で、気になる言葉があった。それは「不適切な子育て」という言葉である。これまで書いてきた記事の中で私は一度も使ったことがない言葉で、今回はこの言葉について考えてみた。

CDRとは

 多職種の専門家が集まって、子どもの死亡原因を確かめ、予防可能かどうかを検証し、具体的な予防につながる提言をするのがCDRの役割である。これまでの多くの研究から、子どもの死亡の約4分の1は予防可能であるとされている。今回の番組でも、ある県の検証では、3割は予防可能な死であったと報告されていた。CDRでは、死亡したすべての子どもが検証の対象となり、死亡には、病死、事故死、虐待死、自死などすべてが含まれている。ここでは、乳幼児の事故死について考えてみた。

不適切な子育て

 番組の中で虐待死が取り上げられた場面で、福祉の専門家が「はっきり虐待であるとわかっているケースについては対応しやすいが、リスクがあることがわかっているのに適切な予防策をとらないケースの判断がむずかしい」と述べていた。同じCDRの場に出席していた小児科医からは「保護者自身が不適切であるとは思っていない場合も多く、線引きがむずかしい」とも述べていた。児童相談所で、不適切な子育てについて議論が行われている場面もあったが、結論としては、「ハイリスク家庭をみつけて支援する」とされていた。しかし、どうやってハイリスク家庭を見つけるのか、見つけた後、どうやってリスクを下げることができるのか、よくわからなかった。また、線引きできないものを無理に線引きすることにも疑問を持った。

事故死が起こるのは「不適切な子育て」のため?

 私が、「不適切な子育て」という言葉に強い違和感を覚えたのは何故かを考えてみた。

例を挙げて考えてみよう。

・自動車に子どもを乗せるときにチャイルドシートを使用しない。

・子どもが自転車に乗るときにヘルメットを使用させない。

・予防接種を受けさせない。

 これらは、保護者が意図して子どもを危険にさらしていることになるので、「不適切な子育て」あるいは「虐待」と言ってもいいと思うが、下記のような場合は、保護者は意図していない。

例1.自動車の車中に子どもを置き忘れて、子どもが熱中症で死亡

例2.1歳児が、実家のお風呂で溺死

例3.大粒のぶどうを喉に詰まらせて窒息死

例4.乳児がベッドの柵とマットに挟まれて窒息死

 これらは、皆、「不適切な子育て」によるものなのだろうか。多くの人は、保護者が見ていれば、気をつけていれば死ななかったと思うであろう。しかし、現実には、24時間、365日、乳幼児から目を離さないことなどできない。

To err is human(人は誰でも間違える)

 安全の確保について議論するとき、この「To err is human(人は誰でも間違える)」という言葉がよく用いられる。これを子育ての場に当てはめると、「間違える=目を離す」ことを前提にしたシステムにしないと事故は予防できないということだ。交通事故でいえば、「不適切な運転」と指摘するのではなく、ドライブレコーダーの記録から事故の発生機序を明らかにし、そのような事故が起こらないシステムを自動車に前もって設置しておくことが予防につながる。

 3Eの「製品や環境の改善」を優先するのが原則(参照:「事故による子どもの傷害予防に取り組むー新年に寄せてー」)と考えている私には、「不適切な子育て」という言葉には違和感がある。

 自動車の中に子どもを置き忘れて子どもが熱中症で死亡するなど信じられない、不注意な親だ、不適切な親だ、と非難しても予防はできない。後部座席のドアを開けたことを自動的に記録し、停車して後部ドアを開けないまま車から離れると警報音が鳴るシステムが装備された自動車がすでにある。

 1歳児が実家のお風呂で溺死した事故の予防については、浴槽の縁の高さを確認し、50cm以下の場合は残し湯をしない、浴室のドアに施錠するなどの情報を提供する。より確実なのは、子どもが浴室に入った、あるいは転落したことを知らせるモニターを開発して使用することだ。

 大粒のぶどうやミニトマトなどは4分割して与えることを、保護者のみならず社会全体に周知し、共有する。乳幼児にとって危険な食べ物を知らせるアプリを開発し、このアプリをお皿が並んだ食卓の上にかざすと乳幼児に危険がある食べ物についてメッセージが流れるシステムを開発する。

 どのような状況になっても、2歳未満の子どもの身体が挟み込まれないようなベッドの構造にし、それを規格化する。

 このように製品や環境を変えれば、事故死は予防することができる。現時点では「不適切な子育て」と判断される状況になったとしても、死亡することがない製品や環境を作ることはできると思う。

適切か、不適切か

 適切とは、「こうあるべき」という基準や価値観が存在し、それを前提として判断し、決めつけることであろう。それに反するものは、不適切となる。

 私は、「人は間違いを起こす。事故は起こる」ことを前提としており、事故が起こらないように、起こっても軽くすむように環境や製品を整備することが必要と考えている。

 保護者には責任がない保育管理下での事故死を一番左に、一番右に虐待を位置付けると、その中間が「不適切な子育てによる死亡」に当たるのであろう。適切か、不適切かは、個人の価値判断によるもので、今、子育てをしている人と、昔、子育てをしたことがある人では、大きく異なっているかもしれない。また、時代、国、地域によっても異なっているはずだ。最も問題なのは、適切か、不適切かを議論しても、事故死の予防にはつながらないということだ。「不適切」と判断することそのものが不適切なのではないか。不適切という言葉を使うなら、保護者を対象にした「不適切な子育て」ではなく、「子どもにとって不適切な製品や環境」というべきであろう。

おわりに

 今回の番組出演は、CDRの場に参加された福祉の専門家の見解を聞く機会となり、福祉の方の考え方を知ることができた。異なった考えを知ることができるCDRの場は、意味がある場だと思った。

 私は、事故死の原因として、保護者の子育てが不適切かどうかを議論するのではなく、変えられるものを見つけ出すことを優先すべきと考えている。予防の原則は「変えられるものを見つけ、変えられるものを変えて、変えたいものの発生頻度を望ましい方向に変化させること」である。乳幼児の事故死が起こったということは、関与した製品や環境が乳幼児にとっては不適切であったということである。保護者の子育てが適切だったかどうかではなく、事故死に関与した製品や環境が適切だったかどうかを判断する必要があると考えている。

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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