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3月26日 六本木ヒルズ自動回転ドアの死亡事故から14年

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
(写真:アフロ)

3月26日

 2004年3月26日、東京:六本木ヒルズの正面玄関に設置されていた自動回転ドアに挟まれて、小学校入学を間近に控えた6歳の男の子が亡くなった(『子どもたちを事故から守る』第14回「回転ドアの事故」P.33~36)。この日は、日本の子どもの傷害予防にとってターニング・ポイントとなった日であると私は考えている。

 何がターニング・ポイントとなったのか。それ以前は、子どもの事故が起これば「親の責任」、「親は何をしていたのか」、「親の不注意」と指摘され、メディアの論調もそうであった。事故が起こった日の夕方には、六本木ヒルズでは以前から自動回転ドアに挟まれる事故が何件も起こっていたことがわかり、翌日の報道では、他の施設でも同じような事故が多発していたことが判明した。そこで「保護者の責任」という論調は影を潜め、ビルの管理責任が問われた。さらに、畑村 洋太郎先生が「ドア・プロジェクト」を組織され、ドアの構造に問題があったことが明らかとなった。

 あれから14年。亡くなったお子さんが生きていれば20歳である。ずいぶん長い時間が経ったが、この間に子どもの傷害予防について進展したことは何だろうか? 残された課題は何だろうか? これまでにいっしょに傷害予防に取り組んできた産業技術総合研究所の西田 佳史さん、北村 光司さんと議論したことを中心に、この14年間を振り返ってみたい。すべてを網羅することはできないので、主にわれわれが取り組んできたことを中心に取り上げることとする。

これまでに出来たこと

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                                       (原図は筆者が所属する産業技術総合研究所作成)

 一言で言えば、子どもの傷害予防に関心を持つ人が増え、多職種の連携ができるようになり、いくつか成果が出たことだ。小さくて見にくいが、これまでわれわれが関与した組織、グループなどを図に示した。個々の事故例を科学的に分析し、具体的な予防策を示すことができるようになった。課題をはっきりさせ、その解決のためには誰と協働したらいいかが具体的にわかるようになった。課題ごとに、組むメンバーが異なることも明確になった。

 六本木ヒルズの事故をきっかけに、産業技術総合研究所に「子どもの傷害予防工学カウンシル」を設置して研究を開始し、成育医療研究センターと協働で傷害サーベイランスの仕組みを作り、子どもの傷害データベースを構築した。その傷害データをもとに原因究明や対策の考案が進み、企業が製品改善による傷害予防に取り組み始めた。NPO法人キッズデザイン協議会が設置されて、企業による製品や環境の改善を推進し、安全性が高い製品にキッズデザイン賞が授与されるようになった。技術士会は「子どもの安全研究グループ」を設置し、技術的な面から子どもの事故を検討し始めた。医療の領域においては、日本小児科学会は学会誌にInjury Alert(傷害速報)欄を設けて重症度が高い事例を報告し、予防に結びつける活動をしている。メディアとも情報交換の場を設け、傷害予防に関する広報をお願いしている。2014年5月には、Safe Kids Worldwideの支部としてNPO法人Safe Kids Japanが設立された。消費者団体や弁護士グループ、教育関係者とも接点ができた。

 また、国民生活センターや消費者庁など行政が設置したいろいろな委員会にも参加した。東京都は、商品等安全対策協議会を設置し、毎年子どもの事故に関する課題を一つ取り上げて検討し、具体的な予防法を提言しており、ここにも委員として参加した。JISやガイド50などの規格や基準を決める委員会にも関わっている。

 十数年前から、われわれが取り組んできた傷害予防活動について、その成果の一部を3つのEの観点から表に示した。成功するための鍵は、傷害の発生に関わる詳細な情報を現場から入手すること(現地・現物主義)であり、いろいろな専門家が関わること(多職種連携)であり、予防が可能となる具体的な方法を提示することである。このように成功事例を一例一例積み重ねていく作業が求められている。

表 これまで行ってきた傷害予防活動(3Eによる分類)

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製品・基準改訂まで行ったもの:Enforcement

・横浜市の遊具事故の分析と国交省の指針改訂、JPFA-2008S改訂

・ゲームセンターのコイン返却口の業界安全基準

・ベビーベッドのJIS基準

・ライターのJIS基準

・自転車スポーク外傷予防のSG基準改訂、そのインパクト評価

・頭部挟まれ事故予防のためのローチェアー・ハイチェアーのSG基準改訂

・子ども用衣料(ひもの安全基準)のJIS基準

・乳幼児用ベッドからの転落防止のための消費生活用製品安全法PSC基準、JIS基準改定

・商業施設の遊戯施設の安全性のガイドライン

・電気ケトルの転倒時湯漏れ防止機能の義務化(進行中)

・ブラインドに附属するコードのJIS基準

製品や環境の改善:Environment

・熱傷対策された炊飯器(パナソニック(株))

・歯ブラシの刺傷事故予防の製品((株)DHL)

・転倒時骨折防止用床材(永大産業(株))

・空気膜構造遊具の安全性評価技術((株)イオンファンタジー)

教育:Education

・子どもの傷害予防リーダー養成講座(NPO法人Safe Kids Japan)

・傷害予防教育セミナー(日本小児保健協会)

・セーフティプロモーションスクール(日本セーフティプロモーションスクール協議会)

・小学校での傷害予防に関する授業(産業技術総合研究所、富士見台小学校)

これからの課題

 上述のように、14年間にわたって様々な形で「子どもの傷害予防」に取り組んできたが、いまだに同じ事故が繰り返し起こっている。企業も政治家も、誰もが「安全第一」と言うが、「安全」や「事故」というと負のイメージ、社会の前向きな活動に対してブレーキを踏むイメージが先行している。そのイメージを変えて、製品や環境を変えて安全にしたら、製品が売れる、保護者や保育者の負担が減る、育児が楽になるというポジティブなイメージに繋げなければならない。やや抽象的であるが、これからの課題を列記してみた。

1)社会の負担:傷害による死亡と後遺障害は、現在でも大きな社会負担となっている。日本の最新の人口動態統計でも、1歳から19歳までの死亡数を合計すると死因の第1位は事故となっている。事故を未然に防ぐことができれば、救急車による搬送、医療機関での治療、リハビリなどが不要になり、人や施設、機器もいらず、金銭的にも負担は軽減される。傷害を社会の負担としてグローバルに位置づける必要がある。

2)安易なコメント、対応、対策の撲滅:例えば、「ちょっとした気配りで予防可能」、「予防には時間がかかる」、「予防のための科学的な根拠が弱い」などと指摘するだけの対応は意味がないことを社会に認知させる。

3)「事実認識」だけで終わらせない:権限のない第三者委員会の発足や、「健やか親子21」のように予算措置のない予防活動が行われているが、本当に効果を生み出せているかを評価する仕組みが不可欠である。科学的に評価できる指標を設定し、継続的に評価していく必要がある。最近では、予防を共通軸に、様々な関係者の評価軸を一致させ、きちんとその評価をモニタリングするバックボーン組織を作って取り組むコレクティブ・インパクトと呼ばれる考え方が提案されている。 

4)「スケール」しない問題:パイロットスタディ、ケーススタディ、検証研究などと表現されるプロジェクトは、ほとんど社会実装までスケールされない。最近では、様々なデータを共有するクラウドや、大規模データを処理する人工知能技術などが利用可能となっており、断片化されたデータをつなぎ、大きな変化を生み出す仕組みが可能になりつつある。

5)情報の質の向上と連結:傷害データは、重症度が高い事例が受診する医療機関を定点とし、収集するデータの質を向上させる必要がある。また、救急隊、警察、医療機関などそれぞれが持つデータを連結し、ゆくゆくはデータをオープンにする必要がある。ITなどの技術の進歩により、現場や製品の写真のデータを簡単に送ることができる時代になっている。

6)消費者事故総合分析センターの設置とその予算化:交通事故は、交通事故総合分析センターが中心となってPDCA(Plan-Do-Check-Action)を行い、具体的な予防策に繋げている。消費者事故についても、専門の分析センターを設置して分析する必要がある。また、研究者を育成するために、研究部門を設置する必要がある。

7)予防のための環境・製品の改善策が少ない問題:チャイルドシート、ヘルメット、煙感知器、CR(child resistance)付医薬品容器などが提案されているが、いまだ少ない。日本では、キッズデザイン賞などの仕組みがあり、世界に広める必要がある。

8)予防を広げる仕組みの問題:予防法ができても、それだけで広がるわけではなく、導入法やプログラムの立案などの広げる仕組みを一緒に開発しなければならない。e-ラーニングなどの新しい教育システムを使って、効果を評価できる傷害予防教育を展開する必要がある。

9)安全を必要としている人に届かない問題:例えば、チャイルドシートであれば、どのような状況で使わないのか、どのような人たちが使用しないのかなどを詳しく調べ、きめ細かい介入が必要である。人口に対する割合ではなく、必要な人に対する割合にすべきである。ユニバーサルな介入だけではなく、状況や人に適合した介入(Precision Prevention)が求められている。

10)グリーフケア:傷害が発生したときの状況を詳しく聞き取るためには、グリーフケアの要素も取り入れる必要がある。いずれは、公的なグリーフケアのシステムを構築する必要がある。

おわりに

 傷害予防の領域は、少しずつ進展しているが、その歩みは遅い。例えば、東京都商品等安全対策協議会では、2017年度にベランダからの子どもの転落事故について検討し、2018年2月に報告書が出来上がった。しかし、その報告書が出て1か月後には、3歳児がベランダから転落死している。「またか!」とがっかりし、哀しくなるが、あきらめるわけにはいかない。

 事故で亡くなった数多くの子どもたちの冥福をお祈りすると同時に、山積している課題に対し、これからも地道に取り組んでいく決意である。

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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