千利休の命日にちなみ、利休ゆかりの「京の冬の旅」へ
2月も今日で終わり、明日から3月ということで、いよいよ春を迎える昨今だが、年初から始まった「京の冬の旅」は3月21日(月)まで実施されている。
千利休の命日を迎えた本日。千利休にスポットをあてて、「京の冬の旅」の中で、利休ゆかりの公開寺院を紹介したい。
まず京都で千利休ゆかりといえば間違いなく大徳寺だ。三千家の菩提寺でもあり、利休が寄進した三門が現存している。この時に大徳寺が感謝の気持ちを込めて利休の木像を安置したが、後にこの門の下をくぐった豊臣秀吉が、利休に足蹴にされたと難癖をつけたのは有名な話だ。
今年56回目を数える「京の冬の旅」では、大徳寺において、千利休および三千家の菩提寺である聚光院が公開されている。
利休が作庭した百積の庭が拝観でき、茶室「閑隠席」(重文)と「桝床席」(重文)の二つの名席も見学できる。
また方丈は狩野永徳と、その父松栄の「花鳥図」「瀟湘八景図」「琴棋書画図」など、国宝の障壁画(複製)で飾られているのも見事だ。
続いて紹介したいのが、同じく大徳寺にある大光院。秀吉の弟で豊臣政権を支え、利休最大の庇護者であった豊臣秀長の菩提寺である。もともとは秀長が治めていた大和郡山に創建され、秀長の養子であった秀保亡き後、家臣であった藤堂高虎が大徳寺に移築した。
こちらは今回が初公開の寺院であり、今後はもう公開されないだろうと説明されていたので、まさに今回だけの必見の寺院といえる。
伝狩野探幽作の屏風を襖絵にアレンジした作品が目を引くほか、伝わる茶室は、露地にかつて福島正則、加藤清正、黒田長政がそれぞれ石を寄進しており、「三石の席」と呼ばれてきたという。
最後に紹介したいのが、大徳寺もある紫野エリアの南側に位置する興聖寺だ。千利休の跡を継いで、徳川家の茶道指南役となった古田織部が創建したことから織部寺とも呼ばれている。今回40年ぶりの公開となった。
境内は丁寧に手入れされた苔庭が随所に広がっており、本堂には本尊の釈迦三尊像、天井には雲龍図、藤堂高虎寄進の達磨大師も祀られている。
方丈には青色が鮮やかな襖絵が配されているが、これは南国フィジーの海中から水面を見上げたシーンを撮影したものだという。
奥の茶室「雲了庵」には織部の木像が祀られ、織部好みで藪内家の燕庵に共通する作風が見られる。
その途中の坪庭には、特徴的な「降り蹲踞(つくばい)」も据えられており、師匠の利休の侘びの精神を受け継ぎながらも、独自の茶道を追求した織部の個性を垣間見ることができる。
まだもう少し歩けるなら、門前の堀川通をそのまま南下して今出川通を越えると、晴明神社の鳥居が見えてくる。
かつて南西部に聚楽第があった頃は、この神社の場所に千利休の屋敷があったと推定され、利休はこの屋敷内で秀吉の命に従って自刃したとされる。
今年は千利休が誕生して500年目の記念の年、京都検定の1級の公開テーマ問題も「京の茶室」と先日発表があった。ぜひこの機会に、千利休や茶道ゆかりの地を訪ねてほしい。