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松尾芭蕉の命日に京都ゆかりの地を紹介

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
金福寺に再興された芭蕉庵(※以下の写真も全て著者が撮影)

 10月12日は松尾芭蕉の命日ということで、京都で芭蕉ゆかりの地を紹介しよう。

 そもそも芭蕉ゆかりの地といえば、故郷である伊賀上野を筆頭に、俳諧で名をあげることとなった江戸、さらには代表作『奥の細道』で訪れた東北地方がイメージとして定着しているかもしれない。

 しかし人生の後半年の多くを旅で費やした芭蕉は、実は京都にも頻繁に訪れている。普段観光ガイドを行っている立場からお伝えすると、最もよく紹介する芭蕉の句は、シンプルだが広沢の池の観月の様子を詠んだ「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」である。

広沢の池は源三位頼政も歌を残している
広沢の池は源三位頼政も歌を残している

 「天下三沢の池」の一つとして知られる広沢の池は、観月の名所として愛され、平安時代から貴族の歌にも頻繁に登場する場所である。そんな平安時代以来の雅な場所に、江戸時代の芭蕉の句も残る。時代を越えての文化人のコラボ。これぞ京都ならではの魅力だと言えよう。

 広沢の池から西は、嵯峨野エリアとなり、このエリアには芭蕉の高弟である向井去来が営んだ落柿舎が伝わっている。生前の芭蕉も滞在しており、『嵯峨日記』を記している。

現在も柿の木が植えられている
現在も柿の木が植えられている

 一方東に目を向けてみると、観光地である円山公園の南側には芭蕉堂が建つ。これは加賀の俳人である高桑闌更が、芭蕉ゆかりのこの地に建立したものだ。現在は芭蕉の木像も安置されており、誰でも気軽に参拝することができる。

 そしてもうひとつが東山の北側の山麓に位置する金福寺。こちらは村山たか女が晩年を過ごした寺院で、境内の中には芭蕉を慕う俳人であり、文人画の大家である与謝蕪村が、弟子達とともに再興した芭蕉庵がある。

庭の奥に見えているのが芭蕉庵の屋根
庭の奥に見えているのが芭蕉庵の屋根

 最後に洛南の伏見で芭蕉ゆかりの地といえば「油懸地蔵」の通称名がある西岸寺だ。境内にはこちらの任口上人に会いにきた芭蕉が、会えた時の喜びを詠んだ「わが衣に 伏見の桃の しずくせよ」という句碑が残っている。

 この歌が名高いことから、近くで酒造業を営む松本酒造から、銘酒「桃の滴」が誕生した。

油をかけて商売繁盛を願う風習が今なお息づく
油をかけて商売繁盛を願う風習が今なお息づく

境内に残る芭蕉の句碑
境内に残る芭蕉の句碑

 松尾芭蕉と京都ゆかりの地、ぜひチャンスがあれば回ってみてほしい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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