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この夏必見!二条城の二の丸御殿の大広間が特別公開へ

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
大広間二の間から一の間を見る。この写真、以下の写真は全て許可を受け、筆者が撮影。

本日7月14日(水)から、京都にある世界文化遺産のひとつ、二条城にて国宝の二の丸御殿の二の間特別入室及び障壁画の原画公開(7/15~)が行われている。

期間は令和3年7月14日(水)~8月30日(月)までで、火曜日は二条城が閉まっており観覧不可となる。

通常は廊下から見る大広間二の間に入室して、障壁画(模写)や欄間彫刻などを間近で鑑賞できる。この際に、入口以外の襖は閉まった状態で見るため、通常では見ることのできない絵も必見だ

普段は閉まっているから見えない襖絵。この期間限定の貴重な鑑賞機会。
普段は閉まっているから見えない襖絵。この期間限定の貴重な鑑賞機会。

大広間二の間も折り上げ格天井となっており、格式の高さがうかがえる。
大広間二の間も折り上げ格天井となっており、格式の高さがうかがえる。

大広間の絵の作者は狩野探幽とされるが、中でもこの鳳凰の出来栄えの評価が高い。
大広間の絵の作者は狩野探幽とされるが、中でもこの鳳凰の出来栄えの評価が高い。

さらに二の間からは将軍が座す一の間も見ることができ、大政奉還を「受ける側」の雰囲気も味わうことができる。

通常二の間には家来が並んでいるが、この期間は全て撤去されている。
通常二の間には家来が並んでいるが、この期間は全て撤去されている。

また二条城障壁画展示収蔵館では、大広間の二の間と一の間の障壁画の原画を前期と後期に分けて展示している。つまり前期後期2回訪れると、大広間の全ての障壁画の本物を見ることができるという初めての機会となる。

前期:7月15日(木)~8月23日(月)

大広間二の間

後期:9月3日(金)~9月26日(日)

大広間一の間

最後に、簡単に二条城の「概要」と「見所」について述べておこう。

二条城は、慶長8(1603)年、徳川家康が将軍上洛時の宿所として、また西国大名や朝廷の監視を目的に築城した。その後、慶長16(1611)年、徳川家康は豊臣秀頼を二条城に招いて「 遠侍の間 」( 身分の低い者が使用する部屋 )で会見し、天下に徳川家の威信を示している。寛永3(1626)年に3代将軍・徳川家光が大軍を率いて上洛すると、以降は幕末まで229年間、将軍が上洛して二条城に入城することはなかった。

動乱の幕末、慶応3(1867)年10月、二条城大広間において江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、約260年続いた江戸時代に幕を降ろし、明治時代になると京都府庁として一時使用され、その後、宮内省管轄の二条離宮となり、昭和14年に京都市の管轄となって現在に至っている。

二の丸御殿の入り口である車寄せと遠侍
二の丸御殿の入り口である車寄せと遠侍

見所となる二の丸御殿雁行形(がんこうけい)と呼ばれる斜めに建物が連なる形式をとり、玄関にあたる車寄せから入ると、遠侍・式台・大広間・黒書院・白書院と呼ばれる部屋が奥へと続く。遠侍から大広間までは公の空間で、黒書院・白書院は将軍がごく親しい大名や家臣と過ごすプライベートな空間であった。全体的には書院造という住宅建築様式で造られており、付書院・床の間・違棚・頂台構などが備わっている。内部を飾る障壁画や襖絵は、狩野探幽・尚信・興以らの傑作で、廊下は鴬張りとなっている。

また、二の丸御殿に面した庭園は、小堀遠州作の池泉回遊式庭園で、どの部屋から見ても美しく見ることができるよう作庭されている。幕末と離宮時代に大幅に修復が行われているが、史跡及び特別名勝庭園に指定されているので、ぜひ見逃さないようにしたい。

冬の二の丸庭園。ソテツの木を「こも巻」にしているのは、離宮時代からの伝統的手法。
冬の二の丸庭園。ソテツの木を「こも巻」にしているのは、離宮時代からの伝統的手法。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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