もはやeメールを使わない現代の大学生に、eメールでの課題提出と作法を求めることの是非(追記あり)

(写真:アフロ)

 元電通のコピーライターである田中泰延さんが、ある大学での非常勤講師として個人的に学生に講評のための課題提出をメールでさせたところ、誰一人として本文に氏名を書かず「講評をお願いします」とも記述が無かったとして不合格にするというツイートをして話題になっています。

 大学によって違いはありますが、私自身が非常勤として呼ばれる国立大学などでは、メールでの提出は本文に課題の内容のみ、提出者の氏名がメールアドレスで分かることという制限のみがかかっていて、それ以外の書式を求める場合は教員が大学生に対してテンプレートを明記して指示しなければならないのが一般的です。

ちょっとマジで叱る。

大学生に作文をメール提出という課題を出したのだが

誰一人、ただの一人も

「田中泰延様

〇〇大学の〇〇です。

講評お願いいたします。」

という当たり前のメールが来ずに

ただ、誰のものかわからない作文だけが送られてくる。

世の中ここまで来たか。

全員不合格です。

出典:田中泰延

 これは、単純にアメリカだけでなく東南アジア、中東などからの留学生のeメール文化に「○○様」という宛名や「○○大学の○○です」という名乗りを書かないのが当然になっていて、また、課題をメール本文にテキスト打ちすることがなくwordやtxt、pdfファイルをそのまま添付するよう求められるのが一般的になってきているからです。逆に、メール本文に課題をじか打ちさせたり、挨拶文や講評願いを書かせる指導をする教員をあまり見たことがありませんでした。

 また、大学での課題提出でオンラインで済ませるところはたいてい課題提出用のファイルや授業支援システムにアップロードして、アップロードした報告はLINEで行うことも増えてきており、どうも田中泰延さんは学生にご自身のメールアドレスを指定し、そこへのメール本文に課題を書いて送るよう求めていたようです。しかしながら、少数派ではない大学では課題提出用のシートには書式が決まっており、むしろ本文以外を記述すると不合格になる仕組みになっています。

 田中泰延さんが教鞭を執られたのはどこの大学なのかは別として、きょうび、講師にこういう対応を取らせる授業があるのは驚きで、ましてやTwitter上での文面では「全員不合格」とされるようで、大変なことになっています。メール提出用のテンプレートも指定せず「講評お願いします」の文面がなかっただけで不合格扱いになってしまうというのはさすがに常軌を逸しています。田中泰延さんがどうというより、大学の教務課は何をしているのでしょう。その後、田中さんはあくまでSNS上でのネタであって、個人的なものだったと説明しています。

 田中泰延さんに限らず、社会人大学院に学識経験なく教務として任期付きの教授や准教授に就任する方は私立大学を中心に多数おられます。社会での知識や経験、実績を元に後進を育てるため教鞭を執るというのは特におかしいことでもなく、大学生の知見を広め学識を深めるためにもどんどんやったらいいんじゃないかと思います。

 一方で、担当教員の手によるきちんとしたシラバスが作成されないまま、教員である教授や准教授の個人的な経験を体系立てずにそのままたれ流したり、個人的に知己の著名人を特別授業として講演させて感想文を書かせるだけの授業を何コマも行ったり、およそ最高学府に値しない授業が大学界隈で横行してしまっているのも問題のように感じます。

 古株の大学教員ともこの件では良く話をするのですが、いまどき「大学生がメールを使わないこと」は理解したうえで、LINEやFacebookメッセージなどのSNSと授業支援システムとの連携をどうシームレスに行い、課題提出や学業の進捗管理をしていくべきかは悩みの種になっています。もちろん、従来ながらの授業は維持しながらも、教員と学生との関係性や使うべきツールと作法も吟味しながら時代に合わせてやっていこうというのは大前提だと思うんですよね。確かに私の時代は手書きのレポート用紙で20枚、筆記用具は黒か紺のボールペンのみという課題はちょくちょく出ていたわけですが、いまや試験会場にすらコピペ可能な端末を持ち込ませて「考えた結果をまとめさせる授業」が求められている高等教育以上においてシステムと作法の制限は最小限にしたほうが各々効率的なのではないか、と思うわけですが。

 蛇足ながら、田中泰延さんのような実績のある著名人を大学が(研究者ではなく教員での)講師として迎えるのは、どの大学でも少子化に伴って入学する学生の定員充足率に課題を感じているからです。だからこそ、よりカルチャースクール寄りでも名前のある人を呼んできて教授などの肩書を与えて授業をさせるのは、学生に入学意志を持ってもらう意味を持つと考えられているからです。事実、中学生高校生のころから「自分はこういう仕事をしたい」と志を持っている学生が、その仕事の熟達者である外部講師が授業をする大学に入学しようとするのは大学にとってもプラスであり、価値を生む施策として非常に一般化した経緯はあります。

 ところが、その結果として大学側の経営問題がいきなり改善するはずもなく、実際に起きることは本来ならば然るべきアカデミックな研鑽を積んできた人が座るべき教授職・准教授職がなぜか門外漢の著名人やジャーナリストに渡されてしまいポスト不足になった学内のアカデミック人材が不定期採用枠でワープア状態になったり、優秀な人物が他の大学に移ってしまったりという問題を起こします。また、企業からの寄付や卒業生の採用を当て込んで大手企業の元取締役を社会人大学院のポストに就けたり、大手官庁のOBを順送りで教授に天下りさせたりという人事が横行して、当該分野に真面目に取り組んでいるアカデミック人材ほど出世の道を失って分野全体の損害となることもあり得るのです。

 そして、そういう人物ほど研究も教務もまともにこなさず、論文を書かずにポストを占めるので、その大学の機関としての評価が上がるはずもないのです。常識的には中身は別として「メール本文に時候の挨拶を書かなかったので不合格」という教育が成立してしまうことのほうがはるかに問題で、それとは知らずに田中泰延さんが素直に(直情的に)こういうことを書いてくれたというのは、改めて「大学とは何をするべきところか」を考える良いきっかけを提示してくれたのではないかと思います。

 末筆になりますが、私のTwitterアカウントは田中泰延さんにブロックされていました。

(追記・訂正 11日 19:47)

 田中泰延さんより直接ご連絡を戴き、当記事冒頭の当該ツイートについては「これは自分(田中さん)の本を買ってくれた学生に『作文の仕方を教えてください』と言われ『それならば、映画の感想文を送ってきてください』としたところ、名前もなにもない文章が送られてきたことをツイッターに書いただけで、正規の授業の課題ではない」とのことでした。

 当該ツイートには田中さんの発言に対する賛否がメンションだけで800件以上送られてきており、また、東京大学・池内恵教授とのやり取りでもご理解いただける通り、これらの内容は概ね大学生の課題提出のあり方やメール仕様に関するリテラシーに関する意見論評が主です。また、田中さん自身も7月2日付で2つの大学で講師を行う旨の発言をされています。その後、教務とは無関係に一般の人たちに映画論評をメールで公募している内容も特に話題になっていないので、冒頭の記事については「田中さんが講師としてこれらの大学でお話された内容に応じた大学生が教務の一環としてメールで文書を寄せたもの」と解し、本件につき意見論評をしました。

 本論とは本件は無関係の部分ですが、田中さんのご指摘も踏まえて文中内容を一部削除・訂正いたします。