「学校の授業でスマホ活用」のはずが、初歩的な技術運用ミスで失敗し業界の笑いものになるまで

(写真:アフロ)

 山本一郎です。デジタルネイティブ世代よりは少しおっさんです。

 私自身も、子供のころはいまでいうプログラミング教育やパソコンおたくだったこともあって、私自身の意見としては「子供のころから時間を区切ってスマートフォンを使わせること」には賛成です。また、教育において伝統的な紙と鉛筆と黒板からiPadやパソコンをネットに繋げて利用するのが当たり前の世の中になるといいな、と思う部分も多くあります。

何のためのプログラミング教育か? 目的と手段を取り違えないための発想(こどものミライ 17/4/4)

「スマホde子守」の是非(Y!ニュース 山本一郎 13/11/17)

 ただ、それを実際の教育の現場で実施していこうとするとさまざまなハードルがあり、それはそもそも教師がデジタル方面の素養がなかったとか、適切な教育コンテンツが存在しないとか、ただでさえいろんなものを学習させようという方向になっていて教育の現場が疲弊するほど多くの物事が山積しているとかいう、ある種の「日本の公教育に子育て全般を預けすぎる」現象にも繋がります。もちろん子供の教育のためにはいろんな分野の知見に詳しい教師は必要だけれども、教師がすべての方面に通暁していることなどないわけで、あくまで子供たちにきちんとした学習できる環境を作ったり、学習へのモチベーションを高めたりということが求められていると思うのですよ。

 そして、最近ではゆとり教育の反省というわけでもないのでしょうが、2020年には大学入試改革も行われ、先にも述べたプログラミング教育や、英語の必修化、アクティブラーニング、AO入試・推薦入試枠の拡大、9月入学への段階的移行などなど様々な日本の教育の現代化が進められて行っている渦中にあるわけであります。

 そんな中、先日藤原和博さんが日経グローカルにて教育方面で物議を醸す記事を出され、また本人がそういう議論や批判を知らないままTwitterにのんびり「学校によく出入りしている内田洋行も富士通も気づかなかったこと。これ、全国の自治体の参考になりますよ」などと書いておられました。まあ、教育産業でプログラミングやICT導入を進めている私学や大手学習塾では2010年ごろにはすでに解決している課題をいまごろになって藤原さんがドヤっている状況になるとさすがに厳しいものは感じます。

スーパー・スマートスクールとは何か? 生徒のスマホを禁止せず授業で積極的に活用(日経グローカル 藤原和博の教育談義 17/4/3)

スマホを学校で使うのにWiFiを設備すればすぐ繋がると思っていたのが大失敗!どんな苦労をしたか、裏話を書きました。市教委だけじゃなく、学校によく出入りしている内田洋行も富士通も気づかなかったこと。これ、全国の自治体の参考になりますよ

出典:藤原和博 - Twitter

 で、この手の学校施設や学習塾などで百人単位の利用者が授業でネット環境を利用する件は、Ciscoなどハードウェアベンダーや富士通、NECなどの大手SI企業がガイドラインを作成しています。実際、発注に関しても学習用のテンプレートの工数表、見積もりが準備されているのが普通で、もしもこの藤原さんが本当にこの問題に直面していたとしたら「通信インフラの準備について何も知らずに発注した」ことになってしまいます。一般的には、各ベンダーが大学や一部高校などに対するアカデミー向けプランのガイドラインに準ずる形で小学校中学校あるいは学習塾などで使われる形になっています。

高等教育機関向け高密度無線 LAN デザイン ガイド(Cisco 12/9/14)

 そればかりか、学校が支給する端末ではなく個人保有の機器で授業を行うBYODは2000年のパソコン教育から私学では広く行われており、藤原さんが記事で書いておられる「生徒全員にノートパソコンを配ったり、タブレットを買わせて持ち込ませている学校はあるが、生徒が所有するスマホを学校で積極利用するBYOD(Bring Your Own Device)方式は、おそらく世界初ではないかと思う」はさすがに事実誤認ではないかと感じるわけです。先進的な教育への取り組みは重要なことなのでまことに結構なことですが、前のめり過ぎてもどうなのかという部分はあります。

教育分野における先進的な ICT 利活用方策に関する調査研究(富士通総研 2015年)

 それゆえに、ICT教育もそうですし、アクティブラーニングやプロジェクト・ベースド・ラーニングなど新しい教育モデルにも言えることですが、どうしても「それは伝統的な紙と鉛筆と黒板に比べて本当に”学力”は向上しているのか」というところにもっと神経を注ぐべきなのでは、と感じるわけですよ。ひとくちに「記憶力偏重の学力ではいけない」といって、その対比として「問題解決能力を」と叫んだところで、どこに問題がありそうか事象の全体を理解するには記憶していなければなりません。検索して発見できる知識を活用するには、そこに知識があると理解していなければ到達したり獲得したり活用したりすることができないからです。

 これからは人工知能の時代だとか、人物本位の選抜基準をと言っても、過去の経験や業界の常識に基づいて教育(業務)プロセスを設計しないと誰でもわかる失敗を繰り返してしまうことになります。それは問題解決能力とは言わないでしょう、インフラ整えないwifiに生徒千人ぶら下げたら落ちるに決まっていますから。本当に最先端の教育を実現する現場を作りたいならば、その最先端を構成している業界や技術者にしっかりとしたヒヤリングができていなければならない、と強く感じます。

 また、自分も子供を教育する側に回ってみて、はじめて「子供に興味を持たせること」と「子供が興味を持つことに理解を寄せること」のむつかしさを体感しました。好きなことはいくらでも試行錯誤するエネルギーを発揮する一方、好きではないことを習慣づけるには途方もない苦労を強いられるという面も多くあります。

 いま最先端とされるICT教育が、単に紙&鉛筆の代替となるだけのハードウェアや、お題目のようなネット利活用という表層で終わらず、子供たちの興味関心の深耕や価値のある課題設定に向かうよう心から願うのみです。