「日本死ね」からの保育園・児童相談所建設反対問題

少子化で「子供は大事だ」という一方「子供の施設は近所に欲しくない」問題は深刻です(写真:アフロ)

山本一郎です。流行語大賞とか身の回りに「神ってる」って言葉を使っている人そのものがいなくてドン引きでした。どう見ても流行ってないんですが、大丈夫なのでしょうか。流行語大賞自体の存続が危ぶまれるレベルの失態ではないかと思うのですが。

その中で、なぜか「保育園落ちた、日本死ね」が流行語大賞に潜り込んでいて物議を醸しました。賛否両論あるかと思いますが、いまの日本社会の問題を見事に映し出していているという点ではまあそんなもんなのかなと思います。

で、実際に保育園落ちる話で申しますと、このところ近所に保育園は作って欲しくないという話がさかんに出回っておりまして、東京都などでも住宅街ではこの問題はとてもホットです。待機児童数の問題は都市部の問題ですから、地方在住の方にはピンと来ないかもしれませんけれども、働く(働きたい)母親からすれば経済面だけでなくキャリア面でも死活問題ですので、男女共同参画とか輝く女性を応援するとかいう以前の問題であることは言うまでもありません。

私立保育園が開園断念 近隣住民反対で(毎日新聞 16/9/29)

「舛添東京都知事が3分でできる、効果的な待機児童対策」の課題について(やまもといちろう 16/4/11)

杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します(駒崎弘樹公式ホームページ 16/6/7)

いうまでもなく、これらの報じられ方というのは氷山の一角であって、一昨年この手の政策論に興味のある人の間で話題になったクローズアップ現代以降もまったく火の勢いは衰えることなくいまも問題になり続けています。

子どもって迷惑? ~急増する保育園と住民のトラブル~(NHK クローズアップ現代 14/10/29)

ここで描かれているのは、誰も悪人ではなく、誰もが自分の意見を正統と思っている悲しい世界で置き去りにされる子供たちと母親の事情です。かかわる人たちで、たとえ保育園建設の反対派でさえも「保育園は必要だ」と言います。しかしながら、保育園は自分の家の近くにあって欲しくないということで反対したり、近くにある公園を潰さないでほしいという、俗にいうNIMBY問題を引き起こします。保育園であろうがゴミ焼却場だろうが、必要であることが分かっていながら自分の持ち家からは遠いところにあって欲しいというのは、総論賛成各論反対の極みであって、住民説明会で納得してすんなり建設される保育園など少数だとまで言われるほどに、深刻な問題になっています。

NIMBY問題

「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由(オピニオンサイトiRONNA 山本一郎)

そもそも「保育園は迷惑施設か」と問い合わせると、反対派でさえも迷惑施設ではないとされながらも、道が狭いとか、騒音がうるさい、そんな話は聞いてなかったと理由をつけて建設に反対することになります。

極めつけは、先日フジテレビ系「とくダネ!」でも特集されましたが、大阪市の児童相談所がマンション低層階に入居すると予定された件で、大阪市の決定を地元住民が反対し、まだ騒ぎが広がっている点です。児童相談所は必要な施設で、大阪にはそもそも2か所しかなく、どう考えてもどこかに置かなければならない機能です。実際、大阪市の吉村洋文市長も、はっきりと「反対が多いから別の場所とはならない」と設置に意欲を見せています。

マンションに児童相談所の計画 住民反発「なぜここに」(朝日新聞デジタル 16/10/4)

いきさつを見る限り、大阪市の言い分ももっともで、住民の反対を押し切ってでも早期に虐待児童の保護ができるよう全力を尽くすべきだと感じます。どんなに住民説明会を開いても、最後まで納得されることは無いかもしれません。

地域全体、社会から見て必要な施設であるにもかかわらず、地元の理解を得られず設置ができないことで、地域全体や社会が不便を蒙るのでは意味がありません。全体の計画についてきちんと自治体や都道府県が作成した計画や議会審議をしっかりと経て、迷惑施設から除外できるとか、反対に関する一定の補償が行われれば必要とされる施設は建設できるという仕組みが求められているように思います。

大きく言えば、原子力発電所の問題も、沖縄にある米軍基地も、要は「誰かに何かを押し付けるな」と「必要だから、合理的などこかになければならない」との相克である以上、何かを犠牲にし、どこかで補償しなければなりません。往々にしてこれらの問題が「押しつけ」とそれへの「反対のための反対」となり、収拾がつかなくなるのは国なり社会なりの具体的なルールがないからでしょう。これでは、いくら待機児童対策に予算をつけても場所が使えないのであれば問題は解決しません。子供が預けられないのでキャリアを捨てる夫婦が出るというのは共働き志向の家庭の人生に関わる問題を政治が解決できないということでもあります。

日本に余裕のある時代であれば、郊外まで出て行って新しく街づくりに投資すればいいやという話もあったのでしょうが、都心回帰の動きがここまで広がっている以上、どこかに解決の糸口を作らなければならないことは言うまでもありません。個人の持つ権利を剥奪しすぎない程度に、どこかで我慢してもらえる線引きを作れなければ、これらの「必要な施設だけど、うちの近所には欲しくない」という問題を突破できず、社会全体が不合理を受け入れて衰退していくだけなのではないか、と強く思います。

翻れば、政治の貧困、指導力の欠如というのは、このようなところに噴出するのかな、と思うところでもあるので、もしも安倍政権が支持率60%に見合う能力を兼ね備えているのであれば、もう少しこういう問題にも着手してもらえるといいなあと思う次第であります。