Teslaの「Autopilot」モード中の死亡事故についての雑感など

手の届く「夢の技術」である自動運転の車両で人命が失われる事故がありました(提供:Robert VanKavelaar/ロイター/アフロ)

山本一郎です。スマホを便器内に落として凹んだりしていましたが、いまは元気です。

ところで、自動車の自動運転はここ数年世界中で注目されるトピックの一つであることは間違いないわけですが、そうしたトピックの中でもっとも人々の関心が高かったであろう「もしも」の事態が不幸にも起きてしまいました。

米テスラ、「自動運転モード」作動中に初の死亡事故(日本経済新聞 16/7/1)

事故が起きた原因についての憶測は色々とあるようですが、具体的に明かされている事故状況についての情報は今のところまだかなり限られています。

テスラ車Autopilot関連の死亡事故、発生当時の状況の一部が明らかに(WirelessWire News 16/7/4)

今後、米国での調査が進むことで詳細が分かっていくことと思われますが、すでに自動運転を巡っての様々なポジショントークが国内外で繰り広げられているようです。

テスラEVで死亡事故、識者に聞く---「自動運転が起こしたという認識は間違い」(日経テクノロジーオンライン 16/7/2)

野辺氏:日本では自動運転技術をたたく(批判する)ような論調につながる可能性を危惧します。話を覆すようですが、現在のAutopilotは自動運転機能を実現するものではありません。そもそも、NHTSAは現時点ではまだ市販車が自動運転機能を使って公道を走ることを認めていませんので、今回は「自動走行中に事故」という話ではありません。

(中略)

NHTSAはあくまでも自動運転技術の開発を推進しています。この件に関する日本の誤った報道が、日本における自動運転技術の開発の足かせにならないことを願っています。

出典:日経テクノロジーオンライン

上記の記事で熱く語られているのは自動運転技術分野の事業へ本格的に参入しているIntelの中の人なので、当然ながら今回のような事故でネガティブな意見が流布することは避けたい立場であります。もちろん、ポジショントークだけでなく、技術の将来性を信じてのコメントではあるのでしょう。しかし一方で、人命に直接関わる自動運転車という存在を社会でどのように受け入れていくかという議論は、技術開発の足かせ云々とは全く別の話でもあります。

今回の事件で注目すべき点は、Teslaが提供している「Autopilot」という機能が果たしてどのようなものであったかというところでしょう。

Tesla Autopilotが重大事故を起こす、なぜクルマは止まらなかったのか(Emerging Technology Review 16/7/1)

TeslaはAutopilotの機能は「public beta」で、製品出荷前の試験段階にあると繰り返し説明している。ドライバーがこの機能を起動するとメッセージが表示され、運転責任はドライバーにあると示される。Teslaはドライバーに運転中はステアリングを握ることを求めている。クルマはドライバーがステアリングを握っていることをチェックする機能があり、手放しで運転すると警告メッセージが表示される。

(中略)

Autopilotは運転を補助する機能であるが、この名称は自動運転機能を連想させ、市場にメッセージが正しく伝わっていないのも事実。更に、安全が第一のクルマで、Autopilotは製品ではなくベータと言われて戸惑う人も少なくない。

出典:Emerging Technology Review

いずれ解決していく問題であるとしても、ちょっと違和感はあります。

Teslaは、不完全かつ未熟な機能であるものをPCソフトなどによくある「ベータ版」と称することでその安全性の担保を半ば放棄するような形で市場に提供し、安全責任は運転者に委ねるという立場です。これまで大きな事故が起きていなかったため、こうしたTeslaの立場もあまり問題視されずにきたのかもしれませんが、今後はどうなるのかは気になるところです。「発展途上だから、多少の事故は許される」というのは、なんか昔の水素で飛ぶ飛行船の事故みたいな雰囲気を感じさせます。

米テスラ車の死亡事故、消費者団体から厳しいルール求める声(日刊工業新聞 16//7/4)

より強いルールを求めてロビー活動を展開してきたグループにとっては、制限の緩いアプローチを認める傾向が強まっている米当局の姿勢がまさに問題点だ。高速道路・自動車安全推進委員会のジャッキー・ギラン委員長は「明確なガイドラインなしに自動車メーカーに自らの試験を行うのを認めることは、消費者が実験のモルモットになることを意味する。今回のようなことは何度でも起きるだろう」と語った。

出典:日刊工業新聞

個人的には、もう少し厳格なルールが制定される方針には賛成です。

自動車という乗り物の歴史を振り返れば、今日のような安全性が確立されるまでには多大な犠牲が積み重ねられてきたことは間違いありませんが、そうした過去と同じような犠牲を改めてまた積み重ねなければ自動運転車が実現できないというのは時代錯誤的な考え方であると感じます。過去の過ちを繰り返さずにより安全性の高いものを実現できるようにするのがテクノロジーの役割であると信じたいところです。たとえ心の中ではそう思っていたとしても、「事故がなければ技術が進まないという認識」みたいな正当化をドヤ顔で為してしまうような軽率なことがあってはいけないと感じる次第です。

最初から完璧なものを求めたいのではなく、無理のないところから技術を実践で積み上げて欲しい、社会的議論が実態により沿う形で追いつけるレベルのスピード感のほうが、こういう人命がかかわるものについては大事なんじゃないかと思うわけですが、まあこの辺はいろいろな価値観がありますからね。皆さんのご意見も、ぜひお聞かせください。