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「荒れる成人式」はいつから?

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

昨日は成人の日であったらしい。この3連休は各地でいろいろイベントが開かれただろうが、最近、成人式というと、何かやらかす人が出てきてよくニュースになっている。今年だとこんな話があった。

成人式「侍」逮捕 羽織で模造刀」(日刊スポーツ2014年1月13日)

「成人の日」前日の12日、各地で成人式が行われた。静岡県富士宮市では、会場に模造刀を持ち込んだとして、銃刀法違反の疑いで建設作業員赤池由稀也容疑者(20)が現行犯逮捕される騒動も起きた。会場前で刀をさやから抜き、友人たちに見せていたという。

橋下市長ブチ切れ!騒ぐ新成人に一喝「出ていきなさい!」」(スポーツ報知2014年1月13日)

大阪市の橋下徹市長(44)が13日、同市淀川区で行われた「成人の日記念のつどい」を訪れ祝辞を述べた際に、拡声器を持って騒ぎ立てた新成人とみられる7、8人の男性グループに退場を命じるハプニングが起こった。

こういう話が出ると、すぐに「最近の若い者は」ってなって、そうすると「いやいやこんなのは前から」みたいな反論が出てきて、というテンプレートのような論争になるからやや辟易しているのだが、いやしかし待てよ、と思い直した。ほんとに最近のことなのか、ほんとに前からあったのか。というわけで、ちょっとだけ(ほんとにちょっとだけ)調べてみた。本気で調べるならもっといろいろやるんだろうが、時間もないしということで、大学で契約してる朝日新聞の記事データベースを「成人式」というキーワードでちょいちょいと検索してみた次第。

そもそも現在のような成人式は、Wikipediaによれば、1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっているらしい。これを受け、国も1948年に祝日法を定めた際に、1月15日を成人の日として制定したのだそうだ。というわけで、1949年以降の記事を検索。

「成人式」ということばが最初に出てくるのは1959年1月18日付東京版朝刊「成人式に祝電のヤマ“カモ”逃がさぬ事前運動 地方報告」という記事。どうもこの時期、成人式は行政、というかその首長など政治家の方々にとって新たな有権者へのアピールの機会としてとらえられていたらしい。この後の記事にも、成人式の会場でビラ配りをした人(おそらく左系)を逮捕したとかそういう記事がいくつも出てくる。東京では都と区がそれぞれ式典をやって人集めをしてたなんていう記事もあるが、そういう事情だからなのだろう。

で、そんな動機で開かれる式典が面白かろうはずもない。勢い、何か人集めのしかけを迫られることになる。1960年1月15日付東京版朝刊の「「曲がりかど」の成人式行事 お座なりの講演・演芸 成人式」という記事では、早くも10年めにして形骸化した式の模様が伝えられている。

行事といえば、みんな申し合わせたように講演とアトラクション。だから各区とも昨年秋から有名な講師の取り合いに終始した。講演も堅苦しいものばかり。それだけでは人が集まらないのでアトラクションをつけるわけだが、ほとんどがカビの生えたようなニュースと劇映画だ。風変わりなところではジャズ大会。それでもまだ足りぬとバッジやアルバムの記念品贈呈だ。それも予算が少ないとあって先着何人という制限つき。

なんともわかりやすい図式だが、少なくともこの時期、成人式で暴れてどうとかいう記事は見当たらない。せいぜいが、成人式の帰りに酒を飲んで飲酒運転してどうとか喧嘩してどうとか、そういう記事。一方で、成人式が特に女性にとって晴着である振り袖を着る日として定着していく。1966年1月14日付東京版夕刊「服装いよいよ派手に ことしの成人式もて余す“美の競争” 成人の日」という記事にはこうある。

織物の街、群馬県桐生市から、わざわざ業者が、東京の成人式めざして“偵察”に来ることからも察せられる。「好みの色は」「模様は」と、あちこちの会場でさぐりを入れたうえ、嫁入り道具にもなるお召の訪問着やタテ糸で織れるお召、ふくろ帯などを売りまくろうという算段である。

考えてみれば、この時期すでに、普段着としての和服は既にほとんど消滅していた。晴着、しかも値の張る若い女性向けの振り袖は唯一の希望というわけで、業界の皆さんの熱が入るのもまあわかる。で、当の新成人の皆さんはどうかというと、若干のぶれがあるようだ。1970年1月14日付東京版夕刊「成人式 若者引止めにやっき 目立つ新成人の企画 成人の日」では成人式離れが指摘され、また1971年1月11日付東京版朝刊「“造反”に揺れる成人式 お仕着せに反発 日本レポート(コミュニティ71)」に見るように、若者主体の式典への方向性が模索されたりもする。

一方で1966年3月10日付東京版朝刊「文京区の成人式復活 希望者が多く来年から 二十三特別区」では、一時成人式が中止されていた文京区において、若者層からの希望で式典が復活するという流れもあった。理由ははっきり書かれていないが、晴れ着を着て集まる同窓会としての要素は当時から意識されていたのかもしれない。

この傾向は、70年代から80年代、そして90年代に入るとさらに強まる。成人式の記事にも、成人式での新成人たちのマナーが問題としてしばしば取り上げられるようになる。1988年01月28日付朝刊声欄には「常識を忘れた新成人は残念」という20歳学生の投書が掲載されている。

先日成人式を迎えた。期末試験を直後に控えてはいたが、自分の1つのけじめとして式に出席した。そこで私は信じられない光景に出合った。

会場前の道路いっぱいに広がった晴れ着姿の成人たち。車が通行できずに困っているのにも気付かない。式典が始まっても、会場内は静まるどころか騒然としたまま。「やだあ、ひさしぶり。どうしてる?」「えーっ! なにいー? どうしたの? それー!」。そんな会話が式典の進行をよそに飛び交う。

もともと成人式の会場は、新成人が全員入れるようになっているわけではないことが多いらしい(私は行ったことがないので知らないが、入れなくてトラブルという記事はいくつかあった)。だが、だんだん「同窓会」としての要素が強まっていけば、出席する(というか、会場付近に集まる)人も増えるだろう。で、自然、入れなかった人、あるいは式場に入ろうとしない人たちが会場外で大騒ぎする状況がふつうになっていく。次第にそうした状況への風当たりが強まる、という流れだ。

「服装簡素に、私語慎んで… お役所が若者に苦言 あす成人式 /埼玉」(1993年01月14日付朝日新聞埼玉版朝刊)

「成人の日」の十五日、県内では九十市町村が成人式を実施する。艶(あで)やかな振り袖(そで)や新調のスーツなどに身を包んだ新成人が、久しぶりに再開した友人らと旧交を温めるのが恒例となっている。一方で、年々華美になり、私語が絶えない式典の在り方に疑問の声も多い。県内では三十市町村が「服装の簡素化」を要望しており、中には「私語を慎んでほしい」と明記したチラシを配る市もある。

また、華美な服装とともにここ数年、「これでは七五三なみだ」と非難されることが多いのが、式典中の私語だ。秩父市は十五日の式当日に受け付けで、「心に残る楽しい式典でありますよう進行中はご静粛にお願いいたします」と書いたチラシを配る予定だ。

とはいえ、じゃあ全員入れる会場を用意しようとすればコストがかかるし、もし全員を席に着かせればその場で大騒ぎが始まって式典どころじゃなくなるわけで、容認せざるを得なくなっていく。

「成人式の「場外たむろ」もOK 東京・立川市公民館審議会が答申」(1996年01月09日付朝日新聞夕刊)

厳粛な成人式で一人前の大人になる自覚を――なんて期待は若者に通じない。式に出ず場外でたむろするもよし、晴れ着ショーと化すのもまたよし、と気軽に考えられないか。東京都立川市の公民館運営審議会が成人式について、こんな答申をまとめた。市はこの答申を尊重するが、若者への理解なのか、あきらめなのか。最近の成人式の実態を変えるのは困難、ということらしい。(中略)

「式場に入ってもらうだけで一苦労。講演を静かに聞かせるなんて、まず無理です。あいさつを聞いてもらえず怒った来賓もいた」と、以前担当を務めた市職員は苦笑する。

答申に具体的な解決策はなく、むしろ現状追認の記述が目立つ。例えば、(1)大人たちは成人式に大きな効果を求めているが、もっと軽い気持ちでよい(2)市長などの言葉は場外にも流し、会場に無理に入れなくてもいい。かえって式場は静寂になる(3)着物を作る機会であり、晴れ着ショーでもよい、といった具合だ。

結局、具体的な見直しとしてあげているのは、「アトラクションにプロの歌手を呼ばず、地元のアマチュアバンドを出演させること」など。その方が「親近感を抱く」という理由のようだが、予算が少ないという、もうひとつの事情もあるようだ。

このあたりが分水嶺なのかもしれない。成人式の帰りに、ではなく、成人式会場でのトラブルが報じられるようになるのはこの後の時期だ。

「成人式で暴力、傷害の疑いで逮捕 宇都宮南署 /栃木」(1996年04月13日付朝日新聞栃木版朝刊)

宇都宮南署は十二日、宇都宮市宝木二丁目、暴力団員、A容疑者(二〇)を傷害の疑いで逮捕した。

調べによると、容疑者は一月十五日午前十一時二十分ごろ、宇都宮市立雀宮中学校体育館で、成人式記念の写真撮影に立ち会っていたカメラマン助手(三〇)の左耳を殴るなどして全治二週間のけがを負わせた疑い。撮影場所でふざけていたのを助手に注意され、腹を立てたという。

「マナーは未成年? 会場でけんか 成人式「主役」が騒動」(1997年01月16日付朝日新聞西部本社版朝刊)

人生の節目、成人式。そのおごそかさに似つかわしくなく、例年、式典で祝ってもらう新成人の「お行儀の悪さ」が問題となる。今年も、式典の最中の私語や所構わない携帯電話の使い方にとどまらず、酒に酔ってアトラクションの舞台を邪魔したり、会場でけんかをし警察官に制止されたり、といった騒ぎを引き起こす若者もいた。大人のお仕着せへの反発なのか、「今どきの若者」の非常識なのか。

○目立ちたい

市議会議長が成人式での若者のマナーにあきれ、今年の出席を拒否した長崎市の「二十歳のつどい」。酒に酔った新成人ら数人が突然、壇上に上がってアトラクションの手品ショーを遮り、手品師の前で騒いだり、女性助手を抱え上げたりの大騒ぎをした。壇上に上がった建設会社員の男性は「目立ちたかったし、もう十代の自由はないと思ってやった。式典は無礼講で、悪いとは思っていない」。

会場は、伊藤一長市長があいさつの冒頭、「しばらくこちらに顔を向けて下さい」と呼びかけるほど騒然としていた。「かっこいいー」「市長さん、こっち向いてぇ」と大声で叫ぶ女性もいたほか、一升びんを片手に飲酒したり、喫煙コーナー以外で喫煙したり。果ては会場内で、新成人同士のけんかも起き、交通整理などで出動していた警察官に制止された。  

○壇上で座禅

山口市の「新成人のつどい」でも、式終了直前の万歳三唱と閉式の言葉の際、三人の若者が順番に舞台に上がり、座禅を組むポーズをしたり、舞台から飛び降りたりした。一人はウサギの耳をかたどった帽子のようなものを着けていた。

福岡県直方市は、例年のマナーの悪さに困り果て、式を申込制にした。それでも、一部が大声で私語を交わしたり、携帯電話の呼び出し音が鳴ったり。有吉威市長はたまらず、あいさつを中断して「少し黙りなさい」。それでもやめない若者に市教委職員が注意すると、口ごたえする者もいた。

このほか、各地の会場内外でたばこの吸い殻の投げ捨て、飲み散らかし、食べ散らかし、会場周辺での信号無視など、新成人のマナーの悪さが目立った。

で、その後は概ね知られてるような状況ということになろうか。憂うべき状況という意見もわからなくもないが、ある意味、成人式が「お仕着せ」でなくなったことの証明であるのかもしれない。個人的には「そこまでして出たいかね」という感想を禁じ得ないが、まあそういう場でしか自己表現できない人もいるのだろう。いっそ悪目立ちぶりを競うコンテストでもやったらいいんじゃないかと思ったりしなくもない。

これで全部ということではないだろうが、概ね状況はこんなところではないだろうか。成人式であれこれやらかす人が出てくるのは90年代半ば以降、ということのようだ。つまり今は40歳以下ぐらい。ただ、俗物的世代論でいうなら、少なくとも、1980年代以降に成人を迎えた世代は成人式で「黙れ!」と叱られてたりしたわけで、「近頃の若い者は」と批判する資格はなさそうだ。それより上でも、1960年代に成人を迎えた世代の方々、つまり前期高齢者の皆様あたりまでは、アトラクションで惹きつけないと成人式に出なかったわけで、彼らに新成人の自覚がどうとかえらそうなことをいわれる筋合いはないだろう。

だからといって、今の新成人の方々が昔よりりっぱだとかいうつもりももちろんない。昔も今も、りっぱな人はりっぱだしだめな人はだめなのだ。つまらん周囲のごたくは無視して、だめな方ではなく、りっぱな方の新成人になっていただくといい。いろいろとめんどくさい時代だが、成人になるということは、「大人が悪い」と批判していればいい時代は終わったということだ。「若年層」というと30代ぐらいまで入ったりするそうだから、20歳はまだまだ若いにはちがいないが、成人した以上は、自分の置かれた状況に不満があっても、それを社会のせいにばかりしているわけにはいかない。できることできないことはあるが、できることはまず自分でしよう。

以上、新成人の方々へのお祝いのことばに代えて。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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