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1945年の敗戦時となにも変わっていない日本。精神論だけで五輪開催を強行できるのか?

山田順作家、ジャーナリスト
毎回、同じ答弁の繰り返し(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

「ヤフコメ」には、ときどき、本当に鋭いコメントがある。『五輪開催反対、日本が最多 英独も過半数 民間の6カ国調査』(時事通信=Yahoo!ニュース)という報道に対して、「オリンピック作戦」(1945年、第二次大戦時の日本壊滅作戦「ダウンフォール作戦」の一つ)を引き合いに出したコメントがあり、思わず、「なるほど、そのとおりだ」と思った。

 まず、記事の内容だが、ドイツのPR会社「ケクストCNC」が行った世論調査(世界6カ国)では、五輪開催に反対する回答が過半数を占めたというもの。東京五輪の年内開催に「同意しない」との回答は、日本が56%、英が55%、独が52%。米は賛否とも33%。米を除く5カ国で反対が賛成を上回ったというのだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cdede6bc3e345f6f173c08c28770e34ce6d8efdf

 これに対して、「ヤフコメ」にはさまざまなコメントが寄せられていたが、ほとんどが五輪開催に対しての反対意見であり、それほど目新しいものはなかった。ところが、一つだけ、前記した「オリンピック作戦」を取り上げたものがあったのだ。以下、一部、引用させてもらう。

《連合軍の「本土上陸作戦」名が「オリンピック作戦」だったので、75年前(ママ)の日本と変わらないなと思いました。「降伏」せず、竹槍で最期まで戦うという大本営と、現在の政府・組織委員会は似ています。

「欲しがりません、開催できるまで」という標語が掲げられそうですね・・》

「オリンピック作戦」に関しては、Wikipediaの「ダウンフォール作戦」の項に詳しく述べられている。ただ、長すぎるので、以下、概要だけ述べるとこうなる。

 連合軍(アメリカ)は、1945年5月、降伏しない日本を最終的に壊滅させるため、「ダウンフォール作戦」という日本本土上陸作戦を実行することを決めた。その一つが「オリンピック作戦」で、これは11月1日に鹿児島県・大隅半島の志布志湾、薩摩半島の吹上浜、宮崎県の宮崎海岸に同時上陸し、九州を制圧するという計画。もう一つの「コロネット作戦」は、1946年3月1日、関東地区に上陸し、首都・東京を陥落させるという計画だった。

 当時の日本政府は、枢軸国で唯一、敗戦を認めようとせず、「徹底抗戦」を唱えていた。しかし、2発の原爆投下、ソ連参戦により、ついにギブアップして8月15日に降伏した。もし降伏が遅れれば、「オリンピック作戦」が実行され、日本は本当に壊滅していただろう。

 東京オリンピックは、いまの予定では7月23日に開幕し、8月8日に閉幕する。となると、一刻も早く、中止したほうがいいに決まっている。

 不思議なことに、日本政府はこの決断ができない。IOCに決定権があるとはいえ、開催国が中止すると決めれば、受け入れざるをえないだろう。

 今日の国会で、菅義偉首相は、コロナ対策に全力を尽くす考えを示したうえで、「大会開催に向けて準備をしっかり進めていきたい」と、これまでと同じ答弁を繰り返した。

 丸川珠代五輪相も、再答弁を求められ、「中止があるかと言われれば、もちろん開催期間中であっても大災害とか、中止の判断をするということは、まったくないとは言えない」と述べるにとどまった。

 現在のメディア報道を見ていると、本当におかしい。はっきりと「日本はオリンピックができない」というところがない。「人類がコロナに打ち勝った証」としてのオリンピックは、いくらやりたくても現状ではできないし、日本にその能力はない。それを指摘しない。中止決定を行わないのは、敗戦をずるずる引き延ばすことと同じだ。

 最近は、先日行われた全豪オープンのコロナ対策を引き合いに出して、「オリンピックでこれができるのか?」という意見がある。多くの意見のなかで、これがもっとも的を射ていないだろうか。

 オーストラリア政府は、出場選手をチャーター機で入国させ、2週間の隔離を義務付けた。選手は指定ホテルで缶詰めにされ、外出は1日5時間の練習に限定された。

 また、競技は、最初は無観客で実施され、準決勝からは入場制限となったが、紙のチケットは全廃された。観客はゲートでスマホをかざしてQRコードを提示して入場した。観客の名前や属性はアプリで把握され、感染者と同じ時間帯に近くにいた濃厚接触者を特定する感染追跡が実施された。

 これ以外にもさまざまな感染対策が実行されたが、はたして日本にこれができるのか。

 現在の日本国民の願い(いや、全世界の人々の願い)は、オリンピックよりも、コロナ以前の日常生活を一刻も早く取り戻したいということだろう。オリンピックより、日常の平凡な暮らしのほうがはるかに大事だ。

 政府は、それを実現させるために全力を注ぐべきではないのか。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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