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休場続出、初場所は大荒れで大相撲崩壊。「ガチンコ」を続けるなら安全性の確保を!

山田順作家、ジャーナリスト
身も心もボロボロになり、ついに休場。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 貴景勝の綱取りが最大の注目だった大相撲初場所だったが、その本人が土俵から「逃亡」(=休場)したため、まったく盛り上がらないまま終わろうとしている。貴景勝の成績は2勝7敗(不戦敗1)。相撲協会は、日本人横綱の誕生を望んでいたはずだから、これではいったいなんのために「緊急事態宣言」のなかで開催を強行したのかわからないだろう。

 コロナ禍もあり、昨年、協会は大赤字。その額は約55億円と言われるので、本場所の中止はできない相談。背に腹は代えられないとはいえ、この惨状は見るに耐えない。取り組みを見ていると「終末観」が漂い、「大相撲崩壊」といった雰囲気である。

 そもそも今場所は、はじめからケチのつきっぱなしだった。九重部屋などでコロナの集団感染が判明するなか、横綱・白鵬まで感染。しかも、もう一人のモンゴル横綱・鶴竜は「腰痛」を理由に休場を表明したため、またも横綱不在場所になってしまった。昨年、横綱審議委員会から出された「最後通告」(=これ以上の連続休場は許さない)など、まったく無意味だったと言うほかない。

 しかも、コロナ感染が怖いと土俵に上がるのを拒んだ二段力士、琴貫鉄を「解雇」してしまったことで、協会への批判が殺到した。芝田山広報部長のコメント「会社にもコロナが怖いから出社したくないって言う人もいるだろう。それをみんなが言っていたら仕事にならない」は、昔なら通用したが、いまは通用しない。

 相撲協会も、いまや公益法人としての責任があり、相撲は興行ではなくスポーツにされてしまったからだ。

 批判殺到と言えば、10日目に、東幕下22枚目の湘南乃海と東幕下20枚目の朝玉勢の一番で、「脳しんとう取り直し」事件が発生し、これに対しても批判が殺到した。2人は立会で頭から激しくぶつかり合ったため、湘南乃海が脳しんとうを起こして腰から崩れ落ちてしまった。そのため、審判団が協議して、すぐに取り直しとなった。

 しかし、その間1分。ほかの競技なら、検査のために10分間退場などの措置やドクターストップがかかる。それがなかったのだから、批判されて当然だ。

 それにしても、なぜ、大相撲はこんな惨状になってしまったのだろうか?

 コロナの影響があるとはいえ、十両以上で17人も休場者が出るなどということは、戦後1度もなかったことだ。元横綱・朝青龍は、ツイッターで、「ヘタクソ!」「皆弱い!客に失礼!!」などと言いたい放題だが、まさにそのとおり、力士がみな「下手」になり、しかも「弱く」なったからである。

 ここで言う「下手」とは、相撲のことではなく、かつて「注射」「人情相撲」「無気力相撲」と呼ばれた“八百長”のことだ。また、「弱く」と言うのは、「ガチンコ」のやりすぎで、体がボロボロになるまで弱くなってしまったことだろう。

 かつて私が知っていた大相撲は、伝統行事であり、また一種の興行であって、プロレスと同じようなショーだった。だから、「注射」という“八百長”は日常茶飯事で、力士たちはそれを巧みに演じて、横綱以下の番付秩序を保ってきた。

 ところが、正義感に燃えたスポーツメディアと、相撲がなんたるか知らない木偶の坊ファンが、“八百長”を告発、警察も乗り出し、裁判も起こって、いつの間にか「注射」「人情相撲」「無気力相撲」は土俵から追放されてしまった。

 その結果が、いまの惨状である。すなわち、「ガチンコ」だらけになり、けが人、故障者続出となったのである。それを端的に示したのが、せっかく誕生した日本人横綱・稀勢の里の「傷だらけの横綱生活」だった。

 その点、モンゴル横綱2人は“利口”ではあったが、それでも「ガチンコ」土俵を続ければ、いくらなんでも壊れる。ケガや故障を繰り返す。そして、次第にケガをするのが怖くなり、ちょっとしたことでも休場するようになる。これを、メディアは「サボタージュ」と報道し、横審もそれ受けて勧告を出す。

 しかし、これは“茶番”であり、問題の根本解決にはならない。貴景勝のように、押し一手で突き出しの「ガチンコ」を続ければ、心も体もボロボロボになって当然だ。それなのに、わかっている記者、識者はこれを指摘せず、ほかの問題にすり替えて解説している。

 横綱には、休場という“特権”があるので、これまで、白鵬と鶴竜はそれを繰り返してきた。しかし、大関にはこの“特権”がないから、懸命になって出場するが、「ガチンコ」で体を壊してしまう。照の富士、栃乃心、高安などが好例だ。1度けがをすれば最低でも1年程度は回復に時間がかかる。照の富士の復帰は奇跡と言っていい。

 巨体と巨体が、全力でぶつかる「ガチンコ」は危険きわまりない。このまま続ければ、力士は、みんな壊れてしまう。横綱ばかりか、大関まで休場続きになってしまうだろう。力士がいなければ相撲そのものが成り立たないのだから、協会はいい加減、根本問題に切り込むべきだろう。

 どうしても「ガチンコ」にこだわるなら、まずは土俵の造りを変える必要がある。60センチなどというバカげた高さにするのをやめ、せめて30センチぐらいまで引き下げるべきだ。あの高さでは、落下すれば必ずと言っていいほどケガをする。よって、落下してもケガをしないようにクッションなどを敷いておくなどの措置が必要だ。

 ともかく、力士の安全性を確保しないで、このまま土俵を続ければ、本当に大相撲は崩壊してしまう。

 江戸時代、力士は川柳で「一年を二十日で暮らすいい男」と揶揄された。当時の相撲興行は、年2回それぞれ10日間だったので、このような川柳ができた。

 それが、いまは、年6場所、各15日間で計90日間である。さらに、場所の合間には全国巡業があり、稽古がある。相撲協会もファンも、そしてスポーツメディアも、力士のことをもっと考えるべきではないのか。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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