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相撲の「注射システム」はどのように機能しているのか?

山田順作家、ジャーナリスト
横綱はなぜ横綱なのか?(写真:ロイター/アフロ)

 毎日、毎日、日馬富士暴行事件のテレビでの大報道が続いている。そして毎回、お決まりの「1日も早い解決が待たれます」で番組が幕を閉じるから、いつまでたっても終わらない。

 はっきり言って、この問題は解決できない。なぜなら、そのためには相撲が「注射」(これをマスコミは八百長と呼んでいるがそうではない)と「ガチンコ」で成り立っていることを認め、それを前提としてどうするかを真剣に話し合わなければならないからだ。

 しかし、これまで相撲協会は「注射」を「無気力相撲」などと言い換え、ないものとしてきた。したがって、今回の事件の背景に“モンゴル互助会”があったことも認めるわけにはいかないのだ。

 もし認めてしまえば、それ以前に、日本人同士で行われてきた“互助会相撲”も含め、すべての記録(たとえば大鵬の32回の優勝、千代の富士の53連勝、朝青龍の35連勝、白鵬の63連勝と優勝40回など)を破棄しなければならなくなるからだ。

 それにしても、今回の事件に関していろいろな方がいろいろなことを言っている。それを見ていると、相撲のことを知っている方と知らない方では、コメントがまったく違うことに、改めて驚く。また、国技だというのに、ほとんどの日本人が相撲について知らないことにも驚く。2011年に八百長問題が発覚し、いま以上の大報道が繰り広げられ、春場所が中止になったというのに、コロッと忘れてしまっている。

 

 そこで、本稿では、「注射システム」とはなにか?そのメカニズムについて述べてみたい。私はスポーツジャーナリストではない。経済や国際問題を中心に記事や本を書いている。そうした視点から見ると、「注射システム」はじつによくできたシステムで、市場原理に基づいている。

 

 まず大前提として、注射は相撲にとって必要なものだと言っておきたい。なぜなら、すべての取り組みを「ガチンコ」にしてしまえば、15日間の興行は成り立たなくなるからだ。毎日、毎日、巨体の力士同士が本気で激突していけば、それこそ故障者、負傷者が続出する。千秋楽までに、半分の力士がいなくなってしまう可能性がある。

 だから、力士たちのなかに、自分の体と地位を守るために、注射をする力士が出てくるのは当然だ。もちろん、注射には「カネ」が付き物だから、そうとだけとは言い切れない。ただ、生身の人間が激突するのが相撲だということを、1度よく考えてほしい。

 注射には、星の「売買」(買い取り)と「貸し借り」の2つの方法がある。売買のほうは、常に好成績を求められる横綱・大関などが地位を守るために使う方法だ。文字通り、転んでくれる相手からカネで星を買う。そうして、地位を守り、威厳を保つ。

 しかし、ガチンコ力士は星を売らないから、そういう対戦では星を落とすことが多くなる。千代の富士も白鵬も連勝記録を封じられたのは、ガチンコ対決であった。

 注射のもう一つ、星の貸し借りは、三役以下の平幕力士同士が勝ち越すためや、十両に落ちないようにするための手段として多用する方法だ。十両力士も、幕下陥落が怖いのでこれをやっている。陥落したら、給金が違うので、ここ一番の注射は経済原理に基づいている。

 もちろん、この星の貸し借りにもカネが絡む。

 

 かつて注射の値段(星の買い取り)は、バブルと同じように高騰した。

 かつて衝撃の“八百長告白”を行って謎の死をとげた大鳴戸親方(元・高鉄山)は、「八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんで、確立したのは北の富士だといえるんじゃないでしょうか」(『週刊ポスト1996年2月2日号』)と述べた。そして、このシステムを盤石にしたのが、先ごろ相次いで亡くなった名横綱・千代の富士(九重親方)と、北の湖(第9代、第12代相撲協会理事長)であるとも述べている。

 では、星の値段はいくらか?

「千代の富士が全盛のころは、買い取りは80万円でした。ただ、50万円でも話がついたケースもあります。同じように星を借りる場合は40万円でしたが、20万円で話しがついたこともあります」

 ただし、相場があるといっても、付き人を通しての交渉で、価格は為替の変動相場制と同じで、そのときの価値である。千代の富士の場合は、1991年1月場所に闘牙から買い取ったときは30万円だったと言う。

 もちろん、大一番となると星の価格は大きくアップする。

 大一番というのは、たいていは優勝と昇進がかかっているので、その後に得られる利益を考えると、金額はヒトケタ以上アップする。故・大鳴戸親方によると、史上最高額が動いたのは、千代の富士が横綱昇進のかかった旭富士に星を売ったときの2000万円だという。

 厳密に言うと注射ではないが、平幕力士同士で「互助会」が成立すると、カネを動かさないで、星だけを回すことができる。

 星の貸し借りには、そのときどきの相場があるが、これは最初に星を貸してもらうときにかかる金額である。つまり、力士Aは力士Bから星を借りるために、仮に30万円を払うとする。しかし、この星を場所中に返せば、イーブンとなり支払いは不要となる。で、これをするために、力士Aは力士Cに貸している星を力士Bに回すのである。

 たとえば、平幕の超ベテラン力士Aが6日目に力士Cと対戦して勝った(白星)が、この星を12日目に力士Bに負け(黒星)て返した。力士Bはその前日の11日目に力士Cとあたり、勝っていた(白星)ので、この3者間では星が一巡し、3人とも1勝1敗となるという具合である。

 

 これはじつに素晴らしい“互助会システム”で、このようなことをくり返していくと、たいていの力士の星はイーブンに限りなく近づく。もし、毎日が注射による星回しなら、理論的には14日目には7勝7敗となる。ただし、これが成立するためには、幕内の同じような番付位置に注射力士がそろわなければならない。つまり、注射力士のまとまった数によるグループが成立して初めて可能だ。

 平幕でも上位力士の場合は、横綱・大関陣との対戦が多い。この場合は、上位陣に星を売ったり貸したりして負け越し、番付が下がった翌場所に、平幕下位で貸している星を返してもらって勝ち越すという方法がある。これだと、長く幕内に留まれる。

 上位に上がると大きく負け越し、1、2場所下位で小さく勝ち越して番付を上下する力士を「エレベーター力士」と呼ぶ。かつてはこういう力士が多くいた。おそらく旭鷲山はその筆頭だ。

 さて、注射によって力士間に星の貸し借りができると、幕内だけでも約40人の力士がいるから、その関係は複雑化をきわめる。ある力士が誰に星を借り誰に貸しているか、またトータルでいくつの借り越しがあるのかということが整理されないと、互助会システムは正確には機能しなくなる。

 これは笑い話ではないが、力士のなかには自分の星の貸し借りを忘れてしまう者がいる。それで、すでに勝ち越しているのに千秋楽についうっかり星を返すのを忘れ、場所後ダブルで支払った力士もいる。

 

 そこで、こうしたことの調整役として登場したのが、「中盆」である。中盆というのは、注射力士たちの間を仕切り、間を取り持つ力士のことだと思えばいい。中盆として有名なのは、千代の富士全盛期時代の板井(最高位は小結、板井圭介氏)である。中盆だからといって悪の元凶などと考えたらとんでもない間違いで、戦後最大の中盆と言われた板井は、まず実力(ガチンコで強い)があったから、知略の横綱・千代の富士がかわいがったのである。しかも板井氏の場合は、頭も切れたので、力士間で重宝された。現在は、板井氏のような中盆がいない。注射力士とガチンコ力士の間を取り持つ力士もいない。

 中盆というのは、注射による序列社会のキーマンであり、その存在がどれほど角界全体に経済的繁栄をもたらしたかを考えると、その末路は哀れである。

 板井氏は、あまりに切れた中盆だったから、協会に嫌われ、無理やり廃業させられた。当時の二子山理事長が猛反対し、それまでは、春日山を借株で襲名する予定だったのに、突如として「巡業に熱心でなかった」という理由にもならぬ理由で角界を追放された。

 この板井圭介氏を、私が所属する日本外国特派員協会が呼んで、記者会見を開いたことがあった。

 2000年1月のことで、このとき、板井氏は現役時代の注射を認め、注射にかかわった20名の力士の実名を公表した。慌てた相撲協会は板井氏に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信憑性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という玉虫決着で、この問題は終息した。

 相撲が今後も国技として繁栄していくためには、なにが必要か? このような歴史の教訓から学ぶべきだろう。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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