「名古屋の魅力を伝えたい!」 ライター大竹敏之さんの【発信の原点】

かつて「大いなる田舎」と揶揄された名古屋。今では名古屋駅前は大型ビルやホテルが立ち並び、多くのビジネス客らで賑わっている。この尾張の地で30年、情報発信しているのがフリーライターの大竹敏之さん(52)だ。「犬山城が被雷した」と聞けば大雨の中でも取材に向かい、「レゴランドが不人気」と聞けば6歳の息子と園内をすみずみ回って検証する。その情熱はどこから湧いて来るのか、そもそもなぜライターを目指すようになったのかーー名古屋でお話をうかがった。

個性あふれる名古屋メシ、歴史的背景とともに紹介

――名古屋には毎年来るのですが、駅前のスケールの大きさに圧倒されます

 昨年は「大名古屋ビルヂング」をはじめ大型ビル3棟がオープンし、今春も高さ220メートルの「JRゲートタワーホテル」が開業しました。来年は名古屋城の本丸御殿が完成し、金シャチ横丁もできるので、街全体にさらに活気が出てくると思います。今、愛知で元気がないのは中日ドラゴンズぐらいです(涙)

名古屋城入口の金シャチのレプリカ
名古屋城入口の金シャチのレプリカ

――セリーグの最下位争いを……

 竜党として非常に歯痒いですね。でもまだ残り試合はあるし、最後まで戦う姿勢を見せてほしいです。

――大竹さんは「Yahoo!ニュース個人」で、タモリさんの“名古屋来襲”や城の歴史などを取材・執筆されています。中でも印象的な記事は「名古屋メシ」です  https://news.yahoo.co.jp/byline/otaketoshiyuki/20170721-00073538/

ぜひ名古屋に来て、食べてもらいたいんですよ。だからつい力が入ります(笑)きしめん、味噌かつ、手羽先、あんかけスパゲティー、ひつまぶし。喫茶店から生まれた「小倉トースト」や「鉄板スパゲッティ」もあります。こんなに多彩な郷土料理があるのは、全国でも他に沖縄ぐらいしかないんじゃないでしょうか。日本の真ん中に位置しながら、これだけ独自の食文化があるのは凄いことだと思っています。

名古屋メシの代表格「味噌煮込みうどん」(大竹さん撮影)
名古屋メシの代表格「味噌煮込みうどん」(大竹さん撮影)

――素朴な疑問なんですが、名古屋メシはどれも味付けが濃いです。なぜですか?

 愛知県民は、大豆と塩だけを原料にした赤味噌で育ちます。豆味噌とも言いますが、長期熟成によって旨味成分がとびきり多い。これを毎朝、味噌汁で飲むうちに、濃い口嗜好になり、それに合わせて様々なメニューが誕生したというわけです。赤味噌は愛知・岐阜・三重の東海3県のみで作られ、あの徳川家康も食べて育ちました。「味噌煮込みうどん」は江戸時代末期にはあったとの記録が残されています。きしめんは江戸時代初期から、ひつまぶしは明治時代からあったとされ、どちらも赤味噌の醸造過程でできるたまり醤油を使い、味が濃いです。地元のライターとして、こうした歴史的背景も入れながら伝えるようにしています。

うなぎをたっぷり使った豪華料理の「ひつまぶし」(大竹さん撮影)
うなぎをたっぷり使った豪華料理の「ひつまぶし」(大竹さん撮影)

――無性に名古屋メシを食べたくなりました(笑)大竹さんは出版社に3年勤務した後、フリーライターになりました。子供の時からライター志望でしたか?

 絵を描くのが得意だったので、中学までは漫画家になるのが夢でした。でも高校の時にコピーライターブームがあって、糸井重里さんや川崎徹さんが注目され、そちらの方向も面白いなと思うようになりました。当時聞いていた東海ラジオの「ミッドナイト東海」にも、よく投稿したんですよ。シングル曲のキャッチコピーを応募するコーナーに。何度かハガキを読まれるうちに、書くことへの興味が湧いてきました。

――大学では愛知を離れ、京都の立命館大学に進みます

 京都には家族旅行や修学旅行で訪れたことがあり、文化的な町並みに憧れていました。あと京都弁を話すキレイな女性が多かったので(笑)1年生のときは「マスコミ問題研究会」というサークルに入ったのですが、そこはマスコミ論を勉強するだけで、ちょっと違うなと。それで自分でミニコミ誌を製作するようになったんです。

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――自分でいちから立ち上げたのですか

 はい。取材して、写真撮って、記事を書く。4コマ漫画も描きました。少しクラスメートに手伝ってもらいましたが、基本的に1人です。印刷代の8万円は広告をとってきたり、バイト代から捻出したりして。ミニコミ誌は20ページで、卒業までに6冊作りました。

――冊子の内容は?

 最初は学内にいる美女を撮影して紹介する軽い企画もあったのですが、「身近な疑問を調べる」をテーマに取材のウエイトを増やしていきました。「見かけなくなった牛乳の三角パックを探そう!」とか、「校舎から一番近くに住む大学一の怠け者はだれか?」とか。

――実際に見つかりましたか

 当時はインターネットとかなかったので、地図を片手にひたすら歩き回ったり、聞き込みをしたり。三角パックは何軒目かの牛乳屋さんで見つけました。あと「校舎から~」は大学近くのアパートをひたすらピンポンして(笑)。今だったら、不審者として通報されますよね。出てきた学生に「どこの学部ですか?」と聞いて、学部棟までの距離を測る。1位になった人は後日インタビューして、目元に黒い横線を入れて掲載しました。

大学時代に作ったミニコミ誌。タイトルは「茶々を入れる」から取った
大学時代に作ったミニコミ誌。タイトルは「茶々を入れる」から取った

――すごい行動力です

 社交的な性格でなかったので、初めのうちは声をかけるのが苦手でした。でも面白い記事を書くには、人から話を聞かないといけない、声をかけないといけない。そのうち自然とできるようになりました。

――読んだ学生たちの反応は?

 はじめは500冊刷って学食に置いたのですが、無料だったこともあり、あっという間になくなりました。楽しそうに読んでいたり、「役に立ったよ」と声をかけてもらえたりして、嬉しかったです。色々な取材をして記事を書きたい、おもしろ雑誌を作りたいという気持ちが強くなりました。

――大学4年になり、いよいよ就職活動です

 東京の出版社を受けました。自分の好きな雑誌を作っている小学館とかマガジンハウスとか。でも採用数は少ないし、すぐに落とされました。名古屋で中古車本を出している出版社があったので受けたら、編集長が「うちはドライブ特集もやっているし、取材ができる若手が欲しんだわ」って言ってくれたんで、入社しました。でも最新号を見たら、どこにもそんなページがない。編集長に聞くと「特集は1回やったけど、金がかかるからやめた」と。詐欺みたいなもんですよ(笑) で、会社には営業部しかないので営業をすることになって、中古車販売店に「広告出しませんか」と飛び込みで回っていました。

――その出版社には何年いましたか

 3年です。途中でレジャー雑誌を作ることになり、ドライブ特集とかデパート特集をやらせてもらいました。カメラマンとモデルさんを連れて行ってスタジオで表紙を撮ったり、本の設計図である台割を作ったり。若手なのに大きな仕事をやらせてもらいました。でも車以外へ幅を広げたかったし、記事を書きたかったので退職しました。当時は独身で、フリーの先輩から「人脈さえあれば何とか食っていけるよー」と言われたのも大きかったです。

出版社時代の取材風景(大竹さん提供)
出版社時代の取材風景(大竹さん提供)

――当時のお給料は?

 初任給はたしか13万円で、退職する頃には月給20数万円でした。

――フリーになって最初の仕事は?

 知り合いが紹介してくれたグルメの仕事です。「ぴあ」のグルメガイド。洋食、焼肉、ラーメン……ひたすら飲食店を取材して、店の特徴や人気メニューを紹介する。1本原稿書くと4千円。車を持っていたので、1日6~8軒回ってひたすら書いていました。並行して前の会社の編集作業もしていたので、収入はそこそこありました。

――順調なスタートでしたね

 フリーライターは経費もほとんどかからないので。当時はワープロ買って名刺を刷るぐらい。グルメと編集の仕事を続ける一方、2年目からは東京の出版社を回るようにしました。

――なぜですか?

 名古屋の雑誌業界はグルメ中心だったので、仕事の幅を広げたかったんです。雑誌の編集部に片っぱしから電話をかけて、「書かせて下さい」と売り込みに行きました。東京の友人宅に泊めてもらい、2日間で10社ぐらい。今でも忘れないのは『日経トレンディ』を訪問した際、編集長に「名古屋ってライターいるんだ?」と言われたことです。当時、自分を含めて名古屋のライターは地元でしか発信していなかったので、東京で存在を知られていなかったんです。その時は悔しいというよりも「誰も発信していないならチャンス!」と逆に思いました。

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――「日経トレンディ」で記事を書けたのですか?

 編集長にいろんな名古屋ネタを提案しました。熱意が伝わったのか「それ面白いね。全国向けに書いてよ」と次々採用してもらいました。毎月カラーで1ページ。名古屋で古民家を改造した居酒屋が増えているのでそれを記事にしたり、オシャレな街「覚王山」を紹介したり。それが実績となり、ほかの雑誌の仕事も入ってきました。26歳でフリーになり、27歳で東京に営業行き、35歳ぐらいまで東京からの仕事依頼がかなりきました。

――ライターとして自信もついたのでは

 はい、記事を書くのが本当に楽しかったし、様々な取材をすることでライターとしての自信もつきました。

――名古屋の仕事と東京の雑誌の仕事を両立していたわけですが、全国への発信は違う楽しさがありましたか

 やりがいは大きかったですね。自分が書いた記事が全国に届く。名古屋の色んな魅力を伝えて、全国の人に来てもらおうという思いはありました。「それが自分の役割だ」とも。現在「Yahoo!ニュース個人」でも記事を書いていますが、思いは同じです。

――全国に発信されると、地元の人も喜ばれるのでは

 実は記事を書くことで、名古屋の人に自信を持ってもらいたいという思いもあるんです。私を含めてオジサン世代ほど、東京と大阪に挟まれた名古屋にコンプレックスを持っている人が多い。かつて外国人タレントのコンサートが名古屋で開催されない「名古屋とばし」があり、タモリさんにも「エビフリャー」とからかわれました(笑)それもあってか、今ひとつ自信がない。でも名古屋の話題が全国雑誌に載ることで、「名古屋って魅力あるじゃん、すごいじゃん!」と名古屋の人に思ってもらえる。執筆にはそういう目的もあるんです。

大竹さんの著書。グルメからB級スポット巡りまでさまざま
大竹さんの著書。グルメからB級スポット巡りまでさまざま

――フリーになられて26年。「名古屋の商店街」「東海珍名所九十九ヶ所巡り」など本も12冊出されていますが、一番思い出深いのはどれですか

 2010年に出した「名古屋の喫茶店」です。実は当時、雑誌不況で仕事が減ってヒマだったんですよ。1年がかりでようやくモノにできそうだった書籍の企画も突然ボツになったりして。東京に行っても仕事がもらえない。結婚もしていたし、むちゃくちゃ不安でした。何とかしなきゃと名古屋の出版社を回って、「へんなお寺」といった得意のB級スポット本を提案したのですが、あっさり却下。でもリベラル社の社長さんが「喫茶店とか興味ある?」と言われたので、「あります。All Aboutで時々書いてます」と答えたら、「それいいね、やろうよ!」と。

名古屋名物の喫茶店モーニング
名古屋名物の喫茶店モーニング

――「名古屋の喫茶店」を見ると50軒くらい載っています。全部イチからの取材ですか?

 はい。名古屋市内をひたすら自転車や車で回って、雰囲気の良い店があったら自腹でリサーチして、取材依頼して。写真撮影も自分でやりました。社長から「3ヶ月で出す」と言われていたので必死でした。取材を断られた店には手紙を書いて思いを伝えて、何とか了解いただいて。

――その結果、大ヒットしました

 お陰様で反響が大きく、これまで重版が6回。ご当地ロングセラーになりました。以後コンスタントに「名古屋メン」や「続名古屋の喫茶店」などを出版して、講演やメディア出演などの仕事も入ってきました。

――大竹さんはこれまで、喫茶店を何軒くらい回りましたか

 それ、よく聞かれるんですよ……。うーん、正直わかりません(笑)ただ、名古屋市内に喫茶店は4千軒あると言われています。その1割ぐらいじゃないでしょうか。

ときどき観光ガイドも(大竹さん提供)
ときどき観光ガイドも(大竹さん提供)

――最後に今後の目標を聞かせて下さい

 名古屋をより元気にする、メディアを通じて光を当てることですね。あとは「生涯いちライター」として記事を書き続けることです。今は書籍、雑誌、Yahoo!ニュース個人のようなウェブ、いろいろな媒体があります。でも自分の役割は取材して、足で稼いで、良い記事を書くこと。媒体が何であろうとそれは変わりません。名古屋は織田信長や豊臣秀吉が生まれ育ったこともあって、貴重な歴史建造物もいっぱいあります。ずっと記事を書き続けて、1人でも多くの人が名古屋に来てくれたらうれしいですね。

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大竹敏之(おおたけ・としゆき)

1965年、愛知県常滑市生まれ。名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。著書に『名古屋めし』『名古屋の喫茶店』『名古屋の居酒屋』『名古屋メン』『名古屋の商店街』など。2017年8月末に新刊『名古屋じまん』(ぴあ)を発行予定。雑誌、新聞、ウェブで名古屋情報を発信。コンクリート仏師、浅野祥雲の“日本唯一の研究家”として作品の修復活動にも取り組んでいる

撮影=鈴木暁彦(アトリエあふろ)