『原発30キロ圏内の病院で働くメリット』とは~ 36歳の外科医が「発信しまくる」

福島第一原発の事故後も地元に残り、双葉郡で唯一入院患者受け入れを続けてきた高野病院。たった一人の常勤医として地域の復興を支え続けてきた81歳の高野英男院長が昨年末に火災で亡くなり、存続が危ぶまれていたこの病院に、2か月限定の院長として外科の中山祐次郎医師が2月から勤務する。

もともと福島の別の病院へ4月から行く予定だった中山さんが、退職を早めて高野病院勤務を決断したのはなぜなのか。自らに課している、「これだけはやらないといけない」こととは。

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福島県広野町にある高野病院は、療養病棟1棟65床、精神療養病棟1棟53床、あわせて118床の病院。東京電力福島第一原子力発電所から30km圏内にあり、2011年の原発事故後、患者には避難指示が出された。しかし「重症の患者を避難させたのならば、命にかかわるような事態になる」という当時の高野英男院長の判断で、高野病院はそこにとどまり診療を継続してきた。

東京・文京区の都立駒込病院で外科医として10年間勤務してきた中山祐次郎医師は、テレビのニュースで高野病院の窮状を知り、2月から院長として勤務することを決断したという。

―大きな都内の病院から、福島へというのは大きな決断ではと思うのですが、迷いはなかったんですか。

中山:決断は一瞬でした。もともと4月から福島・郡山の病院へ行くことになっていて、今の病院は3月末までと決まっていたんです。

高野病院へ行くことになった経緯を話すと、年末にテレビで院長先生が火事で亡くなったというニュースを見たんです。亡くなったのが81歳のひとりぼっちでやっている院長先生で、入院患者さんが100人いるといっていたので、大変なことになっているな、どうするのだろうと思っていたんですよ。

その後、Facebookで友人の医者がその病院にボランティアで行っているというのを書いていて。それを見ると、『1月中はなんとかボランティアで日中の勤務を交代でまわしているが、かなりきつい、きびしい』と。それを見たのが確か1月の6日で、そのときに、ちょっと待てよと。これ俺が行けばいいんじゃないと思いついたんです。

調べたら『高野病院を支援する会』というのがたちあがっていて、そこのフォームに、『私外科医ですが、もしほかに手を挙げている人がいなければ考えたい』という内容を書き込みました。『3月いっぱいで今の病院を退職して4月から実は福島に行く予定なんですが、2か月早めて2月から、2か月間だけでもできるかもしれない』と。

その日の夜中に支援する会のドクターから電話がきて、具体的な話をしました。翌日たまたま今の病院の新年会だったので、そこで上司に話をして、新年会のさらに翌日には現地へ行きました。たぶん時間があまりないと思ったので、早く決めてあげないといけないと思ったんです。

―現地へ行って話を聞いて、思いを強くしたところはありますか。

中山:まずいきなり事務室に通されたら、院長先生の遺骨が置いてありました。ご遺影もあって。遺骨と遺影があるので、多くの人が弔問に訪れていたんですね。たとえば地元のすごく親しくされていたラジオ局の人や、近隣の病院のドクター、市民の方とか。そういう方々が僕にもいろいろお話をしてくれて。いかに高野院長がすごい人だったか、そして人望が厚かったか、彼がいなければこの地区は終わっていた、みたいな話を聞いたんです。お話されながらぽろぽろ泣かれる方もいたりして。そういうこともあって、現地に行って、さらに気を引き締めたところはあります。合わせて、やっぱり危機的状況なんだな、ということを強く実感しました。

日帰りで2時間ぐらいの滞在だったので、入院している患者さんとはコミュニケーションをとる時間はなかったんですが、入院患者さんが100人いるということで、人数がすごいですよね。医者って大体入院患者さんは20人診ていると多いと言われるんです。療養型なので、少しは多めに担当できるんですけど、それでも通常の倍ぐらいは診ることになる。人数が多いな、一人で診られるかなと正直思いましたけど、だからこそ行かないといけないなと。   

毎日日替わりでボランティアの先生に来てもらっているというのは、診療という意味でも継続性がないですし、毎日初めましてになる。それでは難しいので。

あそこがもし、なくなって100人を移動させましょうといっても、移動って簡単にできないんです。横になって酸素を吸っているような方をバスに座らせて数時間というのは、かなりのリスクがある。

―実際に行かれてからの体制はどのようになるのですか?

中山:私が赴任してからは、僕がいる昼間はボランティアのドクターはいないんです。基本はワンオペです。夜は震災のあとずっと支援してくれている当直のドクターが東京などから来てくれます。その人たちは高野先生がご存命のときもずっと来ていて、これからも来てくださると。土日もけっこうな割合で来てくれます。

僕は金曜日、別のところで勤務していて、その契約が3月まであるので、またそっちの病院にも迷惑かけないよう、他のドクターを探してもらっている。だから僕の勤務は月から木の日中と、当直が月に4、5回ぐらいですかね。

■「高野病院で働くメリット」を発信しまくる

―2か月でこれだけはやらないといけないな、というのはありますか。

中山:一つは入院している患者さんと住民の方、それから復興関係で働いている作業員の方々、正確ではないかもしれないけど5000~6000人のみなさんを、まずしっかりお守りすること。お守りすると言ったらえらそうですけど、ここでの診療ができないと、高野病院から隣の病院まで車で大体一時間半ぐらいかかってしまうので、この場所でみなさんの診療をきっちりするということが一番ですね。ずっと高野先生がやってこられたことです。

二つ目は後任探しです。次の医者を見つけないと、また同じピンチが訪れるので。いろんなアプローチで、口コミから知り合いのドクターに話すこと含めてやりたいと思っています。

僕の作戦は、全国の医者たちに来たほうがいい理由、高野病院で働くことのメリットを考えて発信しまくろうというものです。メリットって、たとえば院長というマネジメント経験があると思うんです。僕36ですけど、36でそういうところの経験ってなかなかできないですよ。基本的に医者ってマネジメントの経験ができないままキャリアアップしていくので。将来的に開業を考えているドクターとか、院長になりたい人とか、そういう上昇思考のあるドクターにはすごくいいんじゃないかと思いますね。ワンオペが逆にメリットになるという。ここをどう説得力を持たせるかは僕次第ですけど。

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■簡単ではない「病院の存続」

高野病院の今後をどうするべきか。福島県では広野町、地元の医師会など関係者が集まった緊急対策会議で協議をしてきた。医師の派遣、運営費補助などの支援を行う一方で、不在となった院長を県が探すことは、「自治体としてかなり難しい(福島県地域医療課)」という見解だ。経営責任を負う院長を自治体が主体的に任命できるのか、他の地域の医療施設や、震災以降、経営が苦しい他の業種とのバランスなどを考えると、「労働力としての医師派遣はできるものの、公の立場でどこまで支援できるのかを考えないといけない。」と県の担当者は話す。

高野病院側は病院存続に向けて福島県に病院を無償提供したい意向を示したことが報じられているが、これまで対策を協議してきた前述の緊急対策会議で話しは出ておらず、会議の場で申し出があれば関係者で今後検討するという。

―自治体とどう連携するかも大事になってきますね。

中山:住民がいて、入院患者さんがいて、周りに病院がなくて・・・という状況で、存続の必要性が高いという点は間違いないので、自治体から支援していただきたいとは感じています。ただ正直、そこの部分は2か月間でタッチするかどうかはまだわからないです。いろんな立場、意見があると思いますが、住民を守りたいという思いは一緒だと思うので、解決策はあるはずだと思っています。

高野病院の場合はたまたま原発の近くにあって、院長が亡くなって、メディアにも多くとりあげられて注目されています。でもこの問題って、僻地医療の根本的な問題に通じるところがあるなって思うんですよ。きっかけは違えども、その地域の住民にとっては欠かせない病院で、医師の確保が難しい、入院患者さんがいて移動先確保も難しい、というのは日本各地で将来多発する可能性がある。だからみんなどうしたらいいだろうと考えるんですよね。この場所だけの問題ではない、非常に象徴的なんです。

■よそ者だからこそできる、福島発のメッセージを出したい

駒込病院で10年間使ったPHS。手術の毎日から、インプットも必要と思うように
駒込病院で10年間使ったPHS。手術の毎日から、インプットも必要と思うように

―高野病院で2か月勤務した後も、別の福島の病院(編集部注:福島県郡山市の総合南東北病院)で勤務されますよね。そもそも福島の病院に行こうと思われた理由はありますか。執筆は続けるということですが、福島に行って発信してみたいこと、興味のあるテーマなどはありますか。

中山:僕もここで10年ずっと手術をしてきて、そろそろ研究活動もしないといけないと思っていて。どっちみちどこか大学院に行こうと思っていたんですよ。医者って5年・10年ぐらいやると一回白衣を脱いで大学院入る人が多くて、数年間研究の仕方を学んで、そこでまた白衣に戻るんです。僕もちょうど、学ばないといけない知識がたくさんあると感じて勉強したいなと思っていました。そんなときに南東北病院の院長先生とたまたまお話する機会があって、「福島もいろいろ大変で・・・」なんていう話になったんです。そのとき、「もしね、世の中の外科の医者が福島で1年でも2年でも働いてくれるなら、こんなにうれしいことはない」っておっしゃったんですよ。その言葉に僕はかなり驚いて。被災地は大変だとは聞いていましたが、そんな状況なのかと。来ないかとお誘いを受ける中で、いろんな研究手法を学んでいきたいという僕の条件をいろいろ聞いてくれて、しかも手術・臨床をしながらやるような理想的な環境を整えてくれたので、それで行こうと思ったんです。

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中山:出身は神奈川県で、被災地に実は縁もゆかりもありません。でもそういう僕だから、おそらく福島でできることがある。福島という場所に自ら身をおいて、現地のめし食って現地の酒を飲んで、福島のことを調べてみたいですし、いろんなことを発信もしたい。現地に行かないとわからないことがたくさんあると思うので。医者としても放射線の健康に対する影響も調べてみたいです。福島へ行くということには、そういう目的もあります。すごく基本的な被曝についての知識をきちんと誰でもわかるような形で発信したいと思っています。

ある経営者の方から聞いた話なんですが、上場企業の社長のような方って、お寿司屋さんに自分でカウンターを持っている方が多いそうなんですが、10人いたら3人ぐらいが何処産だって必ず聞くらしいんですよ。それで、一回一回チェックして、被災地や被災地の近くだとNGにする。本当のところはわかりませんが、市場に出回っている安全な食べ物に対して、企業経営者のような見識のある人たちがそういうことやっていると聞いて、とてもショックを受けました。結局正しい知識ってみなさん持っていないので、誤解をわかりやすく解いていく発信がしたいです。

決してお涙頂戴であってはいけなくて、科学的な正しさのみを追求したい。それってよそ者ができる仕事だと思うんです。現地の人だと感情的になってしまうかもしれませんし。

―やることが山積みですね。心配なことはありますか。

中山:2か月間もメスを握らないのって、外科医になって初めてです。これまで長くても10日間。感覚を忘れないか心配なので、料理をしようかなと真剣に思っています。あと、寒さが苦手なので、防寒着たくさん買い込みます(笑)