【教書活評04】『世界は贈与でできている』

撮影・作成:矢萩こゆき

なぜ人は学ぶのか? それが分からなくて学びに対して前向きになれない生徒は少なくない。僕が毎年実施しているアンケートにおいても前向きになれない理由は「(勉強することに)どんな意味があるのか分からない」からだという回答が最も多い。大人はどうだろうか? どれくらいの教師が自信を持って学ぶ理由を答えられるだろうか? 今回紹介する『世界は贈与でできている』(近内悠太・NewsPicksパブリッシング)は、その1つの答えに迫る哲学を示してくれる。

●その教育は贈与になっているか

今、世間は新型コロナウィルスによるパンデミックに揺れている。奇しくも本書には小松左京『復活の日』が大々的に引用されている。これは、状況をみて取り繕われたものではない。少なくとも僕は、著者が3年以上前からこの構想を語り、綴っていたことを知っている。本質的なことは、いつだって現実と重なるのだ。それが、哲学が連綿と紡がれ続けている存在理由でもある。しかし、いわゆる「従来型」の学び、とりわけ「受験対策」としての教育の中で、それらは疎外され、現場教師の教養と良心による実践に委ねられてきた。その結果、学校嫌いの生徒たちを量産してしまった。まさにその最大の理由は、教育が贈与になっていないことに他ならない。

著者は、贈与とは「合理性を差し引いたときそこに残るもの」に対して感じるもので、受取人が贈与に気づくことで成立し、自らが差出人になっていく営みであるという。そのメッセージに本書を教育書として読み解く上での肝がある。僕自身、従来型の教育の中に、いかに哲学や教養、リベラル・アーツを忍ばせるかを模索し実践してきた。その中で、資本主義と理想的な教育の齟齬をどうしたらいいかという難問に向き合ってきた。本書は多くの悩める教育者が、その難問を解くための光明になると感じる。

著者である近内悠太氏と最初に出会ったのは2011年だった。その頃から、近内氏は「学恩」という言葉をよく使っていた。自分が学びの世界で受けた恩を、次の世代に送りたいという。「出会い」と「偶然」というこの世界のシステムを、贈与という見方で捉え直し伝える行為自体が、贈与を生んでいく。あえては名乗らぬ差出人に対する畏敬には、江戸の粋を感じたものだった。たしかその時に、教科学習の中で押しつけることなく自然に哲学を学べる環境を作りたいという話で盛り上がった。それから何年かのあいだ、数えるくらいしか会っていなかったが、そこには贈与があったのだろう。今、活動を共にしている。

●異世界としての学問

NewsPicksパブリッシングより、2020年発行
NewsPicksパブリッシングより、2020年発行

世界と出会うために、そして出会い直すために勉強するのだと著者は言う。歴史とは異世界である。この気づきは教育者が持っていて欲しいセンスである。事実、探究型の学びを実践していると三国志や戦国時代にめっぽう填まり込んでいる生徒たちと出会う。彼らの多くは異世界系の漫画やアニメ、あるいはオープンワールド系のゲームにも興味を示す。ということは、そういうコンテンツに興味を示す人にとって、歴史は面白いはずなのである。ただし、それを教育と紐付けるにはそれなりの「方法」が必要だが。

異世界において、多くのアニメやゲームで主人公は贈与によってその世界の住人と信頼関係を築き、問題を解決する。交換に徹して仲間を得て困難を乗り越えることはない。それでは「お話にならない」のだ。さて、このことを教育の現場に置き換えてみたらどうだろうか。教師も生徒もそこに交換性のみを求めているのであれば、果たして我々は何を学んでいるのだろうか。学校に意味はあるのだろうか。異世界に求めてしまう世界観は、現実に対する欲求の鏡像である。

●教養とは誤配に気づくこと

教養は多くを知ることでは無い。自分知ったことが、何らかの誤配により偶然受け取ってしまった幸運であることに気づき、それを適切な誰かに手渡していく理性が教養だといえる。つまり、教養自体が贈与なのである。だから自分の知っている何かを手渡すことは、自身にとっても手渡された側にとっても、世界にとってもポジティブな出来事となる。それに気づくためには「メタ認知」が必要だろう。

著者は、「やりがい」や「生きる意味」は結果的に「偶然」返ってくるものだと主張する。結果論として捉えることは、僕も大賛成である。この連載の3回目で紹介した『人工知能の哲学』の著者松田雄馬氏と「AIにない能力」をまとめていたときに「自己生成能力」というキーワードが出た。どんな環境や出来事からでも学び、成長する能力である。望ましい結果が出たならば強化し、望ましくなかったならば分析し糧にする。そういう意志さえあれば、どんなことにでも意味を生成することができる。まさに、これからの教育が獲得を目指すべき力の一つだと言える。

偶然を選び取っていく。かつて、ジョン・ケージは『チャンス・オペレーション』と名付けたその方法で、偶然とは選択の余地があることを示した。そこに我々の存在意義はあるわけだし、ロマンも希望もあるだろう。本書を教育関係諸氏に読んで貰いたい最大の理由は、展開する哲学を等身大で感じさせてくれる「現場の教育者」の語りであるということだ。著者自身が、悩み葛藤する中でつかみ取った偶然を、これまた偶然目の前に居る生徒たちに手渡していく。そういう営みの中に、教育の豊かな未来が見えるのは僕だけではないだろう。(矢萩邦彦/知窓学舎教養の未来研究所

■教書活評・連載リンク

・【01】松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』

・【02】佐藤裕『ルールリテラシー 共働のための技術』

・【03】松田雄馬『人工知能の哲学』