最近、学校改革をはじめ、教育業界の改革の成功例を耳にする機会が増えた。それ自体は希望的だし、良いことだと思うが、後続の動きが心配である。「改革は痛みを伴う」と言われるが、それでも痛まないように配慮し、努力する必要がある。学校改革における問題の根本を考えてみたい。

学校改革の問題点

以前、学校改革のロールモデルの一つである麹町中学校の工藤校長に、最も重要なのは「合意形成」だという話を伺った。これは、まったくもってその通りだと思う。現場での改革は、教員・生徒・保護者といかに合意形成をするのかに尽きる。どこかの成功事例をそのまま持ってきてもうまく行くはずがない。違う現場には、違う人々が関わっており、事情も違うのだ。それぞれの現場でヒアリングをして、組織全体で共に場を作っていくことこそ、今までの教育現場で蔑ろにされ、現場任せにされすぎていた中心課題の一つである。

定期テスト廃止にしろ、担任制の廃止にしろ、方法だけ真似てもうまく行くはずがない。それを求めている現場があって、反対派を含め時間をかけて関係者全員の合意形成をできてこそ、本質的で意味のある改革になる。当然、そこまでやらなければ継続も難しい。実際、気鋭の校長が改革を成功させても、他校に移った途端に瓦解してしまう例は珍しくない。教育の現場だからこそ、教師や保護者を含め、人が中心にあることを認識し、その価値観に応じて人を育て、共に成長する必要がある。

教育業界の特殊性

校長や改革に前向きな教師にとっての大きな壁の一つは同僚や先輩である。ある横浜市の公立校教諭は、「自分のクラス以外のことを見る余裕はない。ただでさえ人数が多く、先輩達も力を貸してくれない。独自の企画を提案しても、面倒なことをしないで欲しいという空気の圧力に屈してしまう」という。

別の教諭は「50代以上の教諭の大半が逃げ切ることを考えている。自分が定年になるまで余計なことをしないで欲しい、新たな仕事を増やさないで欲しい、という考えが見えてやる気を失ってしまう」という。この2つの意見はとてもリアルで、教育業界以外でも聞かれる構造である。さらに教育業界がたちが悪いのは、顧客からクレームが来ても改善せずに乗り切ってしまえるところにある。

一般的な業界では、顧客からクレームがあれば、真摯に対応し改善をし続けなければ企業を存続できない。しかし、教育業界は「顧客が卒業していく」という特殊な構造がある。つまり、クレームがあっても改善せずに乗り切ってしまえれば、自動的に顧客が入れ替わるのだ。だから、何代にもわたって不評な教師が改善せずに定年までやっていけてしまう。まず、関わる全員がその体質を認識・自戒しての構造改革が必要だ。

そもそも学ぶ目的は何なのか

筆者のところにも、民間の教育系企業から、教育改革に伴ってメソッドやコンテンツ・カリキュラムを提供して欲しいという依頼が少なからず来る。しかし、そもそも今回の指導要領の改訂や大学入試改革は、メソッドやコンテンツでは育たない力を養うことが目的だったはずだ。従来型の学びは定量評価による学習の効果測定が前提だったために、「ペーパーテストで良い点を採る」ことが目的化してしまったところに問題があった。本来学ぶ目的は、自分自身が豊かな人生を歩むため、社会にとって有意義な活動をするため、あるいはその両立であったはずだ。

しかし、高度成長が終わり、1学年の人数が200万人に達したことから、「入試の合理化」が急激に進み、共通一次に代わってセンター試験が登場した。その時代の流れとしては仕方がなかったのかも知れないが、学生を取り巻く環境も状況も大きく変化している。センター試験が廃止される今こそ「時代に合った」本質的な改革が求められる。

とはいえ、教育現場をいきなり改革することの衝撃は、生徒たちにとっても大きい。保護者も含め、時間をかけて培われた価値観は突然変えられるものではない。合意形成がないまま定期テストを廃止しても、途方に暮れてしまう学生が多いことは容易に想像できるはずだ。まずはトップが覚悟を持って合意形成を進め、後続が育ち文化が形成されるまで、現場に関わり続けて欲しい。そういう場が増えることで選択肢も増え、ようやく多様で健全な教育が達成されるのではないだろうか。戦後7回目の指導要領改訂にして、ようやく大きな改革の流れができつつある。誰もが有意義な学生生活の場を選べる社会になることを願う。(矢萩邦彦/知窓学舎教養の未来研究所