【教書活評01】『17歳のための世界と日本の見方』

教育の現場に立って20年以上が過ぎた。その中で出会ってきた教育関係者からよく聞かれることの中に「どんな本を読んでいるのか」というものがある。僕が稀代の読書家として知られる松岡正剛の弟子だったことから興味を持たれることも多いのだが、現場に関わる中で様々な引用をすることも起因していると思われる。僕は漫画から専門書まで何でも読む乱読多読なので、答えに窮するのだけれど、よくよく聞いてみると、ほとんどの人が「生徒との関係作り」に悩んでいるようだ。だとすれば経験から一つ明確にいえることは、生徒は楽をしている講師をリスペクトしない。もちろん大前提として人間としてアウトな言動をとったり、コミュニケーションが全く取れないのでは話にならないが、やはり自分よりも努力をしている人に対しては自然と敬意を払うようになる。

売れている教育書やビジネス書の大半は、文脈をぶった切って陳列された、「簡単でなんか使えそう」な断片の集合体だ。百歩譲って、たとえ「たった3秒で生徒をつかむ方法」なんてものがあったとしても、そんな一発芸的な魔法は3分も持たないだろう。血と成り骨となるには、それ相応の努力が必要だし、それを生徒たちは(私たちと同じように)本能的に察している。とはいえ、いきなり重い本や手に入りにくい本を紹介しても、参入しにくいと思うので、この書評では、比較的読みやすく、教育者向けあるいは保護者向けとして紹介されることが少ないであろう書籍を扱ってみようと思う。この書評だけでも得るものがあるように心がけるが、興味を持ったら実際に本を手にして頂ければ嬉しい。

●特定の世代に向けたメッセージ

池田晶子氏の『14歳からの哲学』、続いて村上龍氏の『13歳のハローワーク』が話題になった2003年以降、「○○歳からの○○」というようなタイトルが書店を賑わすようになった。その後に乱版されたものは内容の薄いものが多かったが、先の両著はターゲットを特定の世代に絞りつつ、その世代に関わる大人たちにとっても示唆に富む内容に編集されており、一読の価値がある。それらにもいずれ触れたいと思うが、今回は我が師である松岡正剛の『17歳のための世界と日本の見方』を紹介したい。

春秋社より2006年発行
春秋社より2006年発行

本書はただの講義録にならないような編集的工夫が随所にあるのだが、教育者目線で特に学べるポイントとして、以下の3点が挙げられる。

(1)重厚な内容をさらりと伝える語り口

(2)喩えを駆使したイメージの伝達

(3)全体と部分のバランス編集

これらの「方法」により、知と人の関係を鮮やかに確かにつないでいく。いわゆる経験談は読みやすく共感しやすいので人気があるが、汎用性の高さや活用しやすさに課題が残るものも多い。読書を仕事や人生に活かそうとするならば、「方法」として換骨奪胎できることに意義がある。その点でも本書は自然かつ巧妙に知を伝えている。また多くの講義が特定世代に向けたものである事を考えると、本書の特定世代に向けた構成編集のスタイルにも注目したい。

●軽妙な語り口の「紙上講義」

著者である松岡正剛は日本文化研究の第一人者で編集工学を提唱するエディトリアル・ディレクターである。雑誌『遊』をはじめ『全宇宙誌』『情報の歴史』などの大著を手がけ、書評サイト『千夜千冊』は読書家の中で話題になり続けている。近年ではイシス編集学校の校長として「インタースコア」をテーマにネット上の学校を展開している。本書は著者が帝塚山大学で行った講義をまとめたもの。教科書が分断してしまっている情報をつなげることで、歴史の流れをいきいきと浮き彫りにしていく。特定世代向けの紙上講義といえば、かつて有名講師の講義を臨場感そのままに紙上で再現する「実況中継」という参考書のシリーズが人気を博したが、確かに読みやすいものの、重要な部分が割愛されていたり、やや軽薄な印象を与えるものも多かった。

その点、松岡氏の話には確かな知に裏打ちされた軽妙さがある。これはすべての講義において必要なことではないかと思われる。そもそも教科書というものは限られた紙面で最低限のことしか書かれていない骨組みのようなものだ。それゆえ堅いわけで、だから教科書がつまらないと言われても、それは仕方がない。設計図だけ渡されてワクワクするには、知識と想像力が必要なのだ。しかし、だからこそ講師の存在意義があるわけで、教科書はその面白い部分を余白として残しておいてくれているといえる。想像の架け橋を、ライブで作っていくのが講義の醍醐味であり同時に本質であると思う。その方法を「紙上講義」として再現出来ていることに本書の価値がある。

●豊かな比喩でイメージをつないでいく

たらこスパゲッティーやつくねバーガーから和洋折衷について考えさせるなど、専門的で難解であると思われていることを学生にも分かる日常的な喩えを駆使するのは、著者の得意とするところだ。

比喩はナマモノである。面白く分かりやすい比喩というのは時代の表層部にある。当然ながら移ろいやすく、すぐに陳腐化してしまう。例えば流行語大賞になるような言葉など、比喩として使うにはもってこいなのだが、1年もすればもう忘れられているし、思い出したところで別に面白くもない。だからこそ教科書には採用出来ない。

松岡氏は博覧強記のイメージからは想像出来ないほど、カジュアルだ。仙人のような印象を受けるという人も多いが、時代の最先端に常にアンテナを張っている。情報の取捨選択とアウトプットが速いのだ。その秘密は膨大な読書量から背骨となる知の体系を作り上げていることと、編集術にある。どちらも並大抵ではない努力と経験に裏打ちされている。そういう人が的確にかつ軽妙に時代の表層部をカットアンドペーストしてくることに、生徒たちは引き込まれる。

●制限の中でザックリと構成編集する

世界の中の日本という視点がなければ、世界史も日本史も現代社会で活用していくことは難しい。歴史を学習する際にに「温故知新」という大義が聞かれるが、実際にそうするためには「地と図」の中で「関係」を捉えなければ応用が利かない。同じ事件は二度と起こらないのだ。

分断されて、物語からも切り離された歴史に温故知新の余地はない。そのいわば疎外されてしまった歴史を取り戻して伝えるためには、莫大な時間と労力がかかるように感じて、二の足を踏んでいる指導者も多いと思う。しかし、教科書を利用しつつ足りない部分を加えて編集することで出来ることは多い。用語を暗記させるための穴埋めプリントではそれは難しい。

本書で試みられているのは、ザックリとしながらも過不足を感じさせない絶妙な構成編集だ。世界と日本の関係を捉える上でどうしても知っておきたいユダヤ教・キリスト教や仏教の成り立ちから日本の神話や思想に分け入り、またルネサンスやバロック文化に言及する。世界史日本史を「文化感覚距離」をテーマに縦横に渉猟しながら意味を問い、編集的かつ構造的・物語的に要点を押さえている。スターウォーズを例に、ジョセフ・キャンベルの英雄伝説マザータイプを下敷きにすることで、史実を物語として捉え、応用するアイデアを最初に仕掛けているあたりが真骨頂で、問題発見解決型の授業や探究型授業にも大いに参考になる。そこにはアフォーダンスのデザインがある。

教育改革の必要性が叫ばれて久しいが、公教育の現場も民間教育の現場も閉塞感が否めない。にもかかわらず何かが変わることに対しても後ろ向きで、心ある現場の教育者や保護者が葛藤しているのを目の当たりにしてきた。教育の現場はポジティブな大人が先導することが望ましい。そのためのきっかけ作りをしていきたいと願いつつ、また松岡正剛氏の快気を祈念しつつ、第1回はこの辺でお開きにしたいと思う。まだまだ修行中の学僕ゆえ、コメントやご指導を頂ければ嬉しい次第である。(矢萩邦彦/知窓学舎教養の未来研究所

旧編集工学研究所にて松岡正剛氏と
旧編集工学研究所にて松岡正剛氏と