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冤罪を生む三つの「先入観」-東電OL殺人事件のケースから考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

最近冤罪事件についての取材記事を書かせて戴いたのですが、その過程で気になったことがあります。それは「先入観」が冤罪の鍵を握っているのではないか、ということです。例えば、東京電力女性社員殺害事件における誤謬のキモは三つあると僕は考えています。

◆第一報を無自覚に信用していないか?

まず、ネット上で見かけるほとんどの記事では、容疑を掛けられていたゴビンダ・プラサド・マイナリさんが「一貫して容疑を否認していた」と表現しているのですが、実際に弁護人筋から話を聞くと、「完全黙秘」をしていただけで否認はしていない、と言うんですね。おそらく大手メディアの報道に後続が乗っかった形なのだとは思いますが、そもそもまだ情報が出そろっていない段階での第一報を疑ってみることは、ジャーナリストとして必要な感覚では無いか、と思います。かくいう僕自身も、後から知って驚いたわけですが、そういう可能性について想定しておくことで多少は敏感になれると感じます。

◆なぜゴビンダさんが容疑を掛けられたのか?

早い段階からゴビンダさんに容疑が掛けられてい理由は、不法滞在のネパール人で、被害者とプライベートな付き合いがあり、現場の鍵を持って居て、かつ現場からDNAが発見された、というものです。そう聞くと確かに疑わしいのですが、よくよく考えてみれば、被害者とプライベートな付き合いがあれば、鍵もDNAも不思議ではありません。それでアウトなら、被害者の恋人や家族はみんな容疑をかけられてしまいます。そして、不法滞在のネパール人であることも、事件とは直接関係は無さそうです。

この事件の取材の中で、法医学関係の方から「冤罪とは警察が偏見を持つことで、それは同時に容疑者が偏見を持たれるような人である」という意見を伺いました。刑法における「疑わしきは罰せず」という原則は確かに有名で、法律に関わらなくても一度は耳にしたことがある言葉だと思います。しかし大事なのは、いちいちそれを「原則」として掲げなければいけないのはなぜなのか、背景を考えてみることだと思います。つまり、「疑わしい人を罰しがちである」ということです。「人を見た目で判断してはいけない」なんて当たり前のことをわざわざ言う理由は、「そう言わなければ、人は自動的に見た目で判断するから」ですよね。

◆「自白」という言葉の解釈はズレていないか?

三つ目は、専門用語や業界用語の解釈についてです。一般に「自白」と言われれば、当然容疑者本人が語った言葉だと思ってしまいますが、実際は「検察官が書いた調書を認めた」ということなんですね。書類中心の捜査に問題がある、という議論がありますが、それは書かれた書類、作られた供述によって取り調べが進んでしまう可能性があることが問題だ、ということです。リンク総合法律事務所の梅津竜太弁護士によれば、特にコミュニケーションに問題がある場合、例えば容疑を掛けられている人が日本語が話せなかったり、障害を持っていたりした場合、下手に言葉に出してしまうと、良いように切り貼りされてしまう可能性があるし、言葉を発すると調書を認めたとされてしまう可能性がある、といいます。

報道の先入観、捜査の先入観、そして、視聴者や読者の先入観。それぞれの先入観が冤罪事件を生んでいると言えるかも知れません。少なくとも、先入観によって複雑に入り組んでしまっているような気がします。全てを疑うことが良いとは思いませんが、刑事事件に限らず、先入観を想定することは誰にとっても大事なのではないでしょうか。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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