憲法9条、安倍政権を走らす

政府が作成した「安保法制」の概略図

 先週の6月4日、衆議院の憲法調査会で行われた参考人招致で、与党推薦を含む憲法学者3人が、政府が今国会に提出している「安保法制」(戦争法案)について、揃って憲法違反だとしたことが波紋を広げています。

憲法9条と閣議決定のねじれ

 今更ですが、憲法9条は次のように定めています。

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 この憲法9条の下、つい1年前まで、我が国の政府は、海外での武力行使も、集団的自衛権(典型的には米軍が他国に攻撃されたときに日本国が反撃すること)の行使も、憲法違反として禁止する立場を取ってきました。ここで「禁止」とは、主権者である国民が憲法によって権力(今は安倍政権)に対して「やってはいけない」と命令している、ということです。このように国民が憲法によって国家権力を制限する考え方を立憲主義といいます。

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 ところが安倍政権は、昨年7月1日の閣議決定でこのような政府の憲法解釈を根底から変えてしまいました。すなわち、「後方支援」名目で主に米軍の兵站活動を行える範囲を大幅に拡大し、タリバン政権陥落後のアフガニスタンのようなところで治安維持名目で掃討作戦を行うことを容認し、さらには次の要件(いわゆる「新三要件」)を満たすときには自衛隊が海外での武力の行使と集団的自衛権行使ができることに(勝手に)してしまったのです。

 この7.1閣議決定に基づいて今の国会に提出されているのが一連の「安保法制」です。全体像を政府が作成した図で示すと以下の通りです。

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 戦争を放棄し、武力の行使を否定した憲法9条の下で、結論において海外での戦争も武力行使も辞さない解釈をとることはおよそ無理があります。憲法9条と7.1閣議決定には大きなねじれがあると言えます。そして、いずれにせよ新三要件の下での武力行使は、この要件を文字通りに解釈するのか、これをさらに緩やかに解釈して行くのかで、許容される範囲が全く変わります。常識的な日本語の解釈では、他国が攻撃を受けて、日本国の存立が脅かされる事態はほとんど想定できないはずなのです。

7.1閣議決定と法案のねじれ

 ところが、国会論戦開始後の安倍政権は、むしろ「新三要件」すらも形骸化し、歯止めを設けない姿勢を明らかにしています。

 「重要影響事態」における米軍に対する兵站活動(後方支援)については、中東やインド洋でも行えるとし(読売「後方支援可能は「中東とインド洋」…首相が示す」)、それを行うか否かの要件は(1)事態の発生場所や規模(2)米軍の活動内容(3)日本に戦禍が及ぶ可能性というもので(産経「首相、「重要影響事態」の判断基準例示」)、もはや憲法9条とは何の関係もない要件になっています。「イスラム国」掃討作戦への兵站活動すら、法律上は可能とされます(日本テレビ「対「イスラム国」後方支援「法律上は可能」」)。国際的には「後方支援」などという用語はなく、これらはすべて兵站活動です。米軍の武力行使や戦争と不可分のものであり、当然、敵対勢力からは攻撃の対象となります。

 また、安倍首相は、タリバン政権陥落後のアフガニスタンにおける「ISAF」のような治安維持活動の名の下での掃討作戦への従事も否定しませんでした(しんぶん赤旗「ISAF(国際治安支援部隊)型への派兵 否定しない首相」)。これは掃討作戦といいつつ、実際は現地の新旧政権の権力闘争としての戦闘行為である可能性もあるわけで、治安維持活動が武力の行使になる可能性も十分にあります。

 米軍が攻撃を受けたときに自衛隊が反撃して武力行使する「武力攻撃事態」についても、相手方勢力が日本への攻撃を否定している場合でも行える、と明言しています(時事「攻撃意図否定でも可能=集団的自衛権行使-安倍首相」)。安倍首相は海外での武力行使の前提となる自衛隊派遣の要件について(1)日本の主体的判断(2)自衛隊にふさわしい役割(3)外交努力を尽くすこと、という要件を述べましたが(前掲産経)、これも憲法9条とはもはや何の関係もない要件になっています。第一次安倍政権で安全保障担当の内閣官房副長官補をつとめ、元防衛庁官房長の柳澤協二氏は、南沙諸島で中国と米国がつばぜり合いをするときに日本が巻き込まれていく可能性を指摘しています(「安保法制で事実上の戦争に巻き込まれる 柳澤協二さんの講演から」)。

 結局、安倍政権は、自ら閣議決定で「新三要件」を定立しながら、実際に国会に提出されている法案は、「我が国の存立が脅かされる」などという範囲をはるかに超え、米軍と一緒であれば海外での軍事活動は何でもあり、という様相を呈しています。「安保法制」は、7.1閣議決定とすらねじれを起こしているのです。このような「法律上は何でもあり」の状況を推進派の産経新聞の社説がいみじくも述べています(産経「安保法制 法律と政策判断、混同で不可解に」)。産経新聞はこの社説で安倍政権を擁護しようとしているようですが、擁護になってないように見えるのは筆者だけでしょうか。

 このように、憲法9条と7.1閣議決定のねじれ、7.1閣議決定と「安保法制」のねじれ、という二重のねじれにより、国会での政府答弁は、もはや憲法9条とは関係のないものになっています。この問題に関する政府の国会答弁が著しくわかりにくいのは、誰がどう考えても憲法上許されないことを、曖昧な答弁で切り抜けようとしているからに他なりません。

憲法審査会での違憲発言の重み

 6月4日の衆院憲法審査会での三学者の意見発言は、このような国会論戦が行われる中でのものでした。発言要旨は以下の通りで、三人の憲法学者はいずれも安保法制を違憲としています。

長谷部恭男氏(早大教授)

「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」

小林節氏(慶大名誉教授)

「憲法9条は海外で軍事活動する法的資格を与えていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは憲法違反だ」

笹田栄司氏(早大教授)

「内閣法制局と自民党が(憲法との整合性を)ガラス細工のようにぎりぎりで保ってきた。しかし今回、踏み越えてしまった」

出典:|毎日新聞

 ダイジェスト版の動画も公開されているので、お時間のある方は本物をご覧下さい。

 与党が推薦した長谷部氏が「違憲」と明言したところに強い覚悟を感じます。大学で憲法の勉強をしたことがある人なら大抵分かると思いますが、三人の教授は決して左派の学者ではありません。長谷部氏は東大系の正統派の憲法学者ですし、小林氏はむしろ明確な憲法9条改憲派です。しかし、小林氏は、憲法9条を改憲しないまま法律で現状を変えてしまうことに強い異議を唱えているのです。

 政府与党からは“代打”で招致した長谷部氏の人選について「誤り」という意見もあるようですが、では、本来、招致するはずだった京大系の正統派の学者である佐藤幸治氏がその後の6月7日の講演で何を言ったかというと、以下の通りで、安倍政権を名指しすらしないものの、改憲を目指す政権の動向を強く批判しています。引用は一部ですので、是非、記事全体をご覧下さい。

基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で「いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか」と強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。

出典:毎日新聞

 この他も、近い過去に例えば安倍政権下で内閣法制局長から最高裁判事になった山本庸幸氏が就任時の記者会見で「法規範そのものが変わっていない中、解釈の変更で対応するのは非常に難しい。実現するには憲法改正が適切だろう」と述べたことが思い出されます(共同通信記事)。

 若干脱線して色々紹介しましたが、このように、我が国を代表する法律家らが、「安保法制」実現に突き進む安倍政権を一斉に批判しているのが今日の特徴です。

広がる波紋(政府与党の言い訳)

 三学者の“違憲表明”に対して、政権側は火消しに躍起になっています。まずは菅義偉官房長官が「法的安定性や論理的整合性は確保されている。全く違憲との指摘はあたらない」「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」などと述べました(産経)。しかし、これに対しては、ツイッター世代の憲法学者が突っ込みを入れます。

長谷部恭男先生が憲法違反と指摘。 菅氏「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」とのこと。その「著名な憲法学者」の名前を教えてほしい今日この頃。

出典:木村草太氏(首都大准教授)のツイッター

菅官房長官によれば、「全く違憲でない」と言う「著名な」「憲法学者」が「たくさん」いるらしい。是非ご教示賜りたい。

出典:南野森氏(九州大学教授)のツイッター

 また、若手弁護士で作る「明日の自由を守る若手弁護士の会」も面白い図を作って菅官房長官を批判しています。

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 中谷元・防衛大臣は国会で「武力行使の新3要件というものをかぶせて、集団的自衛権は、あくまで、わが国の存立を全うし、国民を守るためのやむをえない自衛の措置として必要最小限度のものに限られる。他国の防衛それ自体を目的とする集団的自衛権を認めるものではなく、今回の法案は憲法の範囲内であるという認識に至った」などと述べました(NHK)。しかし、中谷氏については、過去に「私は、現在の憲法の解釈変更はすべきでないと考えている。解釈の変更は、もう限界に来ており、これ以上、解釈の幅を広げてしまうと、これまでの国会での議論は何だったのか、ということになり、憲法の信頼性が問われることになる」「政治家として解釈のテクニックで騙したくない。自分が閣僚として「集団的自衛権は行使できない」と言った以上は、「本当はできる」とは言えません。そこは条文を変えないと……」などと述べていたことを暴露されています(日刊ゲンダイ)。

 自民党の高村正彦副総裁は「憲法学者はどうしても(戦力不保持を定めた)憲法九条二項の字面に拘泥する」(東京新聞)と述べましたが、法の字面に拘泥しないでどうやって法治をするのでしょうか。日本の政治家の言葉がデタラメであることを自白するかのような醜い言い訳です。

 全体的に、政府・与党は、憲法学者の直言に対して全く答えを与えられていません。三学者の意見陳述の最大の功績は、政府・与党がやっていることが憲法違反であると、満天下に知らしめたことだと言えるでしょう。

ならぬものはならぬのです

 日本国憲法は我が国の国政上の絶対の価値観です。国政選挙にしろ、その前提となる解散にしろ、議会の運営にしろ、予算や法律の制定をはじめとする日々の政治にしろ、全て日本国憲法に基づいて行われています。憲法が一度破られれば、やがては人権条項だって無視されていくことになります。

 この点、明治憲法制定に関わった伊藤博文、森有礼らは立憲主義を深く理解していたと言われます。しかし、今の与党の政治家は下記のように立憲主義を丸々否定する発言を平気でします。私たちの選良たる国会議員たちのレベルはこと憲法に関して言えば明治以前なのです。

時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。

出典:礒崎陽輔参院議員(国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官)のツイッター

 このような人々が日本国憲法を冒しても罰則は、ありません。政治家が憲法を守ることは大前提で、憲法違反を平気でやることは想定されていないからです。

 そして、憲法違反についてただちに違憲確認訴訟を提起できる訳でもありません。さらに、最高裁判所は、国会の議員定数不均衡について「違憲状態」と言いながら選挙を無効としないようなことをくり返しているので、政治家に舐められています。今のような政治が続いたら、10年後くらいに最高裁がボソボソと「違憲」と言っても、もう政治は従わないかもしれません。「裁判所が何とかしてくれる」という期待はあまりしない方が良いでしょう。

 昨年7月1日の閣議決定以降の憲法の危機状況は法律家の間では広く共有されていましたが、テレビ・新聞等の報道機関は、自らが憲法21条の恩恵を全面的に受けながら、「中立」報道をするばかりで、この絶対の価値観を前提に報道しなければならない、という認識が根本的に不足していました。しかし、政権が本気で憲法を破ろうとしているとき、そのような報道姿勢では間尺に合わないのは自明でしょう。報道機関が(例え改憲派であっても)憲法を前提にした報道をすることが何よりも求められます。

 最後に。このような状況の下、安倍政権を慌ててさせ、走らせているのは、日本国憲法による我が国の統治を承認する全ての国民であり、その力の源泉が日本国憲法なのです。政府与党の動揺振りは、日本国憲法が少なくともこの瞬間は正常に機能していることの現れと言えます。ツイッターでも、フェイスブックでも反対の声を上げていくことが重要でしょう。近いうちに、私たち日本国民が野田政権に対してしたように、国会前に大挙しなければならない日も来るかもしれません。とにかく、安倍政権の主人である国民が旗幟を鮮明にすることが重要なのです。安倍政権に「ならぬものはならぬのです」と言って聞かせましょう。