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自民党の改憲漫画から「押しつけ憲法論」を考える

渡辺輝人弁護士(京都弁護士会所属)

5月3日の憲法記念日を前に、自民党がまた凄いものを発表しました。安倍首相が指示して作ったという憲法改正を考える漫画です。

政府筋によると、漫画制作は首相が指示したという。船田元本部長は「憲法はGHQの影響下で作られたという歴史的事実を踏まえるべきだ。勇気を持って改正したい」と述べた。

出典:自民が憲法改正漫画 若者ターゲット(西日本新聞2015年04月28日)

筆者も早速読んでみましたが、衝突する人権同士を調整する原理であるはずの「公共の福祉」をなぜか「公益」と言い換えていたりして、歴史的事実以前に、日本国憲法を踏まえていないんじゃないかと疑問になる内容です。ストーリーは、GHQが短期間で作って日本に押しつけた翻訳調の憲法だし、もう時代遅れだ、というようなものです。以下、気になった点をいくつか検討します。

なお、漫画の現物はこちらで入手可能です。

憲法はインターネットに対応してない?

漫画の冒頭は、憲法改正が不安だというほのぼの優子さん(29歳)が、唐突かつ壮絶に(誤った認識で)日本国憲法をDisり始めます。

こんな不自然な疑問がどこから生じるだろうか
こんな不自然な疑問がどこから生じるだろうか

優子さん、ご安心下さい。日本国憲法が施行された1947年には、東京タワーも新幹線もテレビ放送も、自由民主党すら日本にはなかったわけですが、テレビ放送が始まったときに「憲法は今の社会についてこられるのかしら?」などという馬鹿げたことを心配した人はいなかったと思いますよ。そして、日本国憲法21条2項は「通信の秘密は、これを侵してはならない。」と明記しており、電子メールでも、LINEのやりとりでも、国家が勝手にのぞき見してはならないことは明記しています。日本国憲法はインターネット社会にも立派に対応しているのです。

憲法がエコじゃないって・・・
憲法がエコじゃないって・・・

また、日本国憲法に環境権について直接定めた条文がないのは確かですが、幸福追求権(憲法13条)をはじめとする人権のなかにそのような権利が含まれることも争いがないところです。実際、最近でも、干拓のための「ギロチン」とも言われた潮受け堤防で台無しになった諫早湾について、裁判所が堤防排水門の開門を命じる判決を出したりしています。日本の戦後の公害史を紐解くと、福島第一原発事故が最悪の公害なのですが、福井地方裁判所は、昨年、大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を出しました。このとき幸福追求権が運転差し止めを命じる根本的な根拠とされました。むしろ、どちらの問題についても、自然環境の保全に逆らう方向の施策を推進し、破綻を来したのは他ならぬ自民党政権で、決して日本国憲法のせいじゃないんですよ。優子さん。

さらに、ロハス(LOHAS (Lifestyles Of Health And Sustainability))についていうと、憲法25条が掲げる「健康で文化的」な生活の延長線にあるものでしょう。これについても「最低限度」の生命線である生活保護制度を悪化させ、かつ、本来保護を受けられるはずの人々の権利実現を嫌がっているのはむしろ片山さつき先生をはじめとする自民党の皆さんなんじゃないでしょうか。労働時間規制を破壊し、労働者を「定額使い放題」の無間地獄に放り込もうとしているのも今の安倍政権です。

憲法は日本国民ではなくアメリカのために作られた?

その後、漫画では、ほのぼの千蔵(92歳)が登場し、これまた壮絶に、日本国憲法をけなし始めます。

ほのぼの千蔵(92歳)
ほのぼの千蔵(92歳)

千蔵さんがいうところの「日本国憲法の基」が何を指すのかよく分からないところですが、読み進める限りは政府が制憲議会に提出した日本国憲法の政府案を示しているように思えます。政府案にGHQの意向が非常に強く反映しているのは事実ですが、これを指して「日本国憲法の基」をアメリカ人が作った、というのはかなり語弊のある言い方なのではないかと思います。というのも、GHQが政府案の原案を作るようになった背景には様々な経緯があるからです。

本来、憲法の改正案は日本政府がみずから作るはずだったのですが、松本烝治大臣が中心になって作った政府の憲法試案は明治憲法とほとんど変わりのない内容で、GHQは日本政府に失望して自ら草案作りに着手したのです。日本の支配者たちは自らの力でGHQが納得するような民主的な憲法草案を作ることができなかったのです。

一方、GHQは、同時期に日本国内で活発に行われていた新憲法に関する議論を丹念にリサーチしており、特に、後に静岡大学の教授となる鈴木安蔵が主宰していた憲法研究会の「憲法草案要綱」には大いに注目していました(国会図書館のHPで現物を見られます)。憲法研究会の憲法草案要綱は国民主権を定めつつ天皇制を存続させるなど、今の日本国憲法と基本構造が非常によく似ています。この憲法草案要綱はGHQが作成した政府案の基に大きな影響を与えたと言われています。GHQがわずか8日間で政府案の基を作ることができたのは、好き勝手をやったからではなく、むしろ、日本の中で現に育っていた日本的な民主主義や人権の思想をベースにしたからなのです。

「軍事的な」無力化であって、無力な国を作ろうとしたわけではない。
「軍事的な」無力化であって、無力な国を作ろうとしたわけではない。

また、GHQが軍事的に日本の無力化を指向していたのは事実ですが、それはアメリカ政府のみの意向ではなく、ポツダム宣言にすでにうたわれていることであり、連合国(後の国連)の総意でもあったので、アメリカのせいにするのはよくないと思います。

GHQは誰のために憲法草案を作ったのか?
GHQは誰のために憲法草案を作ったのか?

漫画の中では、GHQ民政局のスタッフと思われる人物たちが「日本人のための憲法ではなく我々のために日本国憲法を作ろうっていうのか・・」などというセリフが出てきますが、ホイットニー准将以下の民政局のスタッフが日本国民のために、理想と情熱に燃えて政府案の基を作ったことは有名な話で、だからこそ、日本国憲法は世界の憲法の中でも素晴らしいと言われる人権規定を多数揃えているのです。なかでも、自ら日本で育って日本の女性たちが置かれた無権利状態に心を痛め、男女の平等をうたった憲法24条を起草したベアテ・シロタ・ゴードンさんは有名ですね。自民党漫画のこのセリフの出典は果たして何なのでしょうか。事実無根ではないでしょうか。

憲法は8日間で作られた訳ではない

この経過から見ても分かるように、「8日間」というのは、松本試案を撥ね付けたあとにGHQが日本政府の憲法草案の基(マッカーサー草案)を作るために要した時間であり、当然ながら、日本国憲法が8日間でできあがったわけではありません。1946年2月12日にできあがったマッカーサー草案は、その後、日本政府との激しいつばぜり合いを経て、1946年3月6日に政府の憲法改正草案要綱として完成されました。なお漫画に登場する、松本烝治大臣が怒って帰ってしまったエピソードは、松本自らが主導したマッカーサー草案の換骨奪胎策をGHQに見破られ、激論になったからで、「翻訳の解釈の違い」などというレベルのものではありません。押しつけ憲法を強調するのであれば、日本の旧体制を代表しながら“敵前逃亡”した松本烝治こそ、戦犯として非難されるべきではないでしょうか。そして、このエピソードは、憲法(草案)を「押しつけられた」日本の旧支配層の根本的な責任感や自覚の欠如を示している気がしてなりません。

画像

また、漫画ではこの先の過程が全てぶっ飛んでいきなり1946年11月3日の憲法公布に行きますが、3月6日から11月3日までの間に、新しい憲法を定めるべき議員を選んだ1946年4月の衆議院議員総選挙(日本で初めて婦人参政権が実現しました)、その後の国会での活発な論戦、衆議院及び貴族院での圧倒的多数による可決、という経過があります。この過程で、文語体だった憲法草案は口語体に変わり、憲法第1条での国民主権の明記、憲法9条の芦田修正、憲法25条での生存権の明記、憲法26条2項での無償の義務教育の中学までの延長など多数の追加・修正がされています。

千蔵さんは、新しい憲法を定めるべき議員を選んだ1946年4月の衆議院議員総選挙は棄権し、その後の国会論戦も追いかける暇がなかったのかもしれませんね。

国民は押しつけた側にいる

憲法草案を押しつけられる松本烝治大臣
憲法草案を押しつけられる松本烝治大臣

この漫画に出てくる松本烝治大臣や、安倍首相の祖父である岸信介など、明治憲法下での絶対主義的天皇制を支え、戦争を主導した旧支配層が、日本国憲法をGHQから「押しつけられた」というのは、ある意味で正しい表現だと思います。なにしろ、天皇主権で人権保障がされない明治憲法を温存しようとして玉砕したわけですから。しかし、日本国民は全体としては日本国憲法を歓迎したし、その後も擁護してきました。だからこそ、施行から68年経った今日まで、日本国憲法は改正されなかったのではないでしょうか。そんなに不合理な憲法であれば、いかに改正のハードルが高くても、早期に改正されていたでしょう。

日本国憲法の制定過程でGHQが果たした役割が大きかったことは否定できませんが、マッカーサー草案のベースになったアイデアは日本国民が考えたものであり、制定過程で多数の重要な追加や修正がなされ、国民が選んだ議員で構成する国会で議決されて成立したものです。その日本国憲法には、国民主権が定められ、国民が日本国政府に対して有している基本的人権が列挙されています。そういう意味で、多くの日本国民は、間違いなく、日本国憲法を「押しつけた」側にいたのです。

クライマックスで飛び出す押しつけ憲法論
クライマックスで飛び出す押しつけ憲法論

そうやってみると、この自民党の漫画のクライマックスに出てくる千蔵さんのセリフは、一生懸命感動的に見せようとしていますが、よく読めば右翼団体の街宣車に書いてあるスローガンとあまり変わりがありませんね。

むしろ、その後の歴史を見ると、日本国憲法で徹底した平和主義を実現させたGHQは東西冷戦の深まりと朝鮮戦争勃発の過程で、それを誤りだったと考えるようになり、日本を再軍備させ自衛隊の元となる組織を作らせます。そして、日本の独立と同時に日米安保条約を締結し、占領軍が形を変えた米軍の駐留は現在まで続いています。つい先日も、我が国の首相が、訪問先のアメリカで、沖縄県辺野古での新しい米軍基地の建設や、まだ国会に法案を提出すらしていない「戦争立法」の夏までの成立を約束してきました。憲法9条を維持すべきと考える国民が多数派で、今国会での安保法制の制定に否定的な世論が多数で、沖縄県ではそれこそ圧倒的多数の県民が辺野古への新基地建設に反対しているのに、国内の議論より先にアメリカ政府に約束してくる政府は一体誰のための政府なのでしょうか。少なくとも、筆者には、この漫画の作成を指示したという安倍首相の方が、よっぽど敗戦国根性を引きずっているように見えます。ひょっとしたら、安倍首相と自民党は、戦後70年の節目の年に、憲法とはなんなのか、国民主権とはなんなのか、を深く考えさせるための反面教師的な素材を提供してくれたのかもしれませんね。素材を提供してくれた自民党に感謝しつつ、筆者は日本国憲法を引き続き擁護していきたいと考えます。

弁護士(京都弁護士会所属)

1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指しています。著作に『新版 残業代請求の理論と実務』(2021年 旬報社)。

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