置き去りにされる賃金(残業代)の短期時効

 筆者も属する法曹界では、ここ数年、民法の大改正がずっとテーマでありました。これについては、民法学者の方々が広げた壮大な計画が様々な思惑の中でいつの間にか縮んでいき、最後には旗振り役だった偉い学者先生が突如弁護士登録されたりと、私のような実務法曹のサイドから見ると「本当にやるの?こっちは改正されたら一から勉強するんだよ?」という雰囲気もあったのですが、いよいよ法案要綱の提出まで漕ぎ着けたようです。

短期消滅時効制度がなくなる

 今回の民法改正のなかの大きな柱の一つは短期消滅時効制度の廃止です。これについては東京新聞の記事が分かりやすいので紹介します。

 現行民法は、債権が無効になる時効を原則未払いの発生から十年とした上で、特定の業種は一~三年と規定。例えばDVDのレンタル料やタクシー運賃、ホテルの宿泊料は一年、弁護士費用は二年、病院の診療費や建築工事代金は三年となっている。

 債権の時効は、取引伝票や領収書などの証拠が散逸することで当事者間の紛争が長期化することを防ぐなどの目的で設けられているが、明治時代に決められた業種間の区分については「分かりにくく、合理性がない」「不公平感がある」と疑問の声が上がっていた。

 改正要綱は区分を撤廃し、業種にかかわらず「権利を行使できることを知った時から五年」を時効と定めた。後になって権利を行使できることを知るケースも想定し、未払いが発生してから十年とする従来の規定も残し、いずれかの早い時期で債権が消滅することになる。

出典:東京新聞

 「証拠がないことが多い」「債権発生後すぐに請求するのが常なので時間がたってあとから請求されると債務者が困る」などの理由で一般の時効(10年)より極端に短い消滅時効が設定されていた分野別の時効規定が廃止され、「最低5年」に統一される訳です。

取り残される賃金債権の短期消滅時効

 ところで、この流れに完全に取り残されているのが労働者の賃金(残業代の請求権も含みます)の消滅時効です。もともと、明治時代にできた民法では賃金債権の短期消滅時効は1年となっていました。戦後の1947年にできた労働基準法では、これを2年に延長しました。もっと長くしなかったことについては、労働者の保護と使用者の取引の安全(時間がたってあとからいきなり請求されない利益)のバランスを計ってきた、と説明されています。

 しかし、今回の民法改正がなされることで、短期消滅時効制度自体が廃止されると、賃金債権以外の債権については一律「最低5年」の消滅時効になります。短期消滅時効制度自体がなくなるので、労基法の2年の時効の立法根拠も失われます。このような状態で賃金債権の短期消滅時効のみ、こともあろうか労働者を保護するためにあるはずの労働基準法で残すなどというのは時代錯誤もいいところで、筆者は憲法14条が定める法の下の平等に反するのではないかとすら思います。

 ブラック企業などを中心に圧倒的に使用者優位の職場環境の中で、労働者が在職中に未払残業代の請求をするのが困難であることは周知の事実です。一方、残業代を含む賃金債権の時効を5年にすれば、使用者が残業代の不払い(これ、犯罪ですからね)を働いて、あとから労働者に請求された場合の制裁機能も大きく機能することになり、使用者はリスクが増大するので、残業代の未払自体が減少することが予想されます。

 政府は今、「残業代ゼロ」制度の推進に向けてばく進していますが、この賃金債権の置いてけぼり状態を見るだけでも、政府が労働者保護を推進する気が全く無いことが透けて見えます。政府は、残業代ゼロよりも、「未払残業ゼロ」、そして究極的には「残業ゼロ」(でも生きていける制度)を確立していくべきではないでしょうか。賃金債権の短期時効の撤廃はそのための入り口であると考えます。

蛇足

 実務家が法律業務を行う上で最も頼りにしていると言っても過言ではない『新版注釈民法』は、時効制度について書かれた5巻がついに発刊されないままになりそうですね。民法の大改正となれば、よくテレビのインタビューで弁護士が出てくるときに後ろにズラリとならんでいる本の何割かが書き換えられることになり、出版社には特需が訪れる訳で、実際、「民法(債権法)改正検討委員会」という学者を中心にした団体の事務局が某大手法律書出版社の本社ビルに入っていたりします。新しいことも結構なんですが、地道な仕事をさぼりがちな(恐らくごく一部の)大家のお尻をバンバン叩くか、とっとと首をはねて若い学者に仕事を回し、ちゃんと体系書を完成させて欲しいものです。