【戦国こぼれ話】『愛宕百韻』は暗号でもなければ、明智光秀の謀反の予告でもない
今から440年前の天正10年(1582)6月2日、明智光秀は本能寺で織田信長を討った。これまで『愛宕百韻』は、光秀の謀反の予告とされてきたが、その点について考えてみよう。
■『愛宕百韻』とその解釈
明智光秀が変を決行する約1週間前、京都の愛宕神社で連歌会が催された(開催日は諸説あり)。そのときの記録をまとめたのが『愛宕百韻』である。その名称のとおり、参加者が100句の句を継いだのである。有名な『愛宕百韻』の冒頭の3句は、以下のとおりである。
発句 ときは今 あめが下なる 五月かな 光秀
脇句 水上まさる 庭の夏山 行祐
第三 花落つる 池の流を せきとめて 紹巴
この3句の解釈については諸説あるが、おおむね次ように解されている。
発句 時は今、雨の下にいる五月だ。
脇句 折しも五月雨が降りしきり、川上から流れてくる水音が高く聞こえる夏の築山。
第三 花が散っている池の流れを堰き止めて。
普通の解釈では、前の句を受けて連想しながら、風景の移ろいを詠んでいることがわかる。これは、参加者が心を一つにして詠むという、連歌の作法に基づいたものだ。同時に、『愛宕百韻』は光秀が中国出陣での戦勝を祈念して催されたと理解するのが正しい。
■光秀は土岐氏の末裔か
これまで、光秀は土岐氏の庶流である土岐明智氏の末裔とされてきた。それゆえ、光秀の発句は「時は今こそ、光秀が天下を取る5月だ」という解釈がなされてきた。謀反の予告である。
しかし、光秀の系図を一覧すると、父の名が一致しないばかりか、信頼できる一次史料(同時代の古文書など)には、一切登場しない。それゆえ、光秀が土岐明智氏の末裔という説は再検討の必要がある。
おまけに、常識的に考えると、光秀が大勢の前で「今から信長に謀反を起こします」と高らかに宣言するだろうか。そんなことをすれば、信長に密告する者がいるに違いない。常識で考えても、光秀の発句は謀反の予告とは考えられない。
■解釈の異説
しかし、近年になって、光秀が土岐氏の末裔であることを前提として、次のような解釈があらわれた(明智憲三郎『本能寺の変 四三一年目の真実』文芸社文庫、2013年)。
発句 時は今、五月雨にたたかれているような苦境にある五月である(六月になれば、この苦境から脱したいという祈願)。
脇句 土岐氏の先祖(水上)よりも勢いの盛んな(夏山のような)光秀様(そうであるから祈願は叶うという激励)。
第三 美濃守護職を失った(花落つる)池田氏の系統(池の流れ)をせきとめて(明智氏が代わって土岐氏棟梁を引き継げばよいという激励)。
こう解釈したうえで、『愛宕百韻』が毛利氏の出陣連歌であると同時に、土岐氏の栄枯盛衰を重ねたもので、土岐氏再興への激励でもあったという。
光秀の出自が土岐明智氏であるか否かを差し置いたとしても、この解釈には疑問が残る。そもそも連歌の読み方で、それぞれの句に暗号のようなメッセージを託すようなことがあったのだろうか。いずれの解釈とも、それぞれの語句に強引な解釈を当てはめただけで、とても納得できるようなものではない。
■むすび
連歌とは、一座した作者たちが共同で制作する座の文芸である。それは、句と句の付け方や場面の展開のおもしろさ(付合)を味わうことにあり、暗号のようなものを託して詠むものではないだろう。そうなると、平凡ではあるかもしれないが、冒頭に示した穏当な解釈に従うべきだろう。
【主要参考文献】
島津忠夫『新潮日本古典集成 連歌集』(新潮社、1979年)。
勢田勝郭「『愛宕百韻』の注解と再検討」(『奈良工業高等専門学校紀要』、第55号、2020年)
拙著『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社、2019年)