Yahoo!ニュース

【深読み「鎌倉殿の13人」】源義経の首を見た源頼朝は、本当に激しく慟哭したのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源義経の首を見た源頼朝は、何を思ったのだろうか?(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第20回では、源義経が討たれ、その首が源頼朝のもとに運ばれた。源義経の首を見た源頼朝は何を思ったのか、その点について詳しく掘り下げてみよう。

■源義経の死

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ついに源義経が藤原泰衡の軍勢によって討たれてしまった。その状況は、頼朝にどう伝わったのだろうか。

 『吾妻鏡』文治5年5月22日条によると、奥州の飛脚が鎌倉に到着し、藤原基成の館で義経が殺害されたとの一報がもたらされた。義経の首は、追って鎌倉に持参するという。この一報を耳にした頼朝は、ただちに朝廷にこの事実を報告した。

 義経討伐の件は、頼朝の妹婿である一条能保から朝廷に伝えられた。義経が討伐されたことを知った九条兼実は、自身の日記『玉葉』のなかで、「天下の悦び」と記している。兼実は頼朝との親交が厚かったので、このような感想を抱いたのは当然だった。

■義経の首

 同年6月13日、藤原泰衡の使者・新田高平が鎌倉の頼朝のもとに、義経の首を持ってやって来た。その際、高平は腰越(義経が頼朝に面会を拒否された場所)を通過したのだから、何かの因縁を感じるところでもある。

 首実検を担当したのは、侍所別当の和田義盛、同じく所司の梶原景時だった。景時も義経との因縁があったのだから、これもまた何かのめぐりあわせであろう。

 義盛と景時の2人は甲と直垂を身に着け、甲冑を着した郎党20騎を従えて、首実検の場に姿をあらわした。義経の首は黒漆の櫃に納められており、腐敗を防ぐため美酒に浸してあったという。一般的に言えば、首には敬意が払われ、丁寧な処置が行われた。

 とはいえ、旧暦の6月のことだったので、暑かったのは疑いなく、腐敗していないか首の状況が心配になる。高平は、従者2人に義経の首の入った黒櫃を運ばせたという。

■頼朝はどう思ったのか

 首実検の様子を見た者は、在りし日の義経を思い出し、変わり果てた姿に皆涙を流したと伝わっている。ある意味で、人間の感情としては、当然のことと言えるのかもしれない。

 とはいえ、このときの頼朝の心情を伝える記事は、『吾妻鏡』には見えない。大河ドラマで大泉洋さんが演じたように、激しく慟哭したのかは不明である。

 義経討伐を命じたのは頼朝なのだから、少なくとも御家人の面前で大泣きすることはなかっただろう。いずれにしても、このときの頼朝の心情をうかがうのは困難で、永遠の謎といわざるを得ない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事