Yahoo!ニュース

【深読み「鎌倉殿の13人」】挙兵前の源頼朝の史実はどこまでわかるのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源頼朝の前半生には、不明な点が多い。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝が大きな存在感を示している。ところで、挙兵前の源頼朝については、いったいどこまでのことがわかるのだろうか。

■一次史料と二次史料

 そもそも史実を確定するための史料とは、どういうものがあるのだろうか。史料は大別して、一次史料と二次史料がある

 一次史料とは、古文書・古記録といった同時代史料である。歴史研究では、基本的に一次史料を用いることが原則である(ただし、時代によって状況は異なる)。

 一方の二次史料は、後世に編纂された史料のことをいう。たとえば、軍記物語、地誌、家譜、系図、覚書などである。『平家物語』も二次史料である。

 二次史料は執筆者の主観や勘違い、記憶違い等々の可能性があるので、利用に際しては注意が必要である。根拠史料として用いる際には、慎重でなくてはならない。

 二次史料の成立年が早いとか、名家に残った史料であるとか、執筆した人物が信頼できるなどは、信憑性を担保したことにはならない。内容の精査が必要だ。

 たとえ信憑性の高い二次史料であっても、一次史料を中心にして論を展開するのがセオリーである。念のために申し添えると、『信長公記』は信頼度の高い史料であるが、二次史料に区分される。

■頼朝時代の史料

 鎌倉時代の根本史料『吾妻鏡』も編纂された二次史料であるが、古くから史料批判が行われており、精査したうえで用いられる。この時代の研究に『吾妻鏡』は欠かせない。

 『吾妻鏡』のほかには、公家日記(九条兼実の『玉葉』など)があるが、この時期の一次史料は戦国時代や江戸時代に比べると少ないのが実情である。それゆえ二次史料を援用する。

 この時代の二次史料には、当該事件などの直後に成立したものも少なくなく、客観性を重んじた編纂物があるのも事実である。『平家物語』などの文学作品も貴重である。

 とはいえ、それら二次史料(特に文学作品)のなかには、人物の評価に偏りが見られるものがあることを見逃してはならない。

 たとえば、『平家物語』では平清盛、その子の宗盛について、悪しざまに評価している。一方、ほかの平氏一門については、散り際を美しく描いている。

 『平家物語』はあくまで文学作品なので、登場する人々の人物像をある程度際立たせることで、物語としてのおもしろさを演出しているといえよう。

■むすび

 実は、伊豆で流人時代を過ごしていた頼朝のことを記す一次史料はほぼない。その多くは、後世に成った『源平盛衰記』、『曽我物語』などの二次史料に書かれていることである。

 したがって、頼朝と八重との麗しい愛情についても、子の千鶴丸が無残にも殺されたことは、史実か否かにわかに即断できない。

 頼朝の足跡が明らかになるのは、おおむね治承4年(1180)の挙兵以後である。『吾妻鏡』が筆を起こすのは同年のことである。

 とはいえ、「一次史料には書いていません」ではあまりに寂しい。史料的な限界を頭に入れつつ、ドラマを楽しむのが一番である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事