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【深読み「鎌倉殿の13人」】源頼朝を支えた比企尼と比企能員とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源頼朝は、乳母の比企尼に支えられていた。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の2回目は、草笛光子さんが演じる比企尼が登場した。比企尼(ひきのあま)は流人時代の源頼朝を支えたことで知られているが、どういう人物だったのだろうか。

■比企氏とは

 比企氏とはその名のとおり、武蔵国比企郡に本拠を置いた東国の豪族である。当時の比企郡は、おおむね現在の埼玉県比企郡と東松山市にまたがる広大な地域である。

 比企氏は藤原秀郷の子孫といわれ、能貴が比企氏の中興の祖とされているが、その辺りのことは詳しくわかっていない。極端かもしれないが、謎の一族といえよう。

■源頼朝を支えた比企尼

 草笛光子さんが演じる比企尼は、生没年不詳。父母の名前も不詳である。比企尼の夫は、比企掃部允である。

 比企掃部允(かもんのすけ)も生没年が不明なのだから、実に困ったことである。

 頼朝の配流に伴って、比企尼は夫の比企掃部允とともに武蔵国比企郡に下った。そして、治承4年(1180)に頼朝が挙兵するまで仕送りをして生活を支えた。なんと約20年である。

 もちろん、それには理由があり、比企尼は頼朝の乳母だったからである。

 重要なのは、比企尼の3人の娘である。長女の丹後内侍は惟宗広言との間に子の島津忠久(薩摩島津氏の祖)をもうけ、広言と離縁したのち関東へ下り、安達盛長と再婚した。

 盛長は、頼朝の流人時代を支えた人物だ。盛長については、追々説明することにしよう。

 次女は、武蔵国の河越重頼のもとに嫁ぎ、3女は伊豆国の伊東祐清の妻となり、祐清の没後は平賀義信と再婚した。河越氏も伊東氏も、有力な豪族だった。

 比企尼は、それぞれの娘婿に頼朝に助力するよう要請したといわれている。

 比企尼は頼朝に生活物資を送るだけでなく、来るべき日に備えて、娘婿に頼朝の支援を命じていた。つまり、比企尼は頼朝の今後を考えるうえで、キーマンならぬキーウーマンだったといえよう。

■比企能員とは

 比企能員は比企尼の甥であるが、生年どころか父母の名前すら明らかではない。一説によると、阿波国の誕生であるというが、詳細は不明である。

 能員の前半生は不明な点が多いが、頼朝挙兵後は平氏征伐、奥州征伐で大いに軍功を挙げた。その軍功や比企尼の長年にわたる頼朝への支援が認められ、のちに能員の妻は頼家(頼朝の子)の乳母になった。

 なお、比企能員の館は、埼玉県東松山市大谷に推定地がある。

■むすび

 比企尼や比企能員はその出自などに不明な点が多いものの、伊豆で流人生活を送っていた頼朝をサポートしていた。こうした関係から、登用されたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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