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【戦国こぼれ話】丸亀市立資料館所蔵の名刀「にっかり青江」は、信じ難い逸話を持つ日本刀だった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
「にっかり青江」は、信じ難い逸話を持つ日本刀だった。(写真:アフロ)

 香川県の丸亀市立資料館では、『ニッカリ青江公開プレミアムマンス』が開催されている。この「にっかり青江」は、信じ難い逸話を持つ日本刀だったことをご存じだろうか。

■「にっかり青江」とは

 「にっかり青江」は、鎌倉時代に備中国青江(岡山県倉敷市)で青江派によって作られた刀である。

 青江派は、平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工集団で、年代順に古青江、中青江、末青江に分類されている。

 「にっかり青江」は中青江(鎌倉時代末期から南北朝初期)に分類されており、青江貞次(生没年不明)が作刀した。

 なお、「にっかり青江」は重要美術品に認定されており、名刀として高く評価されている。

■「にっかり青江」の逸話

 にっかり青江には、ユニークな逸話がある。ある武将が化物が出没するという噂を聞いた。早速、現場に行くと、怪しげな女が子供を抱いて立っていた。

 女は武将に子供を抱いてほしいと言うと、子供が近づいたので、驚いた武将は子供を斬り、「にっかり」と笑う女の幽霊も斬ったのである。

 翌日、武将が子供と女の幽霊を斬った場所に行ってみると、石灯籠が真っ二つに斬れていた。

 刀は「にっかり」と笑う女の幽霊を斬ったので、「にっかり青江」と称された。なお、子供と女の幽霊を斬った武将については、諸説ある。

■その後の「にっかり青江」

 その後、「にっかり青江」は柴田勝家が所持し、さらに子の勝敏に伝来した。しかし、天正11年(1583)に柴田氏が羽柴(豊臣)秀吉によって滅亡に追い込まれると、所有権は秀吉に移った。

 慶長3年(1598)に秀吉が没すると、「にっかり青江」は子の秀頼が相続した。慶長19年(1614)の大坂冬の陣後、秀頼は徳川方との和睦斡旋に尽力した京極忠高に「にっかり青江」を授けた。

 以来、「にっかり青江」は、丸亀藩主となった京極家に代々伝わったのである。重要美術品に認定されたのは、昭和15年(1940)のことだ。

 平成9年(1997)に丸亀市が京極家から購入し、丸亀市立資料館が所蔵することになったのである。

■まとめ

 実は、刀にまつわるエピソードは非常に多く、それは刀の切れ味を世に知らしめることになった。しかし、史料的な裏付けがないのが大半で、創作されたものが大半である。

 とはいえ、「にっかり青江」が名刀であるのはたしかなので、この機会にぜひ見ておくことをお勧めする。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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