将棋の藤井聡太三冠は織田信長が好きだという記事を拝見した。信長のチャレンジ精神、積極性、革新性に強く惹かれるという。ところで、こうした信長の評価が正しいのか考えることにしよう。

■古くから評価された織田信長の革新性

 すでにテレビや雑誌などでは、繰り返し織田信長の革新性が強調されてきた。ビジネスの世界では、「信長の革新的な経営手腕を見習え!」、「上司にするなら信長が最高!」と高く評価されている。

 むろん、信長の革新性については、根拠がないわけではない。神戸大学名誉教授の今井林太郎氏(故人)は、「信長の出現と中世的権威の否定」(『岩波講座 日本歴史9〔近世1〕』、1963年)を公表した。

 この論文では、信長による革新的な諸政策(楽市楽座など)や土地制度の変革により中世的な権威が否定され、近世の道を切り開いたと指摘された。この論文は、以後の信長観に大きな影響を与えた。

 例えば、信長は無宗教(無神論者)だった、あるいは天皇制を打破しようとしたなどの説である。

 以来、信長のやることなすことは、すべてこれまでにない革新性の伴ったものだと持ち上げられたのだ。

■研究の進展により否定される

 こうして、世間のみならず研究の世界でも「信長サイコー!」と連呼されてきたが、研究の進展によって、信長の革新性は否定されるに至った。

 楽市楽座は市を自由に開き、座(同業者組合)の特権を廃したものであるが、この政策自体はすでに六角氏などが実行しており、信長のオリジナルな政策でなかったと指摘されている。

 信長が無宗教(無神論者)だったというのは大きな誤解であり、信長は法華宗、禅宗を信仰していた。

 そもそも寺社に対して所領の寄進や安堵を行っていたので、無宗教(無神論者)だったという説は当たらない。

 信長が比叡山延暦寺や大坂本願寺と抗争を繰り広げたのは、彼らが宗教者としての本分を忘れ、歯向かってきたからである。彼らの降参後は、教団の存続を認めている。

 ちなみに「信長が神になろうとした」という説は、フロイスの『日本史』にそれらしき記述があるが、日本側の史料には書かれていない。

 それは、フロイスがキリスト教の布教が上手くいかない不満を信長にぶつけただけであって、信長が神になろうとしたという説には懐疑的な見解が多数を占める。

 さらにいうならば、信長は御所の修理をするなど、天皇に相当な配慮をしており、天皇制を打倒する意図などはなかったと考えられる。

■まとめ

 もとより藤井三冠を責める意図は毛頭ないが、巷間に知れ渡っている「信長の革新性」は今や否定されていることを強調しておきたい。むしろ、保守的であったとすらいえる。

 かつて、民主党政権が「官僚からの脱却」を図って大失敗したことがある。これは民間企業でも同じだと思うが、急速な改革は成功例が少ない。現状を見据えて、時間を掛けながら進めるのが適切な方法である。

 むろん、信長がそこまで考えていたのかはわからないが、革新的な人物とまでいえないのはたしかなようだ。