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【戦国こぼれ話】伊勢宗瑞(北条早雲)による小田原城攻撃は、霊夢を見て軍事行動を起こしたのではない

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
かつては北条早雲と言われたが、今は伊勢宗瑞という。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 小田原市観光協会が「忍者候補」を募集するなど、熱い。小田原といえば、北条氏中興の祖の伊勢宗瑞(北条早雲)である。宗瑞は霊夢を見て、大森藤頼の小田原城を攻撃したというが、それは事実なのだろうか。

■従来説による小田原城攻撃

 従来説によると、伊勢宗瑞の小田原城攻撃の予兆が次のように描かれている(『北条記』)。宗瑞は鼠が大きな2本の杉の木を根元から食い倒し、やがて鼠が虎へと変貌する霊夢を見た。

 鼠とは子年生まれの宗瑞であり、2本の杉の木とは扇谷・山内の両上杉家のことである。まさしく、小田原城の襲撃を予兆させる霊夢といえよう。

 明応4年(1495)、宗瑞は小田原城を攻撃する。『北条記』によると、宗瑞はたびたび大森藤頼(定頼)に対し、贈物をしていたという。当初、藤頼は意図を図りかねて警戒していたが、やがて親しい間柄になった。

 ある日、宗瑞は藤頼に鹿狩りをしたいので、大森氏の領内に勢子(狩猟で鳥獣を狩り出したり、逃げるのを防いだりする人夫)を入れさせてほしいと依頼した。藤頼は何ら疑うことなく、申し出を快く許可した。これが宗瑞の狙いだった。

■小田原城に攻め込んだ宗瑞

 宗瑞は屈強な武将たちを勢子に仕立て上げると、次々に大森氏の領内へと送り込んだ。その日の夜、宗瑞の軍勢は、1千頭の牛の角に松明を灯し、小田原城へと進軍した。

 この動きに呼応するかのように、潜んでいた勢子(実は宗瑞の軍勢)が鬨の声を上げて城下に火を放ったのである。

 あまりに突然なことに、大森方では数万の軍勢が押し寄せたと勘違いした。1千頭の牛の松明がそのように見えたのだろう。

 大森方は大混乱に陥り、藤頼は這う這うの体で小田原城から逃げ出した。宗瑞はほとんど戦うことなくして、小田原城を手に入れたのである。

 一連の『北条記』の記述によって、宗瑞が霊夢により軍事行動を起こしたことと、それが下剋上という当時の風潮に倣ったものであるように伝わった。

 しかも、「謀将」の名にふさわしい謀略によって、小田原城を入手するという劇的なものだった。

■実際の小田原城襲撃

 一次史料では、先述のような劇的な攻略は確認できない。そもそも明応4年(1495)に小田原城が落城したのかも疑問視されている。

 明応5年(1496)に推定される上杉顕定書状(「宇津江氏所蔵文書」)によると、宗瑞が相模西部に侵攻した際、顕定は古河公方・足利政氏を奉じて交戦に及んだという。

 顕定は扇谷上杉氏配下の上杉朝昌、太田資康、大森式部少輔(定頼ヵ)、長尾景春、三浦義同(よしあつ)らを降し、宗瑞の弟・弥次郎らが籠る「要害を自落」させ(逃亡させたとの意味か)、数多くの首を獲った。

 この「要害」とは小田原城ではないかと考えられている。大森式部少輔が定頼であるとすれば、そもそも宗瑞と定頼は味方だったことになる。

 『妙法寺記』(『勝山記』)にも、同年7月に宗瑞の弟・弥次郎が大敗したことが記されている。その記述とは、右の顕定との交戦を指すものと推測される。

 その後、定頼は宗瑞のもとを離れ、山内上杉方に与した。そうした事情から定頼は宗瑞に攻撃され、小田原城の落城後には、三浦義同のいる岡崎に逃れたという。

 ちなみに義同は上杉高救と大森氏頼の娘との間にできた子供で、のちに子がなかった三浦時高の養子になった。義同ものちに宗瑞によって滅ぼされる。

■まとめ

 以上の検討結果を考慮すれば、そもそも明応4年(1495)に小田原城が落城したという説そのものが見直されなくてはならない。明応5年(1496)が正しいようだ。

 かつて、宗瑞は足利茶々丸の激しい抵抗に遭い、意外なほど抵抗を強いられたが、それは大森氏に対しても同じであった。やはり、野心を剥き出しにした宗瑞の「悪」の姿は、今一度見直される必要がある。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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