Yahoo!ニュース

【戦国こぼれ話】本能寺の変は怨恨か、黒幕か、それとも突発的なものだったのか。明智光秀の本心とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀は、なぜ主君の織田信長を討ったのだろうか。(提供:アフロ)

 6月2日といえば、本能寺の変が勃発した日である。織田信長は明智光秀に討たれたのだが、光秀の動機に関しては、怨恨、黒幕説などが取り沙汰されている。はたして、その真相とは。

■光秀の書状を読んでみる

 近年、笠谷和比古・国際日本文化研究センター名誉教授は、本能寺の変が粛清を恐れた明智光秀の場当たり的な出来事と指摘したことが話題となった(『信長の自己神格化と本能寺の変』)。以下に示すのが根拠となる史料だ。

 本能寺の変の1週間後、光秀は細川幽斎・忠興父子に書状を送った。この書状は光秀が信長を急襲した動機を考えるうえで、非常に貴重な内容である。以下、内容を確認することにしよう。

 天正10年(1582)6月9日、光秀は3ヵ条から成る覚書を送った(「細川家文書」)。宛名を欠いているが、細川幽斎・忠興父子に宛てたものと考えられる。内容を確認しておこう。

①藤孝・忠興父子が髷を切ったことに対して、(光秀は)最初は腹を立てていたが、改めて2人に重臣の派遣を依頼するので、親しく交わって欲しい。

②藤孝・忠興父子には内々に摂津国を与えようと考えて、上洛を待っていた。ただし、若狭を希望するならば、同じように扱う。遠慮なくすぐに申し出て欲しい。

③私(光秀)が不慮の儀を行ったのは(本能寺の変における信長謀殺)、忠興を取り立てるためで、それ以外に理由はない。50日・100日の内には、近国の支配をしっかりと固め、それ以後は明智光慶と忠興にあとのことを託し、自分(光秀)は政治に関与しない。

 以上が書状の内容である。

■難しい書状の評価

 光秀がこのような書状を幽斎・忠興に送った理由は、娘のガラシャが忠興に嫁いでいたからだった。しかも、光秀と幽斎は信長に仕えて以降も親交を深めており、幽斎が丹後を拝領した際は、光秀が陰でサポートしていた。両者の関係は、極めて良好だったといえる。

 とはいえ、この史料の評価は二分されている。②の部分を文字どおりに捉え、本能寺の変後に明智光慶と忠興に政権の運営を託し、光秀自身は引退する予定だったと考える論者もいる。

 一方、書状の文面は哀願に近いもので、窮地に陥った光秀が幽斎・忠興父子に助けを求めていると考える論者もいる。この点はいかに考えるべきであろうか。

 ①は藤孝父子が光秀からの誘いを断るために髷を切ったものか、光秀の縁者であることを憚って、あえてこのような行動に出たのかは判然としない。信長に弔意を示したとの意見もある。いずれにしても、光秀に与しない意思表示であることはたしかである。

 ②は光秀がいかなる手を用いても、藤孝らを味方にしたいという気持ちのあらわれであろう。摂津でも若狭でもいいという表現から、光秀の切羽詰まった様子をうかがうことができる。

 所領の付与は、幽斎・忠興父子を味方にするための重要な手段であった。とにかく、この書状から幽斎・忠興父子に「味方になってほしい」との強いメッセージを読み取ることができる。

■突発的だった本能寺の変

 問題は、③である。史料の冒頭に「不慮の儀」とあるように、本能寺の変は計画的なものではなく、光秀のとっさの行動であったことを裏付けている。

 信長を討ってしまった以上は仕方がないので、光秀は一連の行動が娘婿の忠興のためだったと話をすりかえた。そして、畿内を平定のうえは政治から退き、明智光慶と忠興にあとのことを任せると言い訳をしているのだ。これが光秀の本心とは、とうてい考えられない。

 追い込まれた光秀は、何が何でも藤孝・忠興父子を味方に引き入れなくてはならなかった。光秀には政権構想や政策もなく、変後にあたふたとしている様子がうかがえる。

 そもそも光秀が計画的に謀反を起こしていれば、幽斎・忠興父子だけではなく、高山右近、筒井順慶らから味方になることを断られなかっただろう。光秀は突発的に信長を討ち、慌てて諸将に味方になるよう声を掛けたが、すべて断られたというのが真相と考えられる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事