【先取り「鎌倉殿の13人」】えっ、誰だ?北条義時の兄で、若くして亡くなった北条宗時とは

源頼朝像。石橋山の戦いで敗北後、北条宗時は早河(冷川)で伊東祐親軍に討たれた。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 「鎌倉殿の13人」の出演者が決定し、少しずつ発表されている。今回、取り上げる北条宗時は生年すら不明で、若くして亡くなったが、いったいどういう人物だったのか考えてみよう。

 今回、宗時を演じるのは、片岡愛之助さんだ。愛之助さんは、過去にも大河ドラマに出演し、「真田丸」(2016年)で大谷吉継役を、「麒麟がくる」(2020年)では今川義元役をそれぞれ演じたベテランだ。

■生年すらわからない宗時

 宗時は、時政の子として誕生した。ただし、生まれた年は明らかになっていない。義時が長寛元年(1163)の生まれなので、それ以前なのはたしかである。

 宗時の姉・政子が源頼朝と結ばれたので、父・時政は頼朝に与した。治承4年(1180)8月、頼朝が伊豆の目代・山木兼隆を襲撃した際、宗時は時政、義時とともに出陣した。結果は頼朝の勝利。これが宗時のデビュー戦になったのである。

 しかし、その後の石橋山(神奈川県小田原市)の戦いで、頼朝は平氏方の大庭景親の軍勢に敗北。頼朝は、たちまち窮地に追い込まれた。すると、頼朝に従った土肥実平は、ともに行動することは避け、別々に逃げることが肝要であると説いたのである。

 実平の助言を受け入れ、頼朝は真鶴(神奈川県真鶴町)から船に乗って、安房国へと逃亡した。一方で、頼朝と別れた時政と義時は、いったん甲斐国へと逃れ、武田信義と合流することにした。これにより態勢を整えようとしたのである。

■宗時の無念の最期

 しかし、宗時は父・弟と行動をともにせず、伊豆国平井郷(静岡県函南町)に向かったが、ここで悲劇が待ち構えていた。早河(冷川)で敵方の伊東祐親軍に追いつかれると、小平井久重に矢で討ち取られ、落命したのである。

 こうして宗時は無念の死を遂げたが、なぜ父・弟と別行動をとったのか不明である。なお、宗時の墓は、函南駅の近くにある。

 建仁2年(1202)6月、時政は夢のお告げによって、伊豆国へと下っていった。そして、宗時のために追善供養を行った(『吾妻鏡』)。

 このように宗時は若くして亡くなったため、その生涯には不明な点が多い。しかし、きっと愛之助さんなら好演してくれるはずだ。