Yahoo!ニュース

【「麒麟がくる」コラム】第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」の蘭奢待とはいったい何か!?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
奈良市にある正倉院。多くの貴重な文物が所蔵されているが、蘭奢待もその一つである。(写真:ogurisu/イメージマート)

■興味津々の第37回「麒麟がくる」

 「麒麟がくる」第36回の終了後、予告編で第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」が流されると、ネットでは「蘭奢待ってなんだ!」と一斉にざわついた。

 いったい蘭奢待とは、どういうものなのだろうか?

■そもそも蘭奢待とは

 蘭奢待は香木のことで、奈良時代に中国から輸入されたといわれているが、実際は10世紀以降ではないかと指摘されている。

 「蘭奢待」の字画を細かく見ると、「東大寺」の3文字が含まれているので、東大寺とも称される。東大寺(奈良市)の正倉院御物として知られ、我が国に現存する最古の香材である。

 蘭奢待は伽羅という香木の一種で、精を増したり、腹痛を治したりする効果があったといわれている。鎮静、去痰にも有効だった。薬の役割も果たしていたのだ。

 蘭奢待の長さは約153cm、重さは約11.6kgもあるが、中は空洞である。ちなみに、蘭奢待と名付けたのは聖武天皇であると伝わっているが、10世紀以降に輸入されたならば、成り立たないだろう。

 蘭奢待の目録名は「黄熟香(おうじゅくこう)」で、ベトナム産の沈香である。このような魅力的な由緒を持つ蘭奢待は、ときの権力者を大いに虜にした。

■蘭奢待の切り取り

 近年行われた調査によると、蘭奢待には38ヵ所も切り取られた跡があったといわれている。伝承によると、鵺の退治で有名な源頼政が恩賞として、初めて蘭奢待を切り取って与えられたと伝わる。

 至徳2年(1385)、3代将軍・足利義満は春日大社(奈良市)を詣でたあと、正倉院に足を運び、蘭奢待の香りを楽しんだと伝わっている。ただ、切り取ったとはいえないようだ。

 正長2年(1429)、6代将軍・足利義教は正倉院へ赴き、蘭奢待を2寸(約6cm)ほど切り取ったといわれている。

 寛正6年(1465)、8代将軍・足利義政は正倉院において、蘭奢待と紅沈を切り取った。大きさは1寸(約3cm)四方で2ヵ所に及んだという。うち一つは、朝廷に献上した。

 戦国大名も蘭奢待を切り取っていた。

 天文4年(1535)、美濃の大名・土岐頼武は修理大夫に叙位任官された。さらに頼武は自らに箔を付けるため、朝廷に蘭奢待切り取りの許可を申請し、許されたのである。

 なお、織田信長も蘭奢待を切り取ったが、これは改めて取り上げることにしよう。

■珍重された蘭奢待

 ほかにも文学作品や伝承のレベルにおいては、新田義貞、豊臣秀吉、徳川家康も切り取ったといわれている。そして、蘭奢待の切り取られた一部は、徳川美術館、永青文庫、厳島神社にも所蔵されている。

 ときの権力者が蘭奢待を切り取った理由は、わからない点が多々あるが、一般的には権威付けのためといわれている。いずれにしても、蘭奢待は多くの人を魅了したようだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事