【「麒麟がくる」コラム】流浪生活を送った足利義昭!本当に義昭が頼りたかったのは誰だ!?

失意の足利義昭は、流浪の果てに越前朝倉氏を頼って一乗谷へやって来た。(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

■いよいよ足利義昭が登場

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、いよいよ足利義昭が登場。今後の動きが大いに期待される。そもそも義昭は出家しており、普通にそのままいけば、将軍になる芽はなかった。しかし、義輝が横死したことによって、室町幕府の再興を固く誓う。

 とはいえ、義昭の思うようにことは進まず、近臣に支えられながら、右往左往するのが実態だった。

■脱出した義昭

 永禄8年(1565)5月、足利義輝が三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)らに自害に追い込まれた。当時、奈良・興福寺の僧侶だった弟の義昭(覚慶)は幽閉されたが、同年7月に脱出に成功する。

 当初、義昭が身を寄せたのは、近江国甲賀郡の土豪・和田惟政(これまさ)である。和田氏はもともと六角氏に仕えていたが、惟政の父・惟助(宗立)の頃には義輝に仕官していた。

 同年11月、義昭は近江国野洲郡矢島(滋賀県守山市)に移ったが、六角氏が三好三人衆の調略によって不穏な動きを見せた。身の危険を感じた義昭は、翌永禄9年8月に矢島を発って、若狭の武田氏のもとに身を寄せたのである(『多聞院日記』)。

■頼りなかった若狭武田氏

 当時の若狭武田氏の当主は義統(よしむね)が務めていたが、国内は内乱状態が続いており、とても頼りがいがなかった。義統に見切りをつけた義昭は、越前の朝倉義景を頼るべく、永禄9年末に一乗谷(福井市)に入ったのである。以下、その間の経緯を確認しておこう。

 実は、義昭が本当に頼りにしていたのは、尾張の織田信長と越後の上杉謙信だった。2人は義輝の時代に上洛した経験があり、謁見していた。なかでも信長は、義輝が横死した永禄8年の段階で、早くも上洛の意思を示していたのである。

 義昭は将軍に就任することを表明して以降、信長や謙信の支援を得るため、頻繁に連絡を取った。特に、信長は本拠が京都から近いだけに、大いに期待したはずである。義昭の謙信に対する交渉役は大覚寺義俊(だいがくじぎしゅん。義昭の母方の叔父)が担当し、信長の交渉役は細川藤孝が務めた(藤孝の補佐役は和田惟政)。

■信長が示した上洛の意思

 永禄8年に尾張の統一を果たした信長は、同年末には藤孝を通して、義昭に上洛の意思を伝えた(「高橋義彦氏所蔵文書」)。ところが、この頃の信長は美濃の斎藤龍興との関係が悪化しており、早急な対応に迫られていた。信長が上洛するには、斎藤氏と和睦を結ぶ必要があったのだ。

 その間を取り持ったのが義昭であり、実動部隊の藤孝だった。上洛を急ぐ義昭にとって、和睦交渉の仲介を行うことは当然のことだった。

 永禄9年2月以前から、藤孝は信長と龍興の間を取り持ったと考えられ、おおむね同年4月には両者の休戦協定が成立した。義昭は協定の成立を大いに喜び、藤孝と惟政に手紙を送り、信長の上洛を心待ちにした様子がうかがえる(「和田文書」)。

 こうして、信長の上洛が具体性を帯びてきたのは、同年6月のことだった。その後、信長の上洛計画は現実的な動きを見せる。

 同年7月、義昭は直江景綱(謙信の家臣)や若狭の武田彦五郎に対し、出陣を促した(「上杉家文書」など)。信長と龍興の和睦が成ったこともあり、信長が尾張などの軍勢を率い、いよいよ上洛の動きを見せたからである。信長が義昭を推戴して上洛するのは、同年8月22日の予定だった(『多聞院日記』)。

■裏切られた義昭

 しかし、上洛を心待ちにしていた義昭の期待は、見事に裏切られた。信長は同年8月22日に上洛をすることなく、同年8月29日に美濃へ攻め込んだ。信長と龍興との和睦を取り持った義昭にとって、信長の行動は青天の霹靂(せいてんのへきれき)だった。結局、信長の上洛はご破算になり、義昭は上杉謙信を頼るべく計画を変更したといわれている。

 永禄9年9月8日、若狭を発った義昭は、越前の敦賀(福井県敦賀市)に移った。義昭が敦賀に滞在したのは、謙信の上洛を期待してのことだったという。その後、義昭は謙信に宛てて、出馬を期待する旨の御内書(ごないしょ)などを送ったが、謙信が上洛して義昭を支えることはなかった。

■結局、朝倉氏を頼った義昭

 結局、義昭は一乗谷に朝倉氏を頼ったのである。永禄8・9年には義昭を推戴して上洛するとの機運が盛り上がり、信長と謙信が応じる気配を見せたが、最終的に頓挫してしまったからだ。義昭の落胆した心情は、察するに余りある。

 先述のとおり、失意の義昭は、永禄9年末頃に一乗谷の朝倉氏の庇護を求めたが、義景が上洛に積極的だったかはよくわからない。そして、義昭が越前で邂逅したのが光秀だったといわれている。その先は、改めて別の機会に紹介することにしよう。