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【「麒麟がくる」コラム】戦国時代も妻の存在が重要だった。謎多き明智光秀の妻の実像とは。

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀の塚。光秀の妻はどのような女性だったのだろうか?(写真:ogurisu/イメージマート)

■権力者には良き妻が欠かせなかった

 自民党総裁選がヒートアップしている。総裁選に立候補した当人はともかく、その妻たちも選挙戦で奔走しているとの報道をテレビで見た。また、「誰がファーストレディになるのか!?」など、早くもこうした話題も過熱気味である。戦国時代においても、実は妻の存在が重要だった。もちろん、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀の場合も同じである。

 しかし、光秀の妻に関する一次史料は乏しく、神秘のベールに包まれている。光秀の妻は、どういう女性だったのだろうか?

■謎多き光秀の妻

 光秀の妻に関する一次史料は乏しいので、以下、二次史料などの逸話を交えつつ解説しよう。

 光秀の妻とは、どのような女性だったのだろうか。光秀の妻は煕子という。生年は不詳である。ただし、父の名前については、妻木範煕(『綿考輯録』など)、妻木広忠(『妻木系図』)という二説がある。妻木氏は、土岐郡妻木城(岐阜県土岐市)を本拠とする武将である。妻木広忠は織田信長の配下となっていたが、のちに光秀の与力として行動をともにした。妻が美濃国の出身ということは、光秀の出自ともかかわりがあるのかもしれない。

■光秀の妻のさまざまな逸話

 光秀と煕子が婚約したのは、天文14年(1545)のことと伝わる。二人の結婚に際しては、有名な逸話が残っている。

 婚約後、煕子は不運なことに、疱瘡(天然痘)という病に罹った。病は完治したものの、瘢痕(あばた)が美しかった顔に残ってしまった。父は光秀との縁談を破談にしたくなかったので、瓜二つに似た煕子の妹・芳子を身代わりにして、この危機を乗り切ろうとしたのである。しかし、光秀は女性が煕子でなく芳子であることを見破り、瘢痕が顔に残った煕子を妻として娶ったという。

 また、光秀は主君の斎藤道三が子の義龍と戦って敗死した後、牢人生活を送らざるを得なくなった。経済状況は非常に厳しく、光秀は連歌会を催す費用すら事欠いたという。そこで、煕子は自らの黒髪を売って、連歌会を開催する費用を賄った。光秀は煕子に感謝し、生涯にわたり側室を置かなかったという。

 この2つの逸話は、光秀と煕子の夫婦愛を称えた逸話に過ぎず、史実ではない可能性が高いと指摘されている。では、煕子はいつ亡くなったのか?一説によると、天正10年(1582)6月の本能寺の変後、煕子は光秀の居城・坂本城(滋賀県大津市)の落城に運命を共にしたという(『明智軍記』)。

■光秀の妻の最期

 『明智軍記』によると、先述のとおり煕子は天正10年6月の本能寺の変後に亡くなったとされている。しかし、西教寺(滋賀県大津市)の過去帳には、没年について異説が記載されている。

 西教寺(滋賀県大津市)の過去帳に触れる前に、光秀の妻が病に罹っていたとの記録を取り上げておこう。それは、天正4年10月に光秀の妻が病に罹り、光秀は病気の平癒を吉田兼見に依頼したという記録である。兼見はお祓いとお守りをもって光秀の妻を見舞い、光秀の室は同月24日には快方に向かった。喜んだ光秀は、兼見に折紙と銀子一枚を贈ったという(以上、『兼見卿記』)。この後、光秀の妻は史料上にあらわれず、そのまま健康を保ちえたのか不明であり、いずれにしても『兼見卿記』に関連する記事はない。

 このように光秀の室の病は回復に向かったようだが、同年11月7日に亡くなったと伝わっているのだ(『西教寺塔頭実成坊過去帳』)。法名は福月真祐大姉。墓は、明智氏、妻木氏の菩提寺である西教寺(滋賀県大津市)にある。ただし、この光秀の室という女性が煕子と同一人物であるかは、確定し難いところがある。側室の可能性もある。

■課題多き光秀の妻の生涯

 つまり、『明智軍記』などにあらわれる煕子は、『兼見卿記』や『西教寺塔頭実成坊過去帳』と同一人であるか否かは今後の課題であり、光秀が側室を置いた可能性も否定できない。なお、大河ドラマ「麒麟がくる」で煕子役を演じるのは木村文乃さん。ファンなので頑張ってほしい!

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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