イラク戦争開戦から16年 ある負傷民兵が抱える「戦後」の想い

戦闘で脊髄を損傷したマハディさんと息子たち(2018年4月筆者撮影 バグダッド)

 イラク戦争開戦から、3月20日で16年を迎えた。2014年以降、過激派組織「イスラム国(IS)」との激しい戦闘が各地で続いたが、その代償を負わされる人々に「戦後」は訪れたのだろうか。

 2015年9月、過激派組織「イスラム国(IS)」との戦闘でイラク軍を支援するイスラム教シーア派民兵部隊に参加したマハディ・ハラフさん(41歳)は、イラク北部タルアファルの農村地帯を18台の軍用車列で移動していた。約70人の部隊の中で、彼は1台の小型トラックの荷台に3人で乗っていた。午後12時ごろ、路上に仕掛けられた爆弾が爆発、トラックは跳ね上がり横転した。その直後にはISと見られる武装組織からの襲撃で、部隊は多数の銃弾を浴びた。彼はその瞬間までは覚えているが、次に意識が戻った時は、病院のベッドの上だった。彼に銃弾は当たらなかったが、全身を強く打って脊髄を損傷。それから3年半、彼は自宅の部屋の片隅のベッドの上で、一日のほとんどの時間を過ごしている。

マハディさんの背中にある脊髄損傷の手術跡(2018年4月筆者撮影)
マハディさんの背中にある脊髄損傷の手術跡(2018年4月筆者撮影)

 昨年2018年4月、イラクの首都バグダッド市内にある、シーア派の貧困層が多数住むサドルシティ地区近くのマハディさん自宅を訪ねた。ベッドの上で横たわる彼の背中には、長さ30センチの手術の傷跡が残る。彼の下半身は、思うように動かないままだ。

 彼の甥アリ君(12歳)や息子のモハンマド君(10歳)が身の回りの世話をする。歩くことはできないにもかかわらず、時おり彼の両足の筋肉が小刻みにけいれんして震え出す。私が話を聞いている時、ちょうどその症状が起きて、息子たちが彼の両足を押さえた。彼は何も言わずに、懸命に震えと痛みをじっと堪えていた。

(2018年4月筆者撮影)
(2018年4月筆者撮影)

貧しい人たちが次々と戦闘現場に

 1977年、同地区の貧しい一家に生まれたマハディさんは、すでに10歳のころから、車の工場や建設現場で働き続けた。両親と4人兄弟4人姉妹の家族だった。サダム・フセイン政権時代は徴兵中に3度脱走して、合計6年間も兵役に就いた。2003年のイラク戦争以降は、1日2万ディナール(約1800円)の日雇い労働や野菜を売る仕事などを転々とした。06年に結婚、息子と娘(11歳)がいる。

 ISとの戦闘が激しくなった14年から、シーア派民兵組織「ハシド・シャービ」に参加した。「シーア派の宗教令が当時出されて、臨時増派部隊の民兵に参加しました。1カ月の給料は50万ディナール(=約4万5000円)という高額でした」と彼は言う。「妻も子供たちも、民兵に入ろうとする私を止めました。しかし、安定した収入を得るためには、当時は民兵に参加するしか、仕方が無かったのです」

 民兵組織に入ると、周りは同じシーア派の貧しい20代から30代の若者たちばかりだった。中には16歳の少年もいたという。ISとの戦闘現場に行くと、民兵部隊は最前線に立たされた。イラク軍の正規部隊は、いつも自分たちの後ろにいたという。米軍はヘリコプターで空から“応援”したが、実際には彼らの誤射に巻き込まれて死傷した民兵やイラク軍兵士も多いという。同時期に民兵に入った彼の友人たちは10人以上が死亡した。

 病院を退院した後、本来支払われるはずの恩給は、その後何も無いという。民兵組織の本部からもらったのは、40万ディナール(=約3万6000円)の「見舞金」と、いま使っている車いすだけだ。2週間に一度、病院でリハビリを受けるために外出する。それ以外は、ほとんど外出しない。「外の道は凸凹で車いすではほとんど移動できない。タクシーに乗るとお金もかかる。どこかへ移動するにも、一人では動けない。家でじっとしているしかないのです」。負傷後に自宅も車も売って、いまは親族の世話に頼るしかない生活だ。

マハディさんの自宅周辺は、16年前のイラク戦争開戦当時とほとんど様子が変わらない(同)
マハディさんの自宅周辺は、16年前のイラク戦争開戦当時とほとんど様子が変わらない(同)

バグダッドの街並みを見て想うこと

 病院に向かうタクシーの窓からは、バグダッド市内中心部の風景の変わりようが見える。「襲撃や戦闘で亡くなった兵士や治安部隊の若者たちの遺影が増えた。街を覆っていた高いコンクリートブロックの数は減った。大型ショッピングモールが次々と建設された…」

 息子が押す車いすに乗って、そうしたショッピングモールでの買い物にいつか行ってみたいと彼はいう。私は、「先日行きました。華やかなお店が並んで、楽しそうな家族連れで賑わっています」と彼に話した。すると、彼は「そうですか……」と答えた後、「もし私が息子と行ったら、その光景を見ると恐らく途中で悲しくなるでしょうね」と声を落とした。「静かな公園で息子たちと一緒に居る方が、心が休まるかもしれない。足が動いたら、子供たちと一緒に遊びたいですが…」。

 彼は、自分が民兵組織に入ったことは間違った選択だったのかと振り返っては、打ち消す毎日だという。「それは神の教えだった。これが人生なんだ」と言い聞かせる。「ISには戦闘では勝ったのかもしれない。だが、ISの思想を倒したわけではない。また同じような思想がイラク社会に生まれてくるかもしれない」。

バグダッドの街には、戦闘や襲撃で亡くなったイラク警察や治安部隊の遺影が多数掲げられている(同)
バグダッドの街には、戦闘や襲撃で亡くなったイラク警察や治安部隊の遺影が多数掲げられている(同)
バグダッド市内では、2013年以降ショッピングモールの建設ラッシュが続く(同)
バグダッド市内では、2013年以降ショッピングモールの建設ラッシュが続く(同)

取り残される戦争負傷者

 しかし、彼の自宅を訪ねた帰り、案内してくれた彼の叔父アフマド・ハッサンはこう話した。「人前ではマハディは冷静に話しているが、普段は『何のために俺は戦ったんだ』『政治家や金持ちが戦場に行け』と、一人で嘆いては怒ってばかりだ。彼はその悔しさを外に見せないだけなんです。イラク政府や宗教指導者は、兵士や民兵を集めて戦闘に駆り出すが、終わった後は彼らの姿を見ようとしない」と怒りを込める。マハディさんは2018年12月、背中の痛みを訴えて、再び入院生活を送った。

 3年に渡るISとの戦闘で、彼のような民兵だけでもおよそ8千人が死亡、2万6千人が負傷したとされる。2018年12月10日、IS掃討から1年を祝う式典がバグダッドで大々的に開催された。同年5月の総選挙後に就任したばかりの新首相は、「この勝利は、イラクの人々に尊厳と希望をもたらすだろう」と演説で述べた。

 マハディさんはその式典の様子を、どんな思いで見つめただろうか。(文中の年齢は2018年取材当時)

(2018年4月筆者撮影)
(2018年4月筆者撮影)