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【里親制度】「子どもと実親をできるだけ会わせたい」ある里親の思い

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
石川県小松市に住む里親の伊嶋外帰恵さん。5人の里子、夫、長男と暮らす(筆者撮影)

「家族とは?」「親子って何だろう?」―――世の中には、里親家庭や特別養子縁組など血縁によらない家族もある。あるファミリーホームの日常から考えてみた。

 石川県小松市の伊嶋外帰恵さん(71)はこれまで、里親として20人以上の里子を育ててきた。6年前、空き家になった隣の家屋を買い取り、委託できる里子の数を3人から6人に増やして「ファミリーホーム」に。現在の“家族”は5人の里子と、夫、長男(実子)である。夫と長男、独立して近くに暮らす次男・三男とその妻子も育児に協力してくれる。

L字型のキッチンのテーブル。伊嶋さんは家事をしながら対面で子どもといろんな話をする
L字型のキッチンのテーブル。伊嶋さんは家事をしながら対面で子どもといろんな話をする

 

 里親になったのは40代のころだ。義母が子育てを手伝ってくれたので保育士として働いていたが、義母が体調を崩したので離職。しかし、子どもが好きだったので、小松市の児童養護施設で食事の準備を手伝うことにした。ある年の暮れ、だれも迎えに来ない女児がいた。

「三日里親」から「養育里親」へ

「どうや、おばちゃんの家に来るか?」。女児がうなずいたので自宅に連れて帰り、一緒に年末年始を過ごした。その後、家庭環境に恵まれない子どもを正月などの間だけ預かる「三日里親」に。1998年には正式に「養育里親」として石川県中央児童相談所から認定され、障害があったり虐待を受けたりした子を担当する「専門里親」の研修も受けた。

 筆者が取材を申し込むと伊嶋さんは、「泊まりがけでどうぞ」とのこと。経験の浅い里親が、研修や相談のために滞在することもあるらしい。

 訪問すると帰宅した子どもたちがキッチンに集い、夕食の準備をする伊嶋さんと話していた。小学6年女児が小学2年男児の世話を焼いている。高校3年の女の子は進路について相談している様子だ。中学3年の男の子と中学1年の女の子が仲良く談笑。伊嶋さんは隣り合う子同士の会話が弾むように話を振った。

「仲良くしたくても、できない子がいます」

 虐待を受けるなど、家庭で心の安定を得られないまま成長すると、コミュニケーションに困難を抱えることがあるという。素直に喜びや親愛の情を表現できず、怒りや悲しみを押し殺してしまうことも。伊嶋さんは感情表現が苦手な子を責めず、急かさず、さばさばとした態度で接する。

 孫世代の子どもとの生活は、慌ただしい。しかし、生きがいでもある。71歳になり、「今いるなかで一番下の子が成長したら、里親は卒業」と考えている。

暗いうちに起きてコーヒーを飲み、ひと息ついてから弁当を作り始めた。伊嶋さんの慌ただしい1日が始まる
暗いうちに起きてコーヒーを飲み、ひと息ついてから弁当を作り始めた。伊嶋さんの慌ただしい1日が始まる

子どもにとって生みの親は“大切な存在”

 筆者が宿泊した翌日、1人の里子が生みの親との面会を控えていた。伊嶋さんは帰宅時間や送り迎えなどの段取りを念入りに確認し、弁当を渡して送り出した。できる限り、親子の面会の機会を尊重するスタンスである。経験を積むにつれ、その思いは強くなったという。

「子どもにとっては、どんな親でも“大切な存在”と思っている。その気持ちを無視はできない……」

 石川県中央児童相談所長の福村一さんによると、子どもと生みの親との面会の可否は、最終的に児相が判断する。虐待や、金銭を無心するなどのトラブルが危惧されればもちろん不可。生みの親が安定した状態かを見定め、里親を通じて子どもの様子を聞く。親子双方が望み、心身が安定していて、安全が担保されているケースのみ面会は可能となる。児相で職員の立ち会いの下、会うこともある。

 ただし児相がOKを出した後でも、里親が「待った」を掛けるケースがある。子どもが急に不安がったり、学校生活で問題が生じたりしたときなどだ。伊嶋さんも急に「面会中止」を申し出たことがある。また、全国的に見ると、面会に消極的な里親は少なくない。面会の途中でトラブルが起こったり、子どもが面会後、精神面で不安定になったりすることもあるからだ。

 伊嶋さんに、これまでの生みの親との交流について聞いてみた。最初に挙げたのは、子ども・生みの親・里親の関係が良好な例である。母親は不在、父親は仕事で県外に行くことが多いため、伊嶋さんは息子と娘を受け入れた。父親は定期的に子に会いに来て、熱中しているスポーツについて熱心に聞くなど、良好な関係を築いている。伊嶋さんは「親が前向きだと子どもは安心して里親との生活に馴染んでいく」と話す。

 一方で、子どもをかわいがってはいるものの、離婚・再婚を繰り返す生みの親に対し、腹立たしさを感じたケースもある。「自宅へ引き取る」と言っておきながら、約束を反故にしたので、「いい加減な態度を取らないでほしい」と諫めた。

「その子は『自分は親にとって不要な存在』と思い込み、自己肯定感が低くなってしまった。その後も親子ともども会いたいと言うので会わせたけど、面会後は慎重に見守る必要がありました」

ファミリーホームを運営する伊嶋さん宅の玄関。5人の子どもの靴が並んでいる。愛猫も子どもと仲良しだ
ファミリーホームを運営する伊嶋さん宅の玄関。5人の子どもの靴が並んでいる。愛猫も子どもと仲良しだ

生みの親の希望を尊重する

 生みの親は子どもを委託するにあたり、「子育てができない自分は親失格」と自己嫌悪に陥ったり、「子を奪われた」と里親や児相を敵対視したりすることがある。伊嶋さんはなるべくそうならないため、傾聴によって自尊心を取り戻せるよう支援する。生みの親と話す時間を積極的に持つようにしている。

「委託にあたり、生みの親に『(子どもを)どう育ててほしい?』と聞きます。親の希望を尊重した上で子どもに接したいから。また『あなたはどうだったの?』と尋ねると、幼少期に虐待やネグレクト(育児放棄)を受けた経験を明かすこともありました。『つらい思いを誰かに聞いてほしかったんだな』って思います」

 生みの親は、自身の親から子育てへの支援が得られていないケースがほとんどだ。親の居場所が分からなかったり、関係が破綻していたり。伊嶋さんは、親代わりになって仕事や人間関係などの悩みにまで耳を傾ける。

 里子だけでなく、生みの親も気にかける伊嶋さんに、福村さんは「頭が下がります」と言う。

やっと理解してくれる人に会えた

 伊嶋さんから「生みの親の話こそ聞いてやって」と言われ、成人した子どもの母親に会うため、大阪へ向かった。

 40代半ばのシングルマザーAさんは現在、大阪市中心部の飲食店で店長を務めている。人気店らしく、ランチタイムを過ぎても店の外にまで長い列ができていた。手際よく注文を聞き、スタッフへ次々と指示。「仕事ができる女性」という印象を受けた。

 Aさんは関西の出身で、18歳のときに結婚して石川県へ来た。20歳で長男、22歳で次男を出産後、離婚。だから「私が、子どもを養わなくては」と強く思ったという。必死に働いて、事業を軌道に乗せたが、子どもの運動会や入学式に行けず、負い目を感じていた。なかなか言うことを聞かない長男に対し、怒りを抑えられない。悪いと分かっていても手を上げた。

「こんなに厳しい母親では、子どもがかわいそう」。Aさんは自ら地元の児童相談所に支援を求めた。長男は児童養護施設でしばらく過ごし、小学6年から伊嶋家へ委託された。

 Aさんは委託後も長男と定期的に会っていたが、関係修復には時間がかかった。次男とは一緒に暮らしていたので、面会を終えて長男だけを伊嶋家に置いて立ち去ろうとすると、「何で俺だけ家に戻れないんだよ」と怒りをぶつけられた。Aさんは申し訳ない気持ちになったが、「一緒に暮らせば、また手を上げる」と思った。「私ができない分、とにかく長男を甘えさせてやってください。お願いします」と伊嶋さんに頭を下げた。

「里親制度をもっと多くの人に理解してほしい」と語る伊嶋さん。取材を受けるのは制度の普及を願うからだという
「里親制度をもっと多くの人に理解してほしい」と語る伊嶋さん。取材を受けるのは制度の普及を願うからだという

Aさんと伊嶋さんが子育ての悩みを共有

 Aさんはずっと、子育てがうまくいかない悔しさを抱えていた。一方、ベテラン里親の伊嶋さんでもAさんの長男の言動に手を焼くことがあり、「あなたの気持ち、よく分かるわ」と苦しい胸の内を漏らしたこともある。“2人の母”が子育ての悩みを共有できたころ、長男の荒々しい態度は改まっていった。Aさんは振り返る。

「私は父を早くに亡くし、母は片付けができない人だった。だから早く結婚して実家を出ました。伊嶋さんは母のような存在。『私を理解してくれる人にやっと会えた』と思いました」

 委託が終了するころ、Aさんと成人した長男は適度な距離を保って交流できるようになった。「今じゃ、息子と“親子飲み”するのよ」とAさん。長男は石川県内で就職したので、伊嶋家へよく“里帰り”もする。

 伊嶋さんは言う。「うまくいかない親子関係も、間に第三者が入れば変わるものです。彼(Aさんの長男)は正月、ごちそうを作りに来てくれるんです。夫が倒れたときに病院へ運んでくれたのも彼でした。ところで、あの子(Aさん)は元気にしてた? いつも気にしてるんよ」。子ども・生みの親・里親、三者のつながりは続いている。

 福村さんは伊嶋さんの子育てについてこう話す。

「生みの親と子どもの距離感はさまざまで、簡単には交流できないケースもある。どの親子も関係が再構築できるとは限りません。そんななか、伊嶋さんは“生みの親に代わって”という姿勢を忘れないで、子どもが抱える課題を解決しようとする。生みの親の話を聞き、少しずつ子育てへの協力を促しながら親子の関係を修復しようとしています。長年の経験があるからこそ、できることです」

2018年11月に金沢市で開催された全国里親大会では、これまでの功績により会長表彰を受けた。夫の博さんと
2018年11月に金沢市で開催された全国里親大会では、これまでの功績により会長表彰を受けた。夫の博さんと

養親と子ども、生みの親が交流

 里親制度は、さまざまな事情で家族と暮らせない子どもを家庭に迎え、養育する。一方、特別養子縁組は、生みの親が育てられない原則6歳未満の子どもと、子どもを育てたいという養親が縁組し、戸籍上の親子になる制度だ。子どもが1歳未満で引き取られるケースもあるため、生みの親との再会・交流を望まない養親も多いが、「生みの親との交流」を勧めているところもある。

※参考

「養子縁組と里親制度の違い」とは?

https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/happy_yurikago/infographics

 特別養子縁組をあっせんする民間団体・NPO法人「Babyぽけっと」(茨城県土浦市)は毎年、養親と子ども、生みの親が交流する懇親会を開いている。「早い段階から生みの親と子ども・養親がオープンな場で会う」という機会を設けているのは珍しい。代表の岡田卓子さんは、再会・交流の狙いをこう話す。

「子どもの出自や養子となった経緯はそれぞれ。最初から100%真実を明かせない場合もあるでしょう。でも、子どもが『ボクはママのお腹から生まれたの?』などと聞いたとき、『うん』と言ってしまうと、嘘をついたまま子育てをすることになる。それは、しんどいです。私も養親だから分かります。そこで早い時期から生みの親の存在を明かし、段階を踏んで話し合うようにしてほしいと思っています」

2018年6月に茨城県土浦市内で開かれたNPO法人「Babyぽけっと」の懇親会。参加者全員で記念撮影するのが恒例となっている
2018年6月に茨城県土浦市内で開かれたNPO法人「Babyぽけっと」の懇親会。参加者全員で記念撮影するのが恒例となっている

 Babyぽけっとでは、養親が撮影した子どもの写真を預かり、「成長の記録」としてアルバムを作って生みの親へ郵送するなど、親子のつながりを尊重している。生みの親から希望があれば養親に打診し、子どもが「会いたい」と言えば、交流の機会をセッティングする。

 ただし、生みの親と養親には必ず「最初に会うときは原則、うちの団体を通してください」と伝える。なぜなら、勝手に養親の家を訪ねてしまうほど、子どもに執着する生みの親もいるからだ。

 岡田さんによると、生みの親の再会に対する思いはさまざまで、心境の変化もある。悔やむ気持ちを抱えながら3年以上子ども・養親と交流し、「アルバムの送付を今までありがとうございました。もう十分です。気持ちの整理がつきました。今度、結婚します。初産の子を養子に出したことも婚約者は理解してくれました」と連絡が来たことがあった。

 岡田さんは「希望する三者が早々に対面し、緩やかにつながっておいて、何かあれば直接話し合える関係が望ましい」と考えている。

「あなたには、お母さんが2人いるのよ」

 実際、子どもが生みの親と対面したとき、養親の心境はどうなのか? 40代の養母Bさんは、6歳の長男、11歳の長女とも特別養子縁組で迎えている。一家は2018年6月に開かれた懇親会で、長男の生みの母であるCさんと同じテーブルを囲んで食事した。Bさんは遠慮がちなCさんを促して子どもとツーショットの写真を撮るなど、交流をサポートした。Bさんは、里親制度や養子縁組が一般的なオーストラリアに住んだ経験が長く、「養子である事実を、子にも周囲にも隠す必要はない」という考えである。

「子どもには早くから『あなたにはお母さんが2人いるのよ』って話してきました。私たち夫婦を親にしてくれたのは、生みの親がいたから。感謝しています。私がこの子らをかわいそうだと思っていたら、娘・息子は周囲から『かわいそう』と思われてしまう。だからたくましい子になるよう育てています」

家族単位での写真を撮る前に化粧をしてもらう生みの親。メイクと撮影を担当したのは首都圏の児童養護施設の子どもたちの七五三や成人式を祝う活動をするボランティア団体「イチゴイニシアチブ」である。「Babyぽけっと」との出会いを契機に支援対象を生みの親・養子・養親へ拡大した
家族単位での写真を撮る前に化粧をしてもらう生みの親。メイクと撮影を担当したのは首都圏の児童養護施設の子どもたちの七五三や成人式を祝う活動をするボランティア団体「イチゴイニシアチブ」である。「Babyぽけっと」との出会いを契機に支援対象を生みの親・養子・養親へ拡大した

 生みの親との接点がない娘については「弟が生みの親と一緒にいる姿をどう思っているかは、ちょっと心配。懇親会の前に『あなたのママも幸せだといいよね』って言いました」とBさん。「子育てをするにあたって子に正直でありたい。そのとき、そのとき、誠実に対応するようにしています」と終始、朗らかに話した。

 CさんはBさんと同世代である。妊娠したものの、結婚を考えていた男性と離別せざるを得なくなった。仕事が続けられなくなり、不安な状況でBabyぽけっとに支援を求めて出産。悩んだ末に特別養子縁組を決意した。体験を語り始めると、涙声になった。

「産院で看護師さんに『どうして養子に出すの? シングルマザーは、いっぱいいるじゃない』と言われ、迷いました。でも独りで育てることはどう考えても難しく、諦めざるを得ませんでした。今は(養親に)お願いしてよかったと思います。(息子に)会える日が来るとは想像していませんでした」

 Cさんは、プロにメイクと写真撮影をしてもらい、子どもと触れ合った。その様子を見ていた岡田さんは「母親が2人とも40代で人生経験が豊富だから、お互いを理解し合えている。Cさん、ずいぶん痩せていたのが心配です。でも子どもに会いに来てくれて、笑顔になって帰っていった。自分を責めないで、前を向いて人生を歩んでいってほしい」とエールを送った。

記念写真を撮影した後で交流する生みの親と子ども
記念写真を撮影した後で交流する生みの親と子ども

生みの母親への長期的な支援を

 静岡大人文社会科学部の白井千晶教授(家族社会学)は、「子どもはもちろん、生みの親への支援も必要」と訴える。

「不安な状況で出産し、悩んだ末に子を他者に託すということは、大きな喪失体験となることも少なくありません。子どもに強い愛着を感じ、自責と罪の意識を抱いている母親も多い。立ち直っていくためには、子どもを委託した後の心のケアだけでなく、喪失体験への長期的な支援が必要です」

 離職した後に出産した場合は、再就職のあっせんや住居探しなど、生活の基盤を築くためのサポートが求められる。白井教授はこう続けた。

「例えば、米国では支援組織や当事者同士のネットワークがしっかりしています。また養子縁組を専門的にケアするカウンセラーもいます。しかし日本では児相や養子縁組団体がその役割を担うよう法律に定められていますが、十分な体制は整っておらず、細かなケアをできるまでには至っていないのです」

 また、時間の経過とともに子どもが出自について悩んだり、養親が育児で課題を抱えたりすることもあるかもしれない。生みの親・子ども・養親へ三者三様の支援は必要である。今は、養子縁組を担う機関・団体が課題を見いだしては「手探りで、それぞれにできる限りのことをやっている」というのが実状だろう。

さまざまな家族・親子のかたち

 48歳の筆者は、生みの母が生後間もなく病死し、養子縁組家庭に育った。生い立ちに関する詳しい事情を知ったのは20歳のとき。後になって分かったのだが、実父は養親と毎年、年賀状をやりとりしており、進学などの節目には祝いを贈ってくれていた。実父との再会は30代半ばだ。会えたのは養父母の理解や、実父の家族と実母の姉らの支援があったからだった。

 実父との何度かの対面の後、出生直後の事情を尋ねると「(養子縁組に託したことは)仕方なかったんだよ」と詫びてきた。こちらとしては責める気など毛頭なく、「ずいぶん長い間、苦しんできたのだな」と思い、気の毒になった。

 当事者として、里親制度や特別養子縁組は「困難を抱えた親子が“共倒れ”にならないために別れる仕組み」だと理解している。別々の家庭で人生を歩んでいても、お互いが望むなら再会・交流は可能ではないだろうか。そして、双方の家族を交えて「新たな関係性」を育むこともできる。さまざまな家族・親子のかたちがあっていいと思う。

※写真/筆者撮影

※里親制度については、こんな記事も書いています。

工芸作家で「12人の里親」富山在住・石原さん 娘らに囲まれる「母の日」

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20180512-00085111/

※参考文献

・日本ファミリーホーム協議会ホームページ

https://www.japan-familyhome.org/

・一般社団法人全国養子縁組団体協議会ホームページ

http://www.adoption.or.jp/index.html

・中京テレビのドキュメンタリー「マザーズ」及び中京テレビとYahooニュースの連載企画「マザーズ」

【マザーズ】“特別養子縁組”という選択 「中絶はできない」悩んだ末の選択

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181009-00010006-sp_ctv-soci

【マザーズ】“特別養子縁組”という選択 予期しない妊娠に直面した14歳の少女

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181010-00010005-sp_ctv-soci

・「妊娠葛藤・子の養育困難にある女性の 養子に出す意思決定プロセスと公的福祉 特別養子縁組で子を託す女性の語りから」(白井千晶著)『和光大学現代人間学部紀要 第7号』(2014年3月)

http://id.nii.ac.jp/1073/00003707/

・「若年女性の危機的妊娠の相談・支援の現状について――日本、アメリカ、韓国調査から」(白井千晶著)『2017人文論集(1)日本海外の妊産婦支援』(2017年7月)

http://doi.org/10.14945/00010415

・「日本における妊娠葛藤・養育困難相談および養子縁組支援の現状と制度設計に関する研究」(白井千晶著)『第46回(2015年度)三菱財団社会福祉事業・研究助成/報告書』(2017年3月)

http://hdl.handle.net/10297/10013

・『フォスター――里親家庭・養子縁組家庭・ファミリーホームと社会的養育』(白井千晶著、江連麻紀写真、生活書院)

・『里親であることの葛藤と対処―家族的文脈と副詞的文脈の交錯』(安藤藍著、ミネルヴァ書房)

・『里親と子ども』vol.9.2014年10月(明石書店)

・『新しい家族――養子と里親制度の研究』57号2014年10月、59号2016年10月(養子と里親を考える会編)

・『産まなくても、育てられます/不妊治療を超えて、特別養子縁組へ』(後藤絵里著、講談社)

・『小さないのち』(朝日新聞取材班、朝日新聞出版)

【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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