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北斎が描いた「お化け」は本当に怖い! でも漫画チックで面白い

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
葛飾北斎の「百物語/こはだ小平二」。暗闇から現れた骸骨が情事の寝床を襲う

 葛飾北斎といえば、広く知られているのは木版画「冨嶽三十六景」である。天才浮世絵師の名声を不動のものにし、海外での評価も高い。構図の面白さや、「ベロ藍(プルシアンブルー)」といわれる青色の濃淡、波の動きの描写、人物表現の面白さは、見ていて飽きない。

 多彩な作品を残した北斎の、いろいろな絵を見てみたい。「世界が絶賛した浮世絵師/北斎展 〜師とその弟子たち〜」を開催中の石川県七尾美術館に、同美術館次長・学芸員の北原洋子さん(55)を訪ねた。

「夏ならではの、北斎の楽しみ方」とは?

 北原さんによると「夏ならではの、北斎の楽しみ方」もあるという。幽霊を描いた「百物語」という作品群がオススメとのこと。タイトルから分かるように「百」を目指して始まったが、5作しか見つかっていない。「これには面白い理由が伝わっています」と話す。

「百物語」の「こはだ小平二」(中判・錦絵)は、恨みがましい表情の骸骨が描かれている。旅役者・こはだ小平二は妻の不倫相手に殺され、寝所へ復讐に来たのだ。その頭蓋骨には肉片や頭髪が絡みついて、血走る目や、今にも動きそうな真っ白な歯が、より不気味だ。北原さんは、創作のこだわりについて、こう話す。

「百物語/こはだ小平二」(中判・錦絵)朽ちていく肉体を生々しく描いている
「百物語/こはだ小平二」(中判・錦絵)朽ちていく肉体を生々しく描いている

「北斎は解剖学の知識もあった。だから頭蓋骨には縫合線を描くなど、リアリティーたっぷり。肉体が朽ちていくさまは説得力があります。目は悲しみをたたえているようにも見えます。体全体を描かず、女性の着物の陰からひょいっと、顔だけをのぞかせている構図が、また恐怖心をあおるでしょう」

生首の切り口は、かなりグロテスク

「小さいお子さんは、泣いちゃうかも」と少し心配するのは「笑ひはんにゃ」(中判・錦絵)。子どもの生首を手づかみし、食べている鬼女は、人間の子どもをさらっては食べる鬼子母神の姿と重なる。鬼子母神は後に改心して善神になりましたが、この作品は口の周りの血糊がリアル。生首の切り口は、かなりグロテスクだ。

「百物語/笑ひはんにゃ」(中判・錦絵)表情はユーモラスだが、鬼女の行為は残酷極まりない
「百物語/笑ひはんにゃ」(中判・錦絵)表情はユーモラスだが、鬼女の行為は残酷極まりない

「でも、構図が面白いですね。昭和40年代から50年代にかけて人気を集めた怪奇漫画にもつながっていくような感じがします。私は世代的に、楳図かずおさんの恐怖漫画を思い出しました」

 どの作品も、怖さの中にどこかコミカルな雰囲気や可笑しさが漂う。「さらやしき」(中判・錦絵)の題材は、歌舞伎や落語で知られた「番町皿屋敷」。大名の腰元・お菊は、家宝の皿を割ったために手討ちにされ、古井戸に投げ込まれる。実は、濡れ衣。怨念を抱いたお菊の霊が古井戸から出てきて、夜な夜な皿を1枚、2枚……と数えるという話である。井戸から伸びる「ろくろ首」のような首は、よく見ると皿が連なってできていて、北原さんはこの表現を「本当に独創的」と絶賛する。

「百物語/さらやしき」(中判・錦絵)お菊は無実の罪で手討ちにされたヒロイン。しかし、この絵はおかしみがある
「百物語/さらやしき」(中判・錦絵)お菊は無実の罪で手討ちにされたヒロイン。しかし、この絵はおかしみがある

「暗闇に吐かれた息も人魂(ひとだま)のようで、独特の恐怖感をあおる一方、古井戸や植物のグラデーションは美しく、恐怖と美、抽象と写実、あの世と現実といった対比が非常に面白いです」

『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる妖怪のよう

 次の「お岩さん」(中判・錦絵)は、かの有名な「東海道四谷怪談」のお岩さん。夫・伊右衛門に惨殺されたため、幽霊となって復讐を果たすという怪談の定番である。舞台・映画では、美しい顔の半分が毒によって変化する怖さを見所とするが、北斎の絵はキャラクターっぽい「提灯お化け」。まるで漫画『ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)に出てくる妖怪のようである。

「百物語/お岩さん」(中判・錦絵)「東海道四谷怪談」のお岩さんがモチーフ。キャラクターになっている
「百物語/お岩さん」(中判・錦絵)「東海道四谷怪談」のお岩さんがモチーフ。キャラクターになっている

 5作目の「志うねん」(中判・錦絵)は、「執念」のこと。位牌や骨壺にまつわりつく蛇。死んでもなお、恨みや今世への未練を持ち続ける執念を、蛇という形で表現している。一方、よく見ると、梵字が人の横顔のようで、遊び心もある。

「『百物語』を描いたのは北斎が70代前半のころです。『冨嶽三十六景』などは人気が高く、多くの人が飾って大切にしたのでしょうけれど、当時『百物語』は怖すぎて売れず、5作で打ち切られたというのもうなずける。でも青系や赤系の色が効いていて、表現力も豊か。大胆な構図も富士山を描いた迫力に負けてはいない。円熟期の秀作です」

 このほかにも「怖い絵」はある。曲亭馬琴の『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』で挿絵として描いた「三国妖狐伝/唐土紂王館(もろこしちゅうおうやかた)の段」(大判、錦絵、二枚続)。9の尾がある狐やギロチンにかけられている人などが描かれている。

馬琴の『椿説弓張月』で挿絵として描いた「三国妖狐伝/唐土紂王館の段」(大判、錦絵、二枚続)
馬琴の『椿説弓張月』で挿絵として描いた「三国妖狐伝/唐土紂王館の段」(大判、錦絵、二枚続)

 北斎の弟子も怖い絵を描いている。葛飾北爲作「摂州大物浦(せっしゅうだいもつうら)平家怨霊顕の図」(大判三枚続、錦絵)は、怨霊というテーマで迫力がある。そして、波の描写にも目が奪われた。師・北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を思わせる波のうねりである。

「摂州大物浦平家怨霊顕の図」(大判三枚続、錦絵)は波の描写が北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と似ている
「摂州大物浦平家怨霊顕の図」(大判三枚続、錦絵)は波の描写が北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と似ている

 ほかにも、妖怪絵を得意とした高井鴻山(たかいこうざん)という弟子がいた。鴻山の「もののけ」(肉筆、紙本、軸装)には、『ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)のお父さん「目玉おやじ」とそっくりな妖怪の描写があって面白い。

北斎の弟子・高井鴻山による「もののけ」(肉筆、紙本、軸装)
北斎の弟子・高井鴻山による「もののけ」(肉筆、紙本、軸装)

怖いものと向き合う心のありようが伝わる

 奇抜な絵に目を奪われるが、写実的な肉筆画もある。「三竦(さんすくみ)の図」(肉筆、絹本着色、額装)。ヘビ、カエル、ナメクジら、それぞれ恐れる弱者と強者が、にらみ合っている。ヘビの金色の目が妖しく光り、カエルの背の模様は、筋肉のこわばりのようにも見える。そして不気味なナメクジ……。緊迫感が漂う。「怖い絵」というより、描いているのは恐怖心そのものだ。怖いものと向き合う、冷え冷えとした心のありようが伝わってくる。狩野派や琳派など、日本画の古様も学習した北斎の表現力も堪能できる作品だ。

「三竦(すく)みの図」(肉筆、絹本着色、額装)。カエルはヘビ、ヘビはナメクジ、ナメクジはカエルが天敵である
「三竦(すく)みの図」(肉筆、絹本着色、額装)。カエルはヘビ、ヘビはナメクジ、ナメクジはカエルが天敵である

 聞いてみると、北原さんの専門は長谷川等伯とのこと。桃山時代に能登から京都に出て、狩野永徳率いる狩野派と対抗し、豊臣秀吉、千利休らに重用されるまでになった画家である。等伯と北斎、活躍した時代や、作風、技法、作品を支持した階級層などは異なるが、共通点もあるという。波乱万丈の生涯や、どんな題材にも取り組んだ探究心と、それを自分のものとして精緻にも豪放にも描き分けた技量である。

「北斎はこだわりがなく、新しいものを見つけると何でも試みてみた。名前と住まいも何度も変えました。そんな北斎らしく、作風は本当に幅広く、残された作品は多彩です」

 北斎の描いた幽霊は、本当に怖い。でも、どこかユーモラス。「怖い絵」というカテゴリーで作品を見ても、その内容はそれぞれ魅力的である。

※写真/石川県七尾美術館提供

※「世界が絶賛した浮世絵師/北斎展 〜師とその弟子たち〜」は石川県七尾美術館で開催中。

http://nanao-art-museum.jp/?p=5694

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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