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あらためて考えたい第100回天皇杯の意義【決勝】川崎フロンターレ vs ガンバ大阪

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
新国立競技場には第100回大会を記念して、歴代優勝チームの写真が展示されていた。

■第100回大会の優勝は川崎フロンターレ

 2021年元日、天皇杯JFA第100回全日本サッカー選手権大会(以下、天皇杯)の決勝が東京・新国立競技場で開催された。14時40分キックオフの晴れの舞台に降り立ったのは、川崎フロンターレとガンバ大阪。今季のJ1リーグの1位と2位の顔合わせである。リーグ戦では、アウェー(1−0)ホーム(5−0)共に川崎が勝利。しかも後者は首位対決でありながら、首位を独走する川崎が追いすがるG大阪に力の差を見せつけ、4試合を残してのスピード優勝を決めている。

 こうしたリーグ戦の文脈に沿うならば、この決勝について多くのメディアが「G大阪のリベンジか、それとも川崎の返り討ちか」と煽るのも致し方ないところ。加えて言えば、この試合は18シーズンにわたって川崎でプレーしてきたバンディエラ、中村憲剛の現役ラストゲームになると目されていた。3回のリーグ制覇を果たした川崎だが、天皇杯優勝と複数タイトルはいずれも未経験。その歴史的瞬間に、憲剛の引退が重なる。これまた話題性は十分であった。

 試合については、多くの方がご覧になっただろうから、簡潔に述べる。多くの時間帯で、川崎が攻め続けてG大阪が耐え忍ぶ展開が続いたものの、なかなかゴールが生まれない。川崎が均衡を破ったのは55分。レアンドロ・ダミアンのスルーパスから、ダイアゴナルに走り込んだ三笘薫がドリブルで持ち込み、相手GKのポジションを瞬時に見極めてゴール左隅に巧みに流し込む。好セーブを連発していた東口順昭も、これにはなすすべがなかった。

 終盤に入ると、ようやくG大阪が猛攻を仕掛けるようになり、守勢に回った川崎は憲剛をピッチに送り出すタイミングを失ってしまう。川崎の鬼木達監督は「後半途中で憲剛を入れるという選択もあった」としながらも、「もし延長になった場合、スタジアムの雰囲気を変えられるのも、憲剛しかいなかった」と、苦しい胸の内を試合後に明かしている。天皇杯初制覇、そして宿願の複数タイトルを獲得した川崎であったが、若干のほろ苦さは否めないだろう。

アマチュアチームでは最多40回の出場を誇るHonda FC。今大会は本気で優勝を目指していた。
アマチュアチームでは最多40回の出場を誇るHonda FC。今大会は本気で優勝を目指していた。

■アマチュア主体となった大会レギュレーション

 川崎の天皇杯優勝が、結果として中村憲剛のラストゲームとならなかったのは、ある意味残念ではあった。それとは別に個人的に不満に感じたのが、伝統あるカップ戦のファイナルが、リーグ戦の文脈でばかり語られていたことである。もちろん、決勝のカードがJ1での1位・2位対決となったため、ある程度は予想できたことではある。それでも天皇杯は、やはりカップ戦の文脈で語られるべきだし、ここに至るプロセスについての言及が少なかったのも、残念に思えてならない。

 そもそも今大会は、コロナ禍の影響で開催そのものが危ぶまれていた。もしも今大会が第100回ではなく、99回や101回大会であったならば、あるいは中止という選択肢もあり得たと思う。しかし、今回はきっかり100回。しかも翌21年には、JFA(日本サッカー協会)設立100周年を迎える。天皇杯の場合、開催されなくてもカウントされるので、第100回大会の延期はあり得なかった。「100」にこだわるJFAにとり、中止という選択肢は最初からなかったものと思われる。

 今大会は当初、前回同様88チームが参加するトーナメントとして、日程が発表されていた。そしてJ1とJ2に所属するクラブは、予選なしで2回戦から出場。J3クラブについては、そのほとんどが都府県代表として出場権を得ることが予想された。しかしコロナ禍の影響で、Jリーグが過密日程を強いられることとなったため、JFAは出場チーム数を88から50に削減することを決定。天皇杯は今大会に限って、アマチュア主体の大会に変貌することとなった。

 50チームの内訳は、47都道府県代表+アマチュアシード+J1上位2クラブ。準々決勝までをアマチュア主体、準決勝からはJ1の上位1・2位が出場する、というフォーマットが発表された。だが、J2やJ3に出場の可能性がないことには、当然ながら異論も少なくなかった。そのため、いったんは削った5回戦を復活。準々決勝から、J2とJ3の1位チームを出場させることとなり、今大会の出場チームは最終的に52チームとなった。

準々決勝に進出した福山シティFCの田口駿(左)。今大会では最多4ゴールを挙げて歴史に名を刻んだ。
準々決勝に進出した福山シティFCの田口駿(左)。今大会では最多4ゴールを挙げて歴史に名を刻んだ。

■51試合中、プロが参加したのはわずか5試合

 かくして、1回戦から5回戦まで合計46試合は、すべてアマチュア勢同士の対戦となった。51試合中、プロが参加したのは、準々決勝と準決勝、そして決勝のわずか5試合。第100回大会は、Jクラブだけではおよそ成立することはあり得なかった。しかも今大会では、選手やチーム関係者の感染や濃厚接触は一度も報告されず、中止や延期となった試合は一度としてなかった。これは今大会に出場したすべてのチーム、そして試合会場の運営に携わった都道府県協会の努力の賜物である。

 もうひとつ、今大会の特殊性に関して指摘しておきたいことがある。天皇杯に出場するアマチュアチームにとって、一番のモチベーションは何かといえば、1回戦を勝ち上がってJクラブと対戦すること。そしてできることなら、番狂わせを起こすことである。前回大会の場合、都道府県予選を勝ち抜いた37のアマチュアチーム、そしてアマチュアシードの法政大学が本大会に出場。この38チームのうち、1回戦を勝ち抜いた16チームが2回戦でJクラブと対戦し、4チームがジャイアント・キリングを起している。

 しかし今大会では、48のアマチュアチームのうち、Jクラブと対戦できたのはわずか2チーム。しかも1回戦から3回戦までは、地域ごとでの対戦が続いたため(移動距離を短くする感染予防の意味合いもあったのだろう)、当事者にとっては新鮮味のないカードが続いた。そんな中、本気で優勝を目指していたアマチュアシードのHonda FCや、広島県1部所属ながら準々決勝まで勝ち上がった福山シティFCは、今大会で「天皇杯らしさ」を体感することができた、数少ないアマチュアとなった。

 今大会で優勝した川崎フロンターレには、リスペクトを込めて拍手を贈りたいし、中村憲剛にも心から「お疲れ様でした」と申し上げたい。しかし一方で、5回戦までの46試合を成立させたアマチュアチームの貢献や、大会得点王(4点)となった田口駿(福山)の栄誉についても、もっと語られてよいのではないか。記念すべき第100回の天皇杯はJクラブのみならず、日本サッカー界に関わるさまざまな人々の努力と叡智によって、見事に完結したのだから。

<この稿、了。写真はすべて筆者撮影>

【付記】今大会の1回戦から決勝までのコラムを再編集してnoteにて発売します。詳しくは《100回目の天皇杯漫遊記》で検索を。

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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