怒りを爆発させる人々:「キレる」を防ぐ心理学(大韓航空機引き返し事件から)
■大韓航空女性副社長がナッツの配り方で乗務員に激怒! 滑走路から搭乗ゲートに機体引き返させる
怒りの原因は、ナッツの配り方です。乗務員は、マニュアルどおりと回答したのですが、マニュアルの見せ方が遅いとさらに激高したようです。
■大韓航空女性副社長が乗務員に激怒!ニュースへのオーサーコメント
Yahoo!ニュースで紹介された上記記事で、次のようなオーサーコメントを書きました。
様々な場面で怒りを爆発させる、「キレる」人たちが増えている。今回のニュースで、彼女は自分自身にも、自社にも大きなイメージダウンをもたらした。一般的に言って、また今回の場合も、彼女なりの理屈や正義感はあったのだろう。しかし、周囲が見えなくなっている「正しい人」は危ない存在だ。
正しく怒りを表現するためには、自分にいつもカメラが向けられているような感覚、周囲と自分自身を客観視できる「セルフ・モニタリング」の感覚が必要だ。
そして、普段から心身の調子を整えてストレスをためないこと、また小さな怒りの始まりを自覚し、キレてしまう前に怒りをコントロールする方法を学ぶことが、私たち現代人には必要だろう。
■「ナッツリターン」に法的問題も
前代未聞の大韓航空「ナッツ・リターン」が大論争=副社長でオーナー家の長女の指示は「越権」か、「サービス向上」か
WoW!Korea 12月8日
この記事によると、サービス向上への努力は評価されるべきとの声も韓国内にはあるということですが、激高とか、さらにキレたと表現されるような行為は、社会的に認められないでしょう。
■キレるとは
怒りは、それ自体は悪くありません。誰だって怒ることはありますし、起こることが必要なときもあります。激しく激高することもあるでしょう。しかし、キレてはいきません。
どんなに激しい怒りでも、状況から見て共感してもらえる怒りであれば、行動は止められるかもしれませんが、非難はされないでしょう。しかし、キレてしまえば、社会的評価は台無しです。
「キレる」とは、常識的にみて適切と思われる限界を超えた怒りの表現です。これでは、なかなか共感してもらえません。非難されたり、人物評価が下がったりするでしょう。
■人はなぜキレるのか
普段から小さなストレスをため続けていて、いつもイライラしていて、その結果ちょっとしたことで爆発してキレる人もいます。
自分が見つけた不誠実を黙っていられない人もいます。自分の正しさを振り回してしまい、正しいのに理解されないと感じると、キレる人もいます。今回の副社長は、このケースかもしれません。
不快な体験をすると、昔の心の傷がうずく人もいます。かつての怒りや憎しみがよみがえってきます。そこで激しくキレるわけですが、周囲の人は過去も心の中も見えませんから、突然キレて暴れているようにしか見えません。ドラマでは、こういうシーンがよくあるでしょうか。
怒りは、「意図的に不当な扱いを受けた」と感じる時に強く現れますがが、怒りやすい人は、人の行動の悪意を感じやすい面があります。また自分自身の感情や行動を、他者のせいにする傾向があります。
たとえば、家族に暴力を振るっている人が、妻が悪い、子どもが言うことを聞かないのが悪いと感じるようなものです。
またパーソナリティ障害によって、激しい怒りが抑えられない人もいます。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックや、脳の扁桃体や海馬の異常という研究もあります。
■キレないために、怒りを抑えるために
今回の大韓航空の事件は、大きな問題になってしまいました。大人でも、子どもでも、キレるようなことがあっては困ります。
怒りを他人のせいにしてしまうと、自分で自分の怒りがコントロールできません。怒りも、時には必要でも、でも大切なのは怒りと攻撃行動を制御することです。
自称「正義の味方」がトラブルを起こすのは、テロ事件でも、ネット上でも起きているかもしれません。本当に正義の味方になるためには、感情の嵐に理性が負けてはいけません。宗教問題でも、本当の一神教は、自分の言動が絶対正しいと傲慢に思ったりしないものです(一神教は危険か)。
映画「スターウォーズ」の中で、正義感の強い主人公アナキンが、怒りに我を忘れて敵を虐殺するシーンがあります。周囲から見て、「やりすぎ」「キレた」と思えるような戦い方です。こんなことが現実世界で起きれば、非難されるでしょう。映画では、主人公がダークサイド(悪の世界)に落ちていく一つのきっかけになります。
怒りが爆発しないために、普段からイライラをためないことが必要です。日常的なイライラもそうですし、心の底の問題による心のうずきも同様です。
キレる子どもたちも、心に問題を抱えています。私たちが支援してあげなくてはなりません(キレる子どもたち、増える子どもの暴力:その背景と私たちの関わり)。
力を持っている人、腕力や社会的地位や、気の強さや声の大きさを持っている人や、知識が豊富でネットに長けている人など、こういう人が、その武器を振り回すようなことをすると困ります。大きな力には大きな責任が伴うはずです。
「アンパンマン」で有名なやなせたかしさんは、正義には自己犠牲が伴うと語っています。アンパンマンは、ただかっこつけて飛んでいるわけではありません。そして、困っている人を見つけては言います。「ぼくの顔をおたべよ」。
私たちは、「セルフ・モニタリング」の練習をしましよう。大きな鏡が置かれていたり、ビデオカメラで録画しているような感覚です。以前、自動販売機の故障で、私が販売機に書かれている電話番号にかけたとき、「通話は録音されます」と聞こえてきました。録音されていると思うと、キレにくくなるでしょう。こういう感覚を身につけましょう。
「セルフ・モニタリング」は、ただ我慢したり、外見をつくろうのではありません。状況に即した最もふさわしい行動が取れるのが、セルフ・モニタリングです。自分と相手の立場、この場の状況を総合的に考えて、自分にとっても周囲にとっても最もふさわしい行動がとれれば、みんながハッピーです。
悪者を殴って倒して笑っているだけの自称正義の味方は、みんなに嫌われ恐れられ、自己破滅の道へ進みます。本当の正義の味方は、悩み苦しみながら戦うのでしょう。責められている側の気持ち、周囲の気持ちも、理解するのでしょう。