大統領就任式に登場した牧師の息子が自殺:自死遺族へのアメリカ社会の成熟した態度「泣く者と共に泣く」
■リック・ウォレン牧師
アメリカの宗教的指導者、リック・ウォレン牧師。タイム誌が選んだ「世界に影響を与えた100人」の1人。 「アメリカで最も影響力のある霊的指導者」と称される人物。著書『人生を導く5つの目的』は、アメリカで三千万部を売り上げ、その運動は世界160か国に展開されている。そして収入の9割を寄付している。
オバマ大統領の就任式で祈りを捧げたのが、彼だ。
先月、そのリック・ウォレン牧師の息子が、自殺した。27歳だった。以前からうつ病など精神疾患で苦しんでいたという。アメリカでは、大きなニュースとして報道されている。
ウォレン牧師は、亡くなった息子マシューについて、次のように語っている。
■キリスト教と自殺
キリスト教は自殺を肯定はしないだろう。聖書の中に自殺を「罪」として明確に禁止する文言はないが、十戒の「汝殺すなかれ」は自分自身をも殺すなかれとも解釈できる。命は、神からいただいたと考えれば、自分の意思だけで捨てて良いとは考えられない。
6世紀のヨーロッパでは、自殺をした者の葬儀を教会ではあげられなかった。14世紀に書かれたダンテの「神曲」では、自殺者が地獄に落ちる様子が描かれている。デュルケムの「自殺論」では、プロテスタントよりも明確に自殺を否定するカトリックの国の方が自殺が少ないと考察している。
1998年のハリウッド映画「奇蹟の輝き」(アカデミー最優秀視覚効果賞・美術賞)は、自殺して地獄に落ちた妻を夫が救い出しに行く物語である(物語の中では「彼女の地獄行きは、裁かれた結果ではない」と語られている)。
■自殺とは
「自殺」は罪だろうか。自殺は恥ずべき事だろうか。アメリカで最も有名な牧師の一人リック・ウォレン牧師は、子育ての失敗者だろうか。
だが、どんなりっぱな宗教家も、すばらしい思想家も、強い政治家も、感動を作り出すアーティストも、お笑い芸人や落語家も、それらの家族も、自殺する。自殺予防カウンセラーの子どもが自殺したこともある。最も自殺しそうにない人が、自殺をする。
自殺は神の御心に反する。自殺は止めるべき死であり、止められる死である。その通りだ。だから、自死(自殺)遺族の悲しみは、計り知れない。自死遺族は、死因も話せず、葬儀で大きな悲しみを表現することすらためらっているように見える。彼らは自分を責め、悲しみを共有すらできず、孤独だ。
最も身近で、最も慰めを必要としている自死遺族が、最も責められることも多々ある。親戚から、周囲から、責められることあある。夫や妻に自殺されたパートナーが、相手の両親に責められ、遺骨を取り上げられるケースもある。その町で暮らせなくなる人もいる。
宗教の立場から責められることも残念ながらある。宗教が自殺を勧めては困るが、それでは、どのようにすれば良いのか。
自殺は罪かもしれない。だが自殺者は、進んで死ぬわけではない。自殺は、精神的に追い詰められた末の死だ。WHOによれば、自殺者の95パーセントは何らかの心の不調を抱えている。自殺者は、命や人生を粗末にするいい加減な人ではない。周りの迷惑を考えない自己中心的な人でもない。むしろ、真剣に生き過ぎることで苦しみ、彼らの愛と思いやりの心が、誤作動を起こす。自分を責め自分が死ぬことこそが最善であると、感じてしまっている。
■最も著名な宗教家である自死遺族に対するアメリカ人達の態度
ウォレン師の周囲は、彼と共に泣いている。ウォレン師は語る。「妻と私は、みなさんの愛と祈りと心からのことばに、圧倒されています。みなさん全員が、私たちの壊れた心を包んでくれています」。
アメリカ大統領の就任式で、どの牧師が祈りを捧げるかは、アメリカ人の大きな関心事である。リベラルな民主党のオバマ大統領が、福音派で保守的な考えを持つリック・ウォレン牧師を選んだことには多くの人が驚き、賛否両論があったと言えるだろう。
宗教的、政治的に、ウォレン牧師に反対する人々はいるはずだ。この「失態」を利用しようとする人間がいても、不思議ではない。あるいは、信頼していたウォレン師に裏切られたような思いで、失望する人がたくさんいてもいかしくない。しかし、アメリカのキリスト教会も、マスメディアも、非常に成熟した態度で、この問題を受け止めているように思える。
祈りに包まれた追悼礼拝で、友人でもあるホラディ牧師は旧約聖書サムエル記上30章を通して語っている。
希望が遠くにあるとき第一に必要なことは、「泣くこと」だ。ダビデは兵士らとともに、泣く力もなくなるほどに泣いている。その後で、主によって力を得ている。次に、互いに許しあうことだ。そして、過去にとどまらず、希望を持って未来を見つめることだと。彼は、「ウォレン氏夫妻のために祈る他にも、それぞれが各自の生活の中で悪に打ち勝つ必要がある」と説いている。
■私たちは、自殺にどう対応するか
亡くなった人を強く愛するが故に、神仏を信仰するが故に、まじめに人生を生きてきたが故に、自殺を頭ごなしに否定し、自殺を考える人々と自死遺族に辛く当たる人々がいる。また、自殺を肯定できないものの、しかし死者にムチ打てず、遺族をも助けたいと、戸惑う宗教家もいる。
日本では、心中や切腹など自殺を美化する文化があり、死と直面しにくい文化もある(牧師は病床で祈りを捧げるが、僧侶はお経を上げない)。自殺対策基本法ができた今も、自殺への対応と自殺予防に戸惑いと迷いを感じる人は多い。
自殺を認めることはできないだろう。だが、「共に泣く」ことは自殺を認めることではなく、その底知れぬ辛さ悲しさに共感することである。間違いは正さねばならない。死にたいという人に、「死んではいけない」と言いたくなるのは当然だ。自殺は、とても残念な死だ。
だが、間違いを犯した人を断罪することと、泣く者と共に泣き、傷つき弱った者を包み癒すことと、どちらが真に聖書的か。どちらが人として正しい態度か。
誰かから「死にたい」と言われたときには、思いを否定せず、説教せず、ごまかしたり、逃げ出したりせず、共に泣き、話を聞いて欲しい。自死遺族に対しても、言いたいこともあるだろう。だが、一番傷ついているのは、一番身近な自死遺族だ。
あなたの隣人も、自分や家族の心の病で苦しんでいる。日本もアメリカも、毎年3万人が自殺している。癒し主なる神の、手足となって働く者は誰か。あなたの愛の心と、正義感と、命への慈しみで、人をさらに傷つけてほしくない。悲しみを共に背負いながら、共に泣きながら、そして彼らと共に生きていきたい。
(本記事は『クリスチャン新聞』5月26日号(5月20日発行)の筆者の記事「自死遺族と悲しみを共有し共に泣く教会」に加筆したものである。)
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