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『カムカムエヴリバディ』あまりに見事な「着地」と「幸福な結末」

碓井広義メディア文化評論家
川栄李奈さんが演じた、ひなた(番組サイトより)

『カムカムエヴリバディ』が、ついに幕を閉じました。

「ああ、本当に終わっちゃったんだなあ」という寂しさを抱える人は少なくないと思います。

また、その「不在」は、これからじわじわと効いてくるのかもしれません。

それくらい、今回の朝ドラには見る側を惹きつけるものがあり、特に最終週は見事でした。

最たるものが、15分間の「構成」です。

最終週では、月曜から木曜まで、AI(あい)さんが歌うオープニングの前と後で、2つの「別の時代」の物語が同時進行していったのです。

逆転したのは、金曜の最終回だけでした。

オープニング前の部分は、2022年から25年。そして、後の部分は2004年。

20年近い「時差」のある話が、何の違和感もなく共存していました。

しかも、どちらも「奇跡」と呼びたくなるような展開でした。

2004年の奇跡

2004年のほうは、これまでの流れの「最前線」であり、岡山でジャズフェスティバルが開催された、クリスマスの出来事です。

この日に起きたことは、どれも「奇跡」と呼びたくなるようなものばかりでした。

しかし最終週は、アニー・ヒラカワこと安子・ローズウッド(森山良子)と、娘のるい(深津絵里)の再会に尽きます。

ラジオの生番組に出演していたアニーが、自分の過去を問われる中で、るいに対する思いを日本語で語り始めたのです。

アニーは、やはり安子でした。

「若かった私は自分の気持ちばかりで、大切なことを見失っていました。幼い娘の胸の内を、本当はわかっていませんでした」

やがて岡山弁になっていく安子。

「るい! るい! お母さん、あれからなんべんも考えたんよ。なんでこげなことになってしもたんじゃろて。わたしゃ、ただ、るいと2人、あたりめえの暮らしがしたかっただけじゃのに」

自分には、娘の前から姿を消すことしか出来なかった。それが唯一の「詫び方」であり、「祈り方」だったのだと。

「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅう(絶句)……るい!」

ここまでの安子の言葉を聴いていた、るい。

黙ったまま、その表情だけで、驚きから母に対する揺れる思いまでを表現する、深津さんが素晴らしい。

そして、ついに立ち上がり、声をあげます。

「お母さん、お母さん、お母さん」

その一方で、ひなたの「アニー追跡劇」が続きました。関空まで行きながら会えず。落胆して岡山に戻る、ひなた。

そして、フェスティバル会場の前に立つ、アニーを発見。逃げるアニー。追う、ひなた。

アニー、いえ安子にとって思い出深い「神社」まで来て、つまずき、崩れ落ちてしまいます。

遥か昔、「稔さん!」と呼びかけた場所で、「るい!」と娘の名を呼ぶ安子。

ひなたは、足を痛めた安子を背負って会場へ。安子はついに、るいとの再会を果たします。

るいは、歌っている途中でステージを降り、ゆっくりと安子に近づき、抱きしめます。

「お母さん……」

「るい……」

「I Love You」

母と娘は互いに許し合います。

瞬間、一度は閉ざされた扉が開き、少女時代のるいに笑顔が戻ったイメージ。

安達もじりさんによる、このシーンの演出も見事でした。

無駄な動きや言葉を排し、2人の気持ちだけに寄り添うものでした。

翌年、再び来日した安子は、勇にアメリカに渡ってからの話を聞かせます。

そして、映画『サムライ・ベースボール』は、稔さんの夢の実現だと言い、その言葉を思い浮かべました。

「どこの国とも自由に行き来できる。どこの国の音楽でも自由に聴ける。自由に演奏できる。僕らの子どもには、そげな世界を生きてほしい」

安子にとって、ようやく、そんな時代が来たんですね。

2022年の奇跡

一方、2022年。なんと、ひなたは海外で活躍するキャスティング・ディレクターになっていました。祖母・安子の跡を継いだような形です。

老年になった、るいとジョーは、岡山のジャズ喫茶を受け継ぎ、経営しています。その落ち着いた姿に和みます。

そして、ひなたは、NHKの制作者から、24年度の「ラジオ英会話番組」の講師を依頼されました。

ひなたが一人で訪れたのは、懐かしい撮影所。

偶然会った、伴虚無蔵(松重豊)が声をかけました。ひなたの「迷い」を見抜いたのです。

「おひな。そなたが鍛錬し、身に付けたものは、そなたの一生の宝となる。されど、その宝は、分かち与えるほどに輝きが増すものと心得よ」

やがて、ひなたがマイクの前に座る日が来ました。

目の前にいるのは、一緒に講師を務めるウイリアム・ローレンス(城田優)です。

8日(金)の最終回。

画面では、ラジオ放送が開始された時のアナウンサーが、マイクに語り掛けています。1925年のことです。

「あー、あー、聞こえますか? JOAK、こちらは東京放送局であります」

そして、100年を経て、ひなたが講師となる英語講座のスタートです。

ウイリアムが語り始めました。

「A Long time ago, at the same time as Japanese radio broadcasting began, a baby girl was born.」(むかしむかし、日本のラヂオ放送開始と同時に誕生した女の子がおりました)

「その女の子は戦争の真っただ中に女の子を産みました」

安子と、赤ちゃんだったるいの映像。

「その女の子は、高度経済成長期の真っただ中に女の子を産みました」

走る東海道新幹線。るいと、赤ちゃんだったひなたの映像。

「これは、ある家族の100年の物語です」

2025年、そしてその先へ

2025年の春。ひなたのラジオ講座は「レッスン112」で終了しました。

撮影所を訪れたひなたは、そこで講師のウイリアムに出会います。

終わってしまったラジオ講座の話になった時、ウイリアムが言いました。

「あなたの作成したテキストは素晴らしい」

ラジオ講座の素材となった「100年の家族の物語」を書いたのは、ひなただったのです。

そう、ここで講座最終回の「レッスン112」と、ドラマの最終回である「第112回」が、ピタリと重なってきます。

このドラマの物語全体が、いわば、ラジオ講座「ひなたのサニーサイドイングリッシュ」の中身だったことが判明したのです。

いやはや、あまりにも心憎い「しつらえ」に、驚くと共に感心するばかり。

しかもこの時、ひなたは、ウイリアムが自分の初恋の相手である、かつての「ビリー少年」であることを知りました。

長い年月を経ての、初恋の人との邂逅。

これから2人がどうなっていくのかはともかく、なんとも「幸福な結末」です。

いえ、ひなただけでありません。

安子にとっても、るいにとっても、さらにこのドラマに登場したどの人物にとっても、それぞれの「幸福な結末」がありました。

それは、日々を懸命に生きる人たちへの「優しい励まし」となったのではないでしょうか。

昨年11月から、見つめ続けた100年の物語。安子に、るいに、ひなたに、感謝です。

そしてキャストはもちろん、脚本の藤本有紀さん、演出チーフの安達もじりさんをはじめとする制作陣に、大きな拍手を。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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